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兼藤伊太郎

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「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
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2021年4月の記事一覧

砕け散った彼女について

砕け散った彼女について

 砕け散った彼女はとても美しかった。粉々に砕け散り、辺り一面に巻き散らかされた彼女は、昼間には太陽の光を反射してキラキラと光り、夜には昼間のうちにその光を内にため込んでいるのだろうか、それ自身が光を発した。それはまるで、夜空が大地に降りて来て、星々を瞬かせているかのような光景だった。それを見るために、人々は夜の明かりをすべて消したほどだ。家の中の明かりはもちろん、街灯もすべて消灯された。真っ暗にな

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盗作騒動顛末記

盗作騒動顛末記

 ある作家の書いた小品が剽窃であるという噂が立った。有名とも言えず、かといって無名とも言えないような、業界の端の方、その際に指先でどうにかこうにかぶら下がっているというような作家の書いたものである。とはいえ、それはちゃんとした商業誌上に発表されたものであることにはある。多くの人の目に留まる可能性を秘めていたものである。そして、それを書いた当の本人はむしろそれを望んでいた。できることであれば、多くの

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「わたし」抜きの人生

「わたし」抜きの人生

「あなたは死にました。そして、今日はあなたの死んだ日の翌日です」と萎びた男に告げられ、なんのことだかちっとも理解出来ずに目をしばたいた。
「なんのことだ?」と問うと「あなたは死んだんです」と落ち着いた口調で答えられた。
「じゃあ、今ここでこうしているのはなんだ?」
「信じられませんか?」と冷静に問い返された。なんとも手慣れた口調だ。「あれを見ても?」
 男の指差す先を見ると、葬儀が催されている。

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ぼくの悲しみと、君の悲しみと

ぼくの悲しみと、君の悲しみと

 街を歩いていて、ふとショーウィンドウを見るとぼくのとよく似た悲しみが展示されていた。ぼくは自分の首からぶら下げたそれを確かめる。本当によく似ている。首からぶら下げたぼくの悲しみと、ショーウィンドウのなかの悲しみ。瓜二つと言ってもいいくらいだ。どちらがどちらか見分けがつかない。それの持ち主であるぼくですら。
 ぼくは愕然とした。ぼくのそれは、この世にひとつのものだと思っていたからだ。この広い世界中

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交差点にて

交差点にて

 その交差点はようやく静けさを取り戻したのだった。普段なら人通りも車の往来もほとんどなく、見通しばかりいい交差点。信号機は青になり、黄がともり、赤に変わる。それは人がいようがいまいが変わらずに淡々と繰り返される。ほとんどの場合、それを見る人もいなければ、止まる車もいない。信号機にとってはそれが日常だった。そこに、人がごった返していたのだ。サイレンを鳴らして飛んでくる車たち。パトカーに救急車、人が行

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取調室

取調室

 朝、警察を名乗る男たちに踏み込まれた。
「理由は言わずともおわかりですよね?」刑事を名乗る男はわたしを後ろ手に手錠をかけながら言った。男の見せた警察手帳には不審な点はなかったように思うが、警察手帳を見たのが初めてだ。不審もなにもない。
「説明してください」わたしは冷静であることに努めながら言った。「逮捕容疑はなんなんです?」
 刑事を名乗る男は鼻で笑った。「しらばってくれるつもりだな」
「しらば

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わたしのおなかにつまったもの

わたしのおなかにつまったもの

 夏休み、まだ幼いころのことだ。わたしたち家族は海水浴に向かっているところだった。父がハンドルを握る車は、高速道路の渋滞をやっとのことで抜け、海沿いの道を快調に飛ばしていた。カーラジオからはそのころ流行っていた歌が流れていた。母が助手席でそれに合わせてハミングしていた。時折大人たちの笑い声も聞こえてくる。なにを話しているのか、なにが面白いのかは全然わからなかった。弟はわたしの隣で眠りこけていた。わ

