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第11話 自分のための子育てはじめをする

何度となく泣きじゃくってきた妊娠生活だったように思う。
泣きつく先はグレさんで、いつも受け止めてくれるので本当に仏のような人だなとありがたい。大きな愛でこんなわたしを受け止め、包んでくれるグレさんである。

けれども、自分を助けれるのは自分だけ、っということも忘れちゃいけないなっと。

里帰り出産ではないし、事情があって産後に母は来れないしで、グレさんが『パパ産後育休』を取って、2人体制で産直後に挑む予定であった。が、ココに来て「もしかすると休みが取れないかもしれない」といわれたのだった(おそらく法的には産休は取れるはず)。
どちらにしても、何が自分を苛立たせるかといえばハッキリしないこと。取れる、取れない、もはやどっちでもいいから明確になれば次に動ける。あと1ヶ月とちょいでもうノミちゃん(仮名)は出てくるのだった。
「上司には、産まれてから話し合おうかと言われた」と言われた時には、「産むのは私。それでは遅い。」とすっかり呆れたと同時に不安が押し寄せてきた。

『産褥期は、おっぱい以外は出来るだけゆっくりしたほうがいい』という声をよく聞くし、ましてや『出産は交通事故にあうも同然』とも聞くので、その事故がどの程度かは分からないが、複雑骨折並みの事故だったらどうしようと心配の種となった。
高齢出産でもあるし、思う以上のダメージと回復の遅さでまた寝たきり婆さんになるかもしれない…ノミちゃんを抱っことかできるのだろうか…と不安は募る一方だった。
頼りにしていた夫も家にいなくて1人となれば、発狂もありえる…ともう頭の中は完全にダメな方向へ行っていた。
区や病院の助産師さんも私の産後を案じていて、「退院したら、産後ケアの施設に移ったらどう?」とアドバイスをくれた。

ハンプティダンプティごっこ

実は、産後ケア(坐月子)については妊娠初期から話は聞いていて興味があった。家からもそんなに遠くなく、区からの補助制度があるので、産後にお手伝いが望めない場合は。6泊7日までをゆったりとリーズナブルな価格で過ごせるようだった。

退院後しばらくしたらそちらを利用しようかなと思っていた。

というのも、まだまだコロナ禍で病院は立ち会いも面会も禁止という状態なため、グレさんはノミちゃんにすぐ会えないのであった。ノミちゃんにbisous bisous(チュー)したかろうし、ずっと眺めていたいんじゃないかなと、私が気を遣って産後は家でなんとか頑張ろうと思ってしまったのだ。
思えば、それが1番の苛立ちや不安の原因だった。

しかし、グレさんが休めないとなれば話は変わってくる。産後ケア施設に退院直後に移るのが良さそうだということになったし、自分の心と身体をゆっくりとケアしてもらおう!頼ろう!と心が決まった。
事前登録をするために電話をしたら、とても優しい口調の受付の人だったので、既に泣きそうになったのだった。
そして、登録をした後の心の軽さに驚いた。安心感が湧いてきて苛立ちは消えていった。

女性(お母さんやら妻やら)の心の元気度が、家族の元気に繋がるというのが納得できた瞬間だった。私が勝手に頑張り過ぎて、自分の首を絞めて、結局疲れ果てて『あんたのために家に帰って来てやったんたい!』では、2人ともギスギスするに違いない。

その日仕事から帰ってきたグレさんに、「産後ケアの事前登録をした。退院したら写ろうと思ってる。」と伝えると、グレさんは心から安心して「マミが心地いい状態であるのが1番大事だから!」と言ってくれた。

やっぱり自分のために選ばないと… 自分を安心させてあげないとナァ…、
そんなことを思った年末だった。
自分のための子育てはじめ。
ノミちゃんのためにも私のためにも、家族のためにも。

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私は足立区なので、こんな感じ。
市区町村で色んな補助等があるかと思います。

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