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愛する猫の命が天に還っていった。ここにある喪失感から、今日これからをどう生きようか。 ( 1 )

2020年5月、保護された子猫が
突如うちにやってきた。

猫と暮らすのは初めてで、戸惑いもわからないことも盛りだくさんだったけど、ひと目見て心が奪われた。

こんなに人懐っこくて、やわらかくて、
可愛いものだとは知らなかった。

目がまんまるで、きれいな青色をしていたから
「あお」となづけた。

一緒に保護された弟くんといっしょにいると、四六時中ぴょんぴょんと走り回る。うんちをしたあともハイテンションになってかけずりまわる。

「あお」と、弟の「とらきち」




カメラロールの中がどんどんあおで埋まっていく。毎瞬がシャッターチャンスで、しまい込んだ一眼もとりだした。

朝、私が散歩にでかけると、
あおは「にゃー」といってついてきた。

リードもないのに、私からつかずはなれず、あるく。犬が現れると、ちかくの茂みに隠れ、車がくるとすぐに逃げる。好奇心はかなり旺盛だけれど、ちゃんと自分の安心・安全の範囲をわかっているようで安心した。

昼は自由に庭にでて、初めての木登りに挑戦したり、屋根に登ったり。
私のヒヤヒヤする気持ちなんて全く気にすること無く、好奇心のままに遊んでいた。

夜は、わたしの布団のうえにのって「にゃー」と鳴き、私の腕の中で丸くなって寝ていた。毛布をふみふみして、喉をごろごろ鳴らして、心底安心したような顔をして寝ていた。

親猫がいないから、ねずみのとりかたを教えてあげなきゃね。といって、youtubeでねずみのとり方を見せた。

ごはんがたべたくなると、自作のキャットタワーの前に座り、空のごはん茶碗をながめながら、静かに待っていた。たまに、こちらをみつめて「にゃー」とないた。

眠そうにご飯をまつ、大きくなったあお。


「あおがいる」
それだけで、どんなに幸せで、
癒やされて、元気をもらって、
あたたかくて、愛に満ちたことか。

オンラインでのやりとりが多くなってきたなかで、zoomの向こう側の人とのつながりが感じにくい時、あおが膝にのってきて、無防備に寝てごろごろしているだけで、私の中であたたかさと思いやりが広がっていくかんじがした。

いつも膝にのって寝るの

どれくらいひとの生活になじませるか、そして、どれくらい野生さやあおの自由さを尊重するか、かなり悩んだ。

去勢をするかどうかも、ワクチンを打つかどうかも、すべてが難しい選択だった。

初めて、夜遊びにでかけてしまった日は、(猫の習性だ、とはおもいつつ)心配でなかなか寝られなかった。

自由にあそびにいくあお

だんだんと狩りを覚え始めて、家にねずみやら、へびやら、鳥やら、もぐらやらいろんな生き物を連れてかえってきた。

外で、ほかの猫と縄張り争いの喧嘩をして、意外にもかなり好戦的に威嚇していた。

美人だけど、結構ワイルドな猫だった。

へびを捕まえてきた。さすがにびっくりして、悲鳴をあげた


たくさん箱やかごに、はいった。

たくさん、あそんだ



たくさん変な寝相でねた。

絶対ねにくい。


本当に当たり前のように共に暮らし続けて、1年半ほどがたった、2022年1月19日。

朝、瞑想している私のそばに「にゃー」と寄って来た。ご飯がほしいのかな、と思ったけど、終わるまで待ってもらうことにした。

その後、お散歩から返ってきたあおがなんだかうなっている。お腹が痛いのか、ちょっと歩くすがたもよたよたしている。

こんなことは珍しいから、心がざわついた。ミーティングの途中だけど、病院に連れて行こうか?でも、まだ元気はありそうだし、あおは車がきらいだし、もう少し様子を見ようか。そう判断して、一日の予定をなくして、家でゆっくり一緒に過ごすことにした。

昼すぎ、たまにあるいては、たちどまって、やっぱりうずくまって、たまにうなっている。どうしよう。判断がつかない。

夕方、なんだか息がしにくそうだ。
やっぱり病院につれていこう。
そう決めて、瞬間で家を出た。

車にのっていても、全然鳴かない。
いつもなら大騒ぎするのに。
どんどんと、ぐったりしていく。

絶対に事故らないように、
気をはって、急いで、病院に向かう。
早く入れるように途中で電話予約をして。
手が震えそうになるけれど、
私がしっかりしてないと。

あお、もうちょっとでつくからね。
あお、一緒にいるよ。
あお、

ずっと声をかけて、
ようやく、ようやく病院についた。

泣き叫ぶように病院にはいり、
毛布ごと、
すぐに診察台にのせてもらった。

心臓の働きがかなりよわってるね
酸素濃度が低いね
レントゲン撮ってみようね。
特に異常はみあたらないなあ
昨日まで元気だったの? 
うーん、そしたら何か
毒性のものをとっちゃったのかな、
体温がはかれないほど低いね。


冷静な先生の声と、指示と、
あおのよわっていく身体と
いろんなものに混乱しながら、

あおの心臓がよわっていく
とまっていく

あおを撫でて、
「あお、しっかり」と叫んで、
愛をおくって、祈って、
何が原因なのか考えて、
まっしろになりながら、
ともにいる

結局、何が原因かわからないまま
10分以上心臓マッサージをしても
あおの心臓は動きださなかった

「あお、息して」
「心臓、動かさないと」
「また一緒にあそぼうよ」
「ねえ、おねがいかえってきて」
「あお、ここにいるよ」

また命がかえってくるように
懇願し、祈っていたところから

「残念ですが」
といわれ、諦め、受け入れなきゃいけなくなったことがわかった




かたまったあおを、
毛布ごと、車につれてかえる

さっきと同じように、
助手席でねている。

ここから、どこにいって、
どうすればいいのかわからなくて
友人に連絡をした

あおの弟と暮らしている友人が、
電話口で私の代わりに泣いてくれた
うちにおいで。といわれ、

なんとか車を走らせた



シェアメイトもかけつけてくれ、みんながあおの閉じたばかりの命とともにいてくれた。

あおの弟は、びっくりしたようで、後退りをして、ほとんど近づいてこなかったけど、状況がわかっているようだった

私の頭は数分おきに停止して
放心し、はっときづく。
あおが死んでいる。
また、放心し、はっと思い出す。

この現実が、本当に現実なのか?
ほかの世界線に移行できないのか?

なんで私はもっとはやく
病院に連れてかなかったんだ?
何か変なものを食べたのか?

これからどうしたらいいのか?
あおのいない部屋にもどれるのか?

いろんな問いや後悔が浮かんで、うけいれられない事実になんども驚きなおした。

泣きつかれて、目があかない。いつの間にか眠った。


あおちゃんとの日々を、忘れないために。
安心して忘れ、また思い出すために。
この体験から、新たに私の生命を生きる意味を見出すために。
喪失感や弔いや、生命に向き合う人との分かち合いのために。
最後の日々をここに残します。

あおちゃん、大好きだよ。


▼つづき。

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