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不本意ながら「その場にある期待や不和を察知して、解決・解消のためにと身を捧げてしまう。」 【参考: 本 「愛着障害」】


今日ここに書きたいとおもっているのは、

私が人と関係性をもとうとする中で、
(たいてい無意識に)どんなことを行っているのか、について
最近改めて気づき、本意ではないとおもっていることについて。

また、そのテーマにまつわる「愛着」について、
「愛着障害」という本の内容から、参考になったこと。

1つ目の葛藤


その場にある期待や不和を察知して、
解決・解消のために身を捧げてしまう。

無意識にずっと周りの人の顔色や考えにアンテナをはり、それをするだけでもつかれるのに、自動的にその推測にもとづいて、期待にこたえようとしてしまう。

また、(求められていなくとも)そこにある関係性の不和にすごく意識がひっぱられ、その不和を解消しようとする。そうしているうちに、他者にばかり意識をむけているので自分がどんな気持ちなのか、何を望んでいるのかがわからなくなって、心が閉じていく。(感情があせていく)

そんな体験が、特に
・大きな集団で、
・気楽で安心していることが難しいような関係性のなかで
(年配の人や、はじめましての関係性が多いなど)
・役割として場をホールドする役割があるときに
おこるんだということが、よくわかってきました。

頭では、「人に貢献することを通じて、安心を得ようとしても疲れるだけだし、本当に心地良い関係性も健全さもそこに起こらない」と心底想っているのに、身体がそうすることをやめられない。


2つ目の葛藤


特に、女性との関わりのなかで、過剰に何かを恐れ、防御防衛したり、疑念や不信感を持ちやすい。

(例:「私は嫌われているんじゃないか」「嫉妬されているんじゃないだろうか」「これは褒めているようにみせた嫌味なのではないか」)

これは、小中高で女性からいじめられたことが影響しているんだろうとおもっていて、気づけている分対処できると思っていたけれど、じつは自分で把握していたよりも深く、ずっと、漠然とした怖さがあるんだということを最近発見した。



これらの探求に、「愛着障害」の本のなかで書かれていたことが役立ったので、いくつか抜粋して、ここに共有したいと思います。

本 「愛着障害」(著者:岡田尊司)より


愛着とは、ある特定の存在に対する、特別な結びつきのことである。

p23

人の顔色をすごく気にしてしまい、気疲れしやすい。「お前なんかいらない」といわれないか、いつも不安に思う。対立したくないので、つい相手に併せてしまう。そういった対人関係に過敏な人は少なくないだろう。

一方、人と親しい関係になるのが煩わしい。結婚して縛られるのは嫌。仕事の付き合いはするけど、それ以上の関わりは持ちたくない。このように対人関係が表面的で、深まりにくい人も増えている。そうした対人関係のパターンをしらずしらずに支配しているのが、その人の愛着スタイルだと考えられるようになっている。

p18

安定した愛着スタイルの持ち主は、相手が助けになってくれると信じ切っているので、実際にすぐに助けや慰めをもとめ、それを得ることができる。しかし不安定な愛着スタイルの人はそんなことをすると拒絶されるのではないかと不安になって、助けをもとめることをためらったり、さいしょから助けを求めようとはしなかったりする。あるいは、助けを求めても求め方がぎこちないため、相手を苛立たせてしまったり、肝心なことを切り出せなかったりする。

p20

愛着を脅かす、最も深刻な状況は2つある。一つは、愛着対象がいなくなる場合である。

p29

もう一つの深刻な状況は、守ってくれるはずの親から虐待を受け、安全が脅かされるという場合である。子供は親を求めつつ、同時に恐れるというアンビバレントな状況に置かれる。ーー「自分は無力で悪い存在だ」という罪の意識や自己否定の気持ちを抱えさせられてしまう。

p31

子供は、愛着という安全基地がちゃんと確保されている時、安心して外科医を冒険しようという意欲を持つことができる。逆に母親との愛着が不安定で、安全基地として十分機能していない時、ーーー知的興味や対人関係においても、無関心になったり消極的になったりしやすい。

p33

愛着のパターンとしてもともと「安定型」「回避型」「抵抗 / 両価型」の3つに分類されていたが、そのあと「混乱型」が加えられ、合計4つのパターンに分類されることが多い。

p38

安定型は、母親から離されると泣いたり不安をしめしたりするが、その程度は過剰というほどではなく、母親が現れると素直に再開を喜び、母親に抱かれようとする。

p38

回避型では、母親から引き離されてもほとんど無反応で、また母親と再会しても目を併せず、自分から抱かれようともしない。

p38

抵抗 / 両価型は母親から離されると激しく泣いて強い不安を示すのに、母親が再び現れたとしても、拒んだり嫌がったりする。

p38

混乱型は回避型と抵抗型が入り混じった、一貫性のない無秩序な行動パターンを示すのが特徴である。まったく無反応かと思うと、激しく泣いたり怒りを表したりする。

p39

不安定な愛着状態におかれた子供では、 3,4歳のころから特有の方法によって周囲をコントロールすることで、保護や関心が不足したり不安定だったりする状況を補うようになる。統制型の愛着パターンと呼ばれるもので、攻撃やバツを与えることによって周囲を動かそうとするパターンと、いい子ふるまったり、保護者のように親を慰めたり手伝ったりすることで親をコントロールしようとするパターーンがある。

