不適切 sideM【オムニバスSS】

不適切 sideM

「今日夕飯いらないから。」

ネクタイを締めながら夫が言う。目を合わさないこういうときは、大体後ろめたいことがあるときだ。

「飲み会?」

「そう。久しぶりに同僚とね。遅くなるかも知れないから先寝てて。」

結婚して3年。至って順調、なんの問題もない私たちだけど、全ては明かしあっていない。夫には夫の、私には私の秘密がある。「飲んで遅くなる」は、私にとっては朗報。夫がマンションを出たことをベランダから確認し、私はすぐに電話をかけた。

「晴人(はると)?おはよう。ねぇ、今日会わない?」

「レッスンあるからあんまり時間ないけど、麻里さん大丈夫なの?」

「大丈夫。今日はひとりだから。」

電話の相手は推しであり、最愛の人。晴人は今売り出し中のメンズアイドルグループのセンターで、少し忙しくなってしまっていた。出会ったのは2年前、その頃の晴人は20歳で今はもう解散した別のアイドルグループにいて、地下でずっと燻っていた。私はそれをずっと近くで応援し続け、転生した今では裏で晴人を支えている。欲しいものがあれば与えたし、時間も使ってきた。その分、晴人には精神的に支えてもらっている。

「はぁー!疲れたー!」

「ライブまであと10日切ったもんね。お疲れ様。ご飯食べてくでしょ?」

「麻里さん、こっち来て。…ご飯より、しよ?」

晴人はいつも石鹸のような香りがする。いつも煙草の匂いしかさせていない夫とは違う、さっぱりとした、でもすぐ忘れてしまいそうになる香り。だからいつでも求めたくなる。私は知っている。私が、晴人にとってどんな存在なのか。晴人が思っている人は他にいることを。それでも関係なかった。1番じゃなくていい、今この瞬間が全てだから。

事を済ませ、私の膝にじゃれてくる晴人の髪を撫でていると、スマホが鳴った。夫は今日帰らないらしい。

「晴人、少し寝てく?」

「いいの?じゃあ一緒に寝よ。」

二人で横になり、晴人は私を抱きしめる。ふわっ香る石鹸の香り。私はたまらなく安心する。

「麻里さん、しばらく会えなっちゃう。」

「お仕事頑張って?待ってるから。」

「もっと寂しがってよ。」

「寂しいに決まってるじゃない。でも晴人には大事な仕事があるんだから。」

「麻里さんは強いなぁ。そういうとこ、好きだよ。」

私たちの間にあるのはきっと、愛じゃない。でも愛じゃないとしてなんだって言うの。咎めるなら咎めたらいい。晴人が私の元を去るその日まで、私は手を離さない。

End.


前作「不適切」はこちらから


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?