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兼藤伊太郎

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「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
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2022年5月の記事一覧

名簿

名簿

 彼は一応軍人となったわけだけど、身体検査をギリギリで通るくらいだったので、彼の配属されたのは捕虜収容所の事務方としてだった。それまで彼のしていた仕事も同じような事務仕事だったので、彼はそこでは有能な人物として見られることになった。もし彼が前線に送られていたとしたら、足手まといになったであろうし、あっという間に敵に殺されたことだろう。もしかしたら、仲間たちを命の危険に晒しさえしたかもしれない。彼の

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蝿たち

蝿たち

 その一撃。もう自分のこの右目は二度と光を見ることがないであろうと感じていた。後ろ手に縛られているから、どのくらい腫れ上がっているかはわからないが、頬骨が折れていることはわかるし、右目が潰れていることもわかる。
 尋問と奴等の呼んだ暴行は激しく、わたしは自白と言う呻き声を洩らさざるを得なかった。奴等は得意になった。
「この売国奴が!」次々とわたしに唾を吐き掛けた。二匹の蝿がわたしの耳元を飛び回って

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反省文

反省文

 財閥の一人娘として産まれた彼女にとっては、それは自然な振る舞いであったのだけれど、ごく一般的な感覚から言えばそれは傍若無人、傲岸不遜、まあとにかく誉められたものではないし、非難されてしかるべきものであった。
 まあ、それはちょっとした事件になった。テレビでは連日そのことが取り上げられたし、ゴシップ紙は軒並み大喜びであることないこと記事にした。
 まあ、そういうものだ。彼女としてもそんなことは慣れ

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防弾チョッキ

防弾チョッキ

 独裁者の猜疑心は人一倍強い。猜疑心が人一倍強い人間が独裁者となるのか、独裁者となると猜疑心が強くなるのか、それはわからない。
 独裁者は常に暗殺に怯えている。独裁者だからなのか、猜疑心が強いからなのか、それはわからない。
 食事に手をつけるのは誰かが口にした後だし、寝室は毎晩変えた。寝込みを襲われたらたまらない。車は全て防弾ガラスにしてあり、戦車よりも頑丈である。
 側近達はなんの心配もいらない

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喉の渇き

喉の渇き

 若者が目を覚ます。そのかたわらで、青年が朗らかな微笑みを満面にたたえている。
「目が覚めたみたいだね」と青年は言う。「おはよう」
「あなたは?」若者は尋ねる。「ここはどこです?」 
 若者は身を起こし、辺りを見渡す。それは筆舌しがたいほどの穏やかな光景。語ろうと思うことすらできない。
「ここは神の国だ」青年は言う。「ようこそ」そして、手を差しのべ、若者と握手をする。
「神の国?」若者は首を傾げた

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死なない男

死なない男

 その人が自分が不死であることに気付いたのは、流行り病が猛威を振るい、その人の住む村で人がバタバタ死んでいき、棺桶職人が過労死するような中で、彼の最愛の妻も息子と娘も死に、絶望した彼が首を吊った時だった。
 彼の一族は古くから村に住んでいて、その屋敷は立派なもので、丈夫な大黒柱と太い梁を持っていた。一族の人間たちを守ってきた家。しかしながら、その樹形図は彼で途絶えることになるのだ。彼は梁に縄をかけ

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それぞれの死

それぞれの死

 祖父が戦時中軍医として従軍していたのを知ったのは、祖父の葬儀が済み、遺品を整理していた時のことだった。
 屋根裏の奥、埃を被った柳行李の中に、その写真はあった。荒漠とした景色の中に佇む若者、モノクロで、色褪せているそれが祖父だということだった。年齢的にも、おそらく戦争に行っていたのだろうとは考えていたが、祖父はその最前線にいたのだ。しかし、祖父はその事、戦争について語ろうとはしなかった。実の娘で

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あの曲がり角を曲がらなかった夏

あの曲がり角を曲がらなかった夏

 夏休みは母方の祖母の家で過ごすのが恒例だった。父を残して、という形だったが、まだ景気の良かった時代で、父は仕事が忙しく家にはほとんど帰って来なかったから、それはさほど問題にならなかったのだろう。わたしとしてもそれはさほど問題ではなかった。家にいても、祖母の家にいても父には会えないし、それほど会いたいとも思っていなかった。父は口うるさい人で、わたしはあまり父が好きではなかったのだ。それに引き換え祖

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永遠の黄昏

永遠の黄昏

 永遠の黄昏の中に、わたしはいた。わたしはまだ幼く、つまり永遠の黄昏の中においては、わたしは永遠に幼い稚児なのだが、その幼いわたしの小さな手を引いていたのは父であった。父の厚い皮膚の指と、風景を赤々と染める夕焼けだけが確かなものであった。そこがどこなのかは問題ではなかった。永遠の黄昏の中では、具体的な場所は意味を持たなかったのだ。そこはここであり、あそこがそこであり、ここがあそこであり、かつそこで

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バカ

 その頃の世界はバカばかりとなっていた。別にどこかに優れた存在、例えばこの筆者は優れていて、そこから蔑むような態度でそう述べられているのではなくて、実際に、世界はバカばかりになっていたのだ。それはこの筆者も含む。筆者もバカである。信用できない語り手とか、そういうやつではない。バカな筆者にはそんなものは不可能である。
 それは未来の話。この語りよりも未来に起こった話。つまり、比較対象となっているのは

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麻酔

麻酔

 手術を受けることになった。生まれて初めての手術だ。どうにか手術を回避できないものかと医者に相談したが無理だった。とにかく手術が怖い。
「怖い怖いって言っても」と医者。「このまま放っておく方が後々怖いんですよ。もっと大変なことになるかも」
「それまでに医療技術が格段に進歩して手術をする必要がなくなるかも」
 医者はため息をついた。「そんなことはあり得ません」
「どうしても手術?」
「ええ」と頷く医

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国家

国家

 わたしの出会った男の話だ。いや、男と出会ったのではない。国家と出会ったのだ。その男は国家だった。その男が国家なのだ。
 国家である男は言った。「わたしは国家である」
たちの悪い酔っ払いだと思った。もしくは少しネジが外れているかだ。この界隈にはよくいるタイプの人間だ。正午を過ぎると酔っ払いの徘徊する街である。場合によっては過ごしやすい環境である。わたしにとっては悪くない場所だ。なにしろ家賃が安い。

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天罰

天罰

 その日、その時、天に声が響き渡った。神の声である。その惑星中隈無くであったので、真夜中、ほとんどの人が眠っていたという地域もあったし、これから出勤だ、という地域もあったし、昼食後の眠くなる時間帯の地域もあったし、仕事終わりで一杯やりに行こうか、という時間帯の地域もあったが、声の調子はどこであっても同じであった。威厳があり、容赦は無い。神はあまねく存在するのだ。
「お前たちにはもううんざりだ」と声

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あとをつける

あとをつける

 なぜその男を尾行しているのか、その男が誰なのか、まるでわからない。とりあえず、男の後ろ姿に見覚えはない。これはおそらく夢の中なのだろう。夢の中特有の浮遊感、虚脱感がある。しかし、夢であることが露になった夢は夢でいられるのだろうか?夢はそれと気付かないからこそ夢なのではあるまいか?そうすると、それは夢であることが暴露さるた瞬間に覚めるのではないだろうか? となると、これは夢ではなく、現実の出来事と

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