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兼藤伊太郎

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「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
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2020年7月の記事一覧

どこまでも、どこまでも

どこまでも、どこまでも

 愛人になることになった。のだと、思う。部屋を借りてもらって、そこに住むことになった。家賃はもちろん、光熱費その他諸々、全て支給される。これでただの慈善事業だと言うのだったら絶対に裏がある。こうして全てを与えておいて、愛人として囲うとか。つまり、わたしは愛人になったのだろう。どのみちそういうことだ。
 まさかこんなことになるとは思いもしなかった。だいたい、愛人になるなんてことを予想しながら生きてい

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空を売る

空を売る

 お金がないので空ばかり眺めて暮らしていた時期がある。なぜお金がなかったかというと、働いていなかったからだ。働かないとお金は稼げない。お金がないとすることがない。どこかに行くにはお金がかかる。何かを食べるにもお金が必要だ。水だってそう。水にもお金を払うのだ。いずれ空気を吸うにもお金がかかるようになるのではないかと不安になる。お金がないと、女の子にもモテない。女の子でもいれば、部屋でイチャイチャごろ

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忍び寄る影

忍び寄る影

 一時期、影に命を狙われていたことがある。影とはわたしの足元にできるあの影である。何かの比喩ではない。
 所詮影だろう、と甘く見るなかれ。それは地面に這いつくばっているだけではない。わたしの影は実際的な力を持っていて、わたしの首を絞めることもできたし、ナイフを振りかざすこともわけなかった。その反面、わたしが影に対して攻撃に出ることはできないのだ。憎き影の奴を殴り付けるつもりが、影の照らし出されてい

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人生

人生

 あるところに男がいた。男は漁師をして口に糊していた。男は魚を獲ることが好きで漁師になったわけではなかった。男の父親も、祖父も漁師であり、男は自然と漁師という職業を選んだだけだった。男には漁師が職業であるという認識すらなかったかもしれない。それは生業であり、職ではなく生の一部である。となると、それは選ばれるものではなく、所与のものなのだ。そこには個人的な好悪が差し挟まれる余地はない。我々が好むと好

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お嬢様はとても心優しいかたでございます

お嬢様はとても心優しいかたでございます

 お嬢様はとても心優しい方でございます。たまに癇癪を起こして、たとえば、子猫に手を引っ掛かれたというので捨てさせたりするような、そうした子供らしい残酷さを持っていたりもしますが、それはお嬢様がまだ年若いからであって、先日も学校から帰って来るなり私めをお呼び止めなさってこうおっしゃったのです。
「世界にどれだけ多くの恵まれない人がいるのか知ってる?」
 私めには学が無いのでとんとわからない旨をお

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若者のすべて

若者のすべて

 最後の花火が消えて、「終わっちゃったね」と彼女は言った。ぼくは黙ってうなずいた。終わっちゃった。ちょっと感傷的になっていたから、少しでも触れると泣き出してしまいそうだった。柄にもなく。
「夏、終わるね」喧騒から抜け出すと、彼女はそう言った。夏が終わる。夜ふかしのセミが鳴いている。でもそれも、じきに秋の虫たちに取って代わられるだろう。夏は終わるのだ。「あと何回くらい、こうして夏を過ごせるのかな?」

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さめた夢

さめた夢

 全て夢だった、という夢を見た。前にもこんな夢を見たことがあるような気がしたけど、それがいつのことかは覚えていない。夢なんてそんなものだ。忘れられない夢なんてたちが悪いだけ。
 子どもの頃には夢を見なかった。覚めて見る夢はもちろん、眠って見る夢も。だから、誰かが夢の話をしていても、わたしにはぴんとこなかった。だって、そんなもの見たことがないのだから。少し歳をとってから、初めて夢を見た時、なんだこん

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目と目で通じ合う

目と目で通じ合う

 タイムマシンを発明した。才能と努力があれば大抵のことは可能だ。たとえばタイムマシンを発明するとか。
 早速、タイムマシンを使って時間旅行をすることにした。行き先はもちろん未来、これはタイムマシンを作る前から決めていたことだ。未来に行けば、これから起こることを全て把握することだってできてしまう。そうなれば思うがままだ。
 行き先を未来に設定し、スタート。あっという間に未来に到着。確認してみると、予

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星のかけらの子どもたち

星のかけらの子どもたち

 突然静かになって、ぼくは恐る恐る顔を上げ、そして立ち上がった。頭の上をうるさく飛んでいた爆撃機も、雨のように降り注いでいた爆弾も、まるで夢だったみたいに消え失せていた。それだけではない。あたりには何一つ無かった。見渡す限り焼け野原だ。ぼくの家も、友だちの家も、工場も、お父さんが勤める役所も、ぼくらの学校も、何も無い。所々から上がる煙、その臭いは現実味が無かった。
 足元を見ると、人が横たわってい

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宇宙の食事

宇宙の食事

 宇宙ステーションと地上の管制室との間では濃密なコミュニケーションがとられている。宇宙飛行士たちの体調について、計器類の不具合、予定されている実験の進捗状況、地上での出来事、宇宙飛行士たちの家族からのメッセージ、誕生日のお祝いがあったりもする。宇宙ステーションでの生活は実に窮屈なものだ。無重力下での宇宙酔いに苦しみ、排便に手間取り、数人の同じ顔と毎日毎日その見飽きた顔を突き合わせなければならない。

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ぼくはともだち

ぼくはともだち

 ぼくは彼女の想像上のともだちだ。だから、実際には存在しない。彼女以外の人にぼくの姿は見えないし、ぼくの声は聴こえない。彼女が思う、故に我あり。
 彼女には友達がいない。実際に存在する友達が。これには色々な理由があるのだろうけど、彼女がとても恥ずかしがり屋なのが一番の原因なのではないかと、ぼくは思っている。お母さんに連れられて、同年代の子供たちがいるところに行っても、彼女はお母さんの影に隠れて出て

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望むものならなんでも

望むものならなんでも

 世の親の例に漏れず、父も親バカでした。それはもう、目に入れても痛くないというくらい可愛がってくれましたし、悪く言えば甘やかされて育てられました。もちろん、愛情を注がれたことには感謝しています。その点、私は実に幸福な人間だと思います。私の不幸は、父の財力があまりにもありすぎたこと、いえ、それも幸福なのかもしれません。それが不幸だと嘆くのは、それこそあまりにも贅沢過ぎます。不幸は私が凡庸な人間である

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わたしは彼を殺さないことにした

わたしは彼を殺さないことにした

 わたしは彼を殺さないことにした。
 彼を殺すのに十分な理由はあったし、確かに彼がその腕力に訴えればわたしなど一ひねりだったかもしれないけれど、状況的にわたしの方が圧倒的に有利で、しかも致命的な傷を負わせられる武器までわたしは手にしていた。さらに幸運なことには、殺人を犯したところでわたしが逮捕されることも、裁かれることもないのだ。
 政府は瓦解し、無政府状態になっていた。それは大木が切り倒されるの

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面白い話

面白い話

 王は即位してからというもの、多くの人の話を聞いてきた。まるでそれが仕事ででもあるかのように。様々な人が王に様々なことを訴えた。干魃で苦しんでいるという農民がいたかと思えば、洪水でひどい目にあったという農民もいた。外国との付き合いを増やすべきだという商人がいたかと思えば、外国なんかと付き合うとろくなことにならないという商人もいた。隣人が五月蝿くてかなわないという訴えをした隣人が隣人が五月蝿いと訴え

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