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さめた夢

 全て夢だった、という夢を見た。前にもこんな夢を見たことがあるような気がしたけど、それがいつのことかは覚えていない。夢なんてそんなものだ。忘れられない夢なんてたちが悪いだけ。
 子どもの頃には夢を見なかった。覚めて見る夢はもちろん、眠って見る夢も。だから、誰かが夢の話をしていても、わたしにはぴんとこなかった。だって、そんなもの見たことがないのだから。少し歳をとってから、初めて夢を見た時、なんだこんなものかとちょっとガッカリした。わたしの想像では、総天然色の、立体画像みたいなものだったのだ。実際の夢はもっと曖昧で掴み所がなくて、覚めてみるとぼんやりとしてなんだかわからないものでしかなかった。もしかしたら、わたし以外の夢はもっとゴージャスなのかもしれないけれど、わたしはわたしの夢を見るしかないので、それは貧相で吹けば飛ぶようなものだ。
 一時期クラスで夢占いが流行したことがあったけど、当然わたしはその話題についていけなかった。占う夢が無いのだ。別に、そんな話で盛り上がりたいとも思っていなかったけど。だいたいわたしには友達がいなかった。別に自慢できることじゃないし、自慢するつもりもないけど、周りの子達はみんな子どもで、わたしはそんな子ども達を相手にしたくなかったのだ。
 夢が無いわたしは、さめた子どもだと言われた。よく言えば大人びている。悪く言えば子どもらしくない。わたしは子どもを演じようと努めた。だって、そうした方が面倒が少ないから。そんな風に思いながら子どもらしさを演じるなんて全然子どもらしくないわけだけど。
 自然と、わたしが付き合う相手は年上の人が多かった。友人としてはもちろん、恋人もそうだ。それがまたわたしの同年代の人達と同調できなくさせる要因であったのかもしれない。負のスパイラル、年上の人達と付き合えば必然同年代の人達と話題が合わなくなる、それどころか、立ち居振舞いも違ってくる。たしかに、わたしは実際の年齢よりも落ち着いていたかもしれない。
 一番歳の離れた恋人とは、五十歳ほどの差があった。二人で何をして過ごしたのか、わたしはちっとも覚えていない。たぶん、なんでもない話をして、一緒にお茶を飲んだのだろう。それが楽しいのかと首を傾げる向きもあるかもしれないけれど、それだったら、一緒に遊園地に行って絶叫マシンに乗って騒ぐのはそんなに楽しいのか、論理的に説明してほしい。その人の良かったのは、そんな風に時間を使っても全然気にしないことだ。だからわたしは、その人と一緒にいた時間、何をしていたのかをちっとも覚えていないのだと思う。取り立てて何かがあるわけではなく、気付かないくらい自然な時間が流れる。
 その人とはしばらくして別れた。込み入った事情があって、その辺は若いカップルとなんら変わるところはない。恋人同士にはその当人にしかわからないことがある。それは年齢関係なく。別に嫌いになったわけじゃない。今でもたまに連絡を取り合っている
「最近夢を見なくなったんだ」とその人は言った。
「そう」とわたしは答えた。
「それがとても寂しい」
「なぜ?」
 その人がなんと答えたのか、わたしは覚えていない。
「夢なら、それがどんな悪夢でも、じきに覚める」

No.244

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