Get back 35years【オリジナルSS】

Get back 35years

3月になったのでカレンダーを捲ると、すでに予定が書き込まれていた。よく見ると、破いた2月にも週1〜2回、予定が入っている。そういえば、母はここ3年くらいでずいぶん外出するようになった。今もいそいそと、出かける支度をしている母の元へ行くと、

「今日ジャズ聞きにいってくるから。」

と首元に小花柄のストールを巻きながら、母は言う。

「ジャズって、いつものバー?」

「そうそう。隣町からね、コピーバンド来るのよ。」

「そういう情報ってどこから入ってくるの?」

「ゆかちゃんのお母さんが詳しくてね。なんでも知ってるのよ、あの人。」

ゆかちゃんのお母さん、というのは私の幼稚園時代の同級生のお母さんで、今は母の働くクリニックの同僚だ。確かに思えば、母は今の職場で働くようになってから、やれジャズ、やれミュージカル、やれコンサートと出かけるようになった。一人で映画館にもよく行っているようだ。

母は5年前、還暦で父と離婚した。私は特にそこにはなんの干渉もせず母の決断を見守っていたのだが、それは予想以上に母を元気にさせたらしい。
振り返れば幼少期の母はずっと暗い顔をしていた。いや、それを隠してはいたけど、いつも父の顔色を窺っていたように思う。そんな中でも、父がゴルフで出かけた日にはこっそりと私を映画に連れ出し、こっそりとファストフードのハンバーガーやドーナツを食べさせてくれた。ある時、父はたまたま早く帰ってきてしまい、私達の隠し事がバレてしまう。父は激昂した。二度と自分の了承なく出かけるな、と大声で怒鳴り、母は父が寝たあと私に言うのだ。「ごめんね。」と。私はそれがひどく悲しかった。私が中学に上がる頃、父は大病を患ったことで母の自由は更に奪われることになる。何度も手術や入退院を繰り返す父の元に、母は仕事をしながらずっと寄り添い続けた。私が高校を出る頃には、それまで隠していた母の陰りが隠しきれなくなっていて、私は何度も母に離婚をせがんだ。それでも母は言うのだ、「病気のお父さん放っておけないでしょ。」と。私は社会人になっても家を出れずにいた。弱々しい身体で横柄に振る舞う父に腹を立て、それに従う母にも苛立っていた。その頃の私は仕事で上手くいかないこともあり、全ての苛立ちを母にぶつけてしまっていたと思う。もう母には息継ぎの場がなくなってしまった。そしていよいよ、母は適応障害の診断を受けるまでになってしまい、それにショックを受けた父が家を出ていった。私が28のときだ。

「ただいま。はー楽しかった。」

「ちゃんと水飲んでよ?ほら。」

「ありがと。あんたも今度連れていってあげる。楽しいんだから。」

少し赤くなった笑顔で母は言う。こんな顔、してたんだなと改めて思った。

「楽しそうでなにより。」

「お母さん、人生謳歌してるから!」

「…もっと早く気づいてあげればよかったね。ごめん。まだ結婚をしないで家にいるし…。」

「なぁに謝ってるの!あの時はあの時、今楽しいんだからいいじゃない。結婚も、急いでしなくたっていいんだから。ほら!座って!お母さんのウイスキー飲んでいいから。乾杯しましょう。」

母は2つのグラスに氷を満杯入れ、ウイスキーを注ぐ。それを私に持たせ、グラスをかち合わせた。

「え、きつ…。ウイスキーなんて飲めないよ。」

「あんたもまだまだお子様ね。」

こんな風に母とお酒を飲むのは初めてだ。35年、一度の弱音も吐かず、私を育てた母。

「仕事も大変だと思うけど、楽しく過ごしなさい。今が例え辛くても、お母さんみたいにいつかちゃんと取り戻せるから。」

母と2人、何度目かの冬が終わろうとしていた。次は母の通うバーでお酒を飲んでみたいと思った。


End.


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