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選ばれなかったわたしたちの話

選ばれなかったわたしたちの話

 呼ばれたのはわたしの名前ではなく、誰かの名前だった。その名前が呼ばれた瞬間、そこにいたほぼ全員がキョロキョロとあたりを見渡した。唯一の例外がその誰かさん。口を覆い、いまにも泣き出しそうだと思ったら涙を流した。美しい涙、スポットライトは当てられていないのに、そこだけ光輝いているように見えた。そして、わたしはその光の外のその他大勢、彼女を輝かせるための背景。
 こうしてオーディションは幕を閉じました

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無限の恋文

無限の恋文

 すごく好きな人がいた。好きで、好きで、たまらなく好きで、どこが好きなのか尋ねられたら「全部」と答えざるを得ないくらい好きで、それは説明するのが面倒だから「全部」と答えるわけではないくらい本当に全部好きで、もしも面倒がらずにその好きを事細かに説明するとしたら、宇宙が始まって終わるまでが少なくとも三回分くらいの時間がかかるくらい好きで、それはもう憎いくらい好きで、あるいは本当は憎んでいるんじゃないか

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秘密の彼女

秘密の彼女

「秘密よ」と彼女は耳元で囁いた。
「なにが?」と、ぼくは尋ねた。
「秘密」と、彼女は微笑むと、そのまま風のように去ってしまった。そよ風のように、サッと。
 ぼくは凡庸な人間だ。きわめて凡庸である。あるいは、ずぬけて凡庸、飛びぬけて凡庸、稀に見る凡庸とさえ言ってもいいかもしれないが、そうなると語義矛盾が生じる。とにかく、凡庸である。この言葉遣いを見ていただければそれも言わずもがなかもしれないが。
 

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二度死んだ父の名前

二度死んだ父の名前

 ぼくは父と打ち解けたことがなかった。それはぼくがまだ幼いころからそうだった。肩車をされたようなこともなければ、手を繋いで歩いたようなこともない。それなりに大人になってから、街中で父親に肩車された子どもを見て、それに嫉妬するようなことは無いが、自分がそうされなかったことは意識されられる。父はどこかいつもよそよそしく、ぼくとの間に壁のようなものを築いていた。少なくとも、ぼくはそう感じていた。そして、

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君ノ声

君ノ声

 昔、付き合っていたガールフレンドがしてくれた話だ。
 とても暑い夜だった。その当時、貧乏学生だったぼくの部屋にはエアコンは無くて、古い扇風機が力なく回るのが精一杯の冷房設備だった。
 彼女はぼくよりも少し年上で、ちゃんとした会社勤めをしていて、ぼくよりもだいぶお金を持っていた。外で食事をするようなときにはいつも彼女が支払いをしてくれていたし、ぼくのクローゼットにあるのは彼女に買ってもらった洋服ば

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小さな黒いモヤモヤ

小さな黒いモヤモヤ

 エレベーターに乗っていると、その壁になにか小さくて黒い綿のようなものが着いているのに気づいた。かすかに動いたような気がした。もしかしたら、空調の作る風のせいなのかもしれない。いや、もしかしたら小さな虫だろうか。気になったわたしは、それに顔を近づけ、子細に眺めてみることにした。
 わたしが虫好きで、もしも珍しい虫であれば捕獲しようと考えたからではない。むしろわたしは虫嫌いであり、それが虫であった場

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鏡の中の男

鏡の中の男

 朝の慌ただしい時間のことだ。朝食を済ませ、顔を洗い、歯を磨いて、髪を整えていると、違和感を覚えた。わたしの目の前にある、洗面台の、鏡の中についてだ。本来ならわたしと同じ動作をしていてしかるべき鏡の中の男が、そうしていないのだ。わたしは櫛を手に、髪を撫でつけているのに、鏡の中の男は櫛こそ手にしているが、両腕をだらりと垂らし、微動だにしない。どうにも浮かない顔をしている。もちろん、その頭髪は整えられ

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