p40

このコントロール行動は、無秩序な状況に子供ながらに秩序をもたらそうとするものだと言えるだろう。こうしたコントロール戦略は、年を重ねるごとにさらに文化を遂げて、特有のパターンを作り出していく。それらは大きく3つの戦略にわけて考えることができる。すなわち支配的コントロール、従属的コントロール、操作的コントロールである。

p40

 支配的コントロールは、暴力や心理的優越によって相手を思い通りに動かそうとするものである。
 従属的コントロールは、相手の意に従い、恭順することで相手の愛顧をえようとする戦略である。
 操作的コントロールは、支配的コントロールと従属的コントロールがより巧妙に組み合わさったもので、相手につよい心理的衝撃を与え、同情や共感や反発を引き起こすことによって相手を思い通りに動かそうとするものである。

p41

「はてしない物語」「モモ」などの名作でしられるドイツの作家ミヒャエル・エンデは、不安定な愛着を抱え、それを克服した人でもある。エンデの愛着の不安定さの源をたどると、おそらく母親が抱えていたと思われる愛着の問題に遡ることになるだろう。

p83

ミヒャエル・エンデの母、ルイーゼは相手の愛情を執拗な程に確認し、また相手の欠点や失敗に対して容赦なく締め立てた。これらは愛着不安の強い人に見られやすい傾向である。しかしこうした傾向は、2人の信頼関係を育てるより、傷つけることにつながってしまう。

p85

夫のエドガーは気性も穏やかで、忍耐強い性格の持ち主だった。しかし愛着という点においては小さなキズを抱えていたようだ。かれは現実回避的なところがあった。生活が苦しくなり、妻との間に諍いが多くなると、次第に子供がいることが重荷に感じられるようになったのである。幼いミヒャエルは父親がこういうのを聴いた。「子供なんかつくるべきじゃなかった。」

p86

夫婦の関係は常に不安定なものだった。妻の傷つきやすさと攻撃につきあううちに夫の方も傷つきやすくなり、すぐ罵り声を上げるようになっていった。

p87

過保護といっていいほど可愛がられる一方で、ミヒャエルはたえずっち親と母親が罵倒し合うのをきいて育った。ミヒャエルは幼い頃から「自分が2人を繋ぎ止めなければならないと想っていた」という。自分がいい子にしていないければ父親と母親はわかれてしまうという気持ちをずっと抱いているのである。こうした境遇は、反抗的な一面と、相手の顔色をみて相手を喜ばせようとふるまう性向のまじった、複雑な性格を育むことになった。

p88


愛着障害における対人関係の特性は、相手との距離が近すぎるか、遠すぎるか、どちらかに偏ってしまい、ほどよい距離が取れないということである。

p120

回避型愛着の人は、親密な距離まで相手に近づくことを避けようとするため、対人関係が深まりにくい。一方不安型愛着の人は、距離をとるべき関係においてお、すぐにプライベートな距離にまで縮まってしまい、親しくなることイコール恋愛関係や肉体関係ということになってしまいやすい。

p120


愛着障害の人は、相手の意図を過剰に解釈して傷ついてしまったり、相手の感情に巻き込まれやすかったりする。相手を、過去におなじような振る舞いをした人と同一視してしまう結果、短絡的に自分に対する迫害者とみなしたり、理想化したりするという両極端な反応も起きる。ありのままの相手ではなく、自分の記憶の中の存在に重ねてしまい、そこから来る思い込みによって相手を即断してしまうのである。

p125

愛着障害の人の重要な特徴の一つは、過度に維持を貼ってしまうことである。それが自分にとってふりえきになるとわかっていても、どうしてもそれを止められないということが多い。非機能的な怒りとおなじような意味で、非機能的な執着といえるだろう。ーー愛着障害の根が深いほど、さらに天の邪鬼な反応がみられるようになる。本当は素直に相手の求めに応じたいのだが、わざと抵抗してしまうのである。それは愛情を奪われたことに対する無意識の怒りの表れでもある。ーーまた愛着障害を抱えた人では、向上心や自己肯定感が乏しい傾向がみられる。

p133

愛着の問題が発達にも影響するということは、いくぶん複雑な状況を生んでいる。ーーーアスペルガー症候群として診断された人が、実は愛着障害だったというケースにも少なからず出会う。

p139

愛着障害の人にとって、子育てはおおきな課題となりやすい。その場合、おおきく2つのパターンがあるようだ。根っから子供が嫌いだったり関心がないというケースと、子供は好きだが上手に愛せない、どう接したらいいかわからないというケースである。

p147

不安定型愛着の人は、しばしば三枚目やおっちょこちょいや道化役を演じることで、周囲から「面白い人」「楽しい人」としてうけいれられるようとする。ーーー道化役を演じてしまう人は、自己卑下的な傾向が強く、その根底には自己否定感がある。自分を粗末に扱うことで、相手に気を許してしまうのである。

p154

愛着障害があると、アイデンティティの問題も生じやすい。愛着は、安心感を支える土台であり、底が障害を受けると「自分が自分である」ということに確信を持ちにくくなる。そうした事故に対する違和感は、世界や他者に対して自分が何者であるのかというアイデンティティの確立にも当然影響してくる。

p153

自分に対する違和感は、さまざまな仕方で現れる。自分の欲望や喜び、満足感と行った感覚がわからなくなる失感情症(アレキシサイミア)もその一つである。太宰治は小学生のころから失感情症に苦しめられていたようだ。ーー質感畳は他人と喜びや悲しみを共有することの困難にもつ汁。共感したくてもそれを実感できないあkら、共感仕様が無いのである。不安定で確かなものがない感覚のなかで、愛着障害の人が拠り所とするのは、演じるということであり、それによってぽっかりあいたばつの悪い間を埋めようとするのである。

p156

演じることと密接に関係し、愛着障害の人に見られやすい問題行動は虚言である。これは周囲の人を思い通りにコントロールしようとする意味もあるが、じぶんという存在の希薄さを、作り話によって補うという意味もある。嘘で装うことで、大人を困らせたり、気を引いたりするだけでなく、自分が願望する存在や相手に気に入られる存在になろうとするのである。

p157

不安型の人は、相手の表情に対して敏感で、読み取る速度ははやいものの、不正確であることが多い。ことに、怒りの表情と誤解してしまうことが多々ある。そうなってしまうのも、不安型の人にとって一番の関心事は「人に受け入れられるかどうか」「人に嫌われていないかどうか」ということにある。

p230

愛着回避と愛着不安がいずれもつよい愛着スタイルは、恐れ・回避型と呼ばれる。対人関係をさけて引きこもろうとする人間嫌いの面と、人の反応に敏感で、見捨てられ不安が強い面の両方を抱えているため、対人関係はより錯綜し、不安定なものになりやすい。一人でいることは不安で、人と仲良くしたいと思うが、親密になることで強いストレスを感じたりきずついてしまうという矛盾を抱えている。それは人を信じたいが信じられないというジレンマでもある。

それゆえ、恐れ、回避型には、疑り深く、被害的認知に陥りやすいという傾向がある。自分をさらけ出すのが苦手で、うまく自己開示できないが、その一方で人に頼りたい気持ちも強い。

p236

いかに克服していくか

(1)良い安全基地をもつ
  ・安全感の保証(一緒にいても傷つけられることがない)
  ・感受性、共感性
  ・応答性(相手が求めているときに、応じてあげること)
  ・安定性(気分や都合で対応が変わるのではなく、
       できるだけ一貫した対応を取ること)
  ・何でも話せること。隠し事や遠慮なしにさらけ出せること。

(2)愛着の傷を修復する
  ・未解決の傷を癒やす
  ・幼い頃の不足を取り戻す
   (子供心を取り戻す)
  ・傷ついた体験を語り尽くす(認知的プロセス)
  ・怒りが赦しにかわるとき
  ・過去との和解

子供の頃に傷ついた体験は、たいてい心のすみにおしやられ、はっきり言語化されないまま、もやもやとした記憶として心に巣食っている。そうした言語化の不十分な情動的記憶というものが、その人の心や行動を無意識の内に支配し、ネガティブな反応や感情の暴走、解離と行ったことを引き起こす原因になる。そのため、まず、そうした記憶を再び活性化することが必要である。

p281

*依存と自立のジレンマ
愛着障害を抱えたひとが良くなっていく過程において、その傷が深いほど、自分を支えてくれる人に甘えようとする一方で、反抗的になったり困らせたりするのが目立つようになるときがある。わざと無視したり、怒りを示したりすることもある。自分のことをもっと見てほしいと想い、相手の関心が十分に自分に向けられていないことに腹を立てる。そのくせ自分の方から素直に甘えなくなり、つっけんどんな態度をとって、相手に不快な想いを味わわせようとしたりする。この時期が回復への過程において、もっとも重要な局面だと言える。このとき支える側が腹をたてて、拒否的になったり、否定的な反応をかえしたりしたのでは、もとの黙阿弥になってしまう。

この反抗する気持ちには、2つの段階がある。それは支えてくれる人の愛情をもっと求めたいのにそれを我慢していることや、自分のことを振り返ってくれないことへの怒りに由来する段階と、もうすこし成長して、支えてくれる人からの期待を鬱陶しく感じ、距離を取ろうとしている段階である。

ーー落とし穴に陥るか、真の回復にむかうかの境目は、この段階を乗り越えられるかどうかにかかっている。相手の反抗や離反も肯定的にとらえ、その根底にある気持ちを前向けに受け止める。そしてこちらの思い通りにならないことは自立の証だと、むしろ祝福することなのである。

p278

(3)役割と責任を持つ
・社会的、職業的役割の重要性
・否定的認知を脱する
・自分が自分の親になる
・ヒトを育てる
・アイデンティティの獲得と自立

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