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\カテゴライズしてしまう息苦しさ/Diversity Journey航海記【アクションチャレンジ36】

みなさん、こんばんは!

 うさみです。

 NPO法人コモンビートの多様性や違いについて考えるプログラム「Diversity Journey」。先日発表したアクション宣言「生涯吸収・生涯発信」を実践していきます。

 こちらは毎週日曜日に記事を発信しています。今回は、たまたま目に入ったリオパラリンピック水泳競技に出場した日本人パラリンピアンの記事についてです。よかったら最後までご覧ください。

 プログラムに参加してから目にするようになった「vogue Japan」。今回気になったこちらの記事は、一人のパラリンピアンのインタビュー内容でした。

 プログラム中に考えていた疑問が、なぜ私たちはカテゴリに分類してしまうのかというもの。男性と女性。大人と子ども。健常者と障害者。日本人と外国人など挙げればきりがありません。
 記事の中では、次のようなやりとりがあり、同じ疑問を彼女も抱いていたことに親近感がわきました。

──人をカテゴライズする言葉がなくなればいい、と。
 そうですね。「人をカテゴライズする」という行為には、ずっと疑問を持っています。仮に私と同じように右腕が短い女性がいたからといって、私とその女性では考え方は全然違うはず。「障害者」や「LGBTQ」などと人をカテゴリーに押し込め、型にはめて考えるのではなく、最終的には「あなたと私」という個人同士で向きあうことが大切だと思うんです。

 そのためには、「障害者」という言葉をはじめ、何かをカテゴライズする言葉が使われなくなればいいと思っています。たとえば、私という人間を紹介するときに、「障害者」ではなく、「関西人の24歳の女の子で、右腕がちょっと短くて……」と説明されるようになれば理想的かな。

引用:vogue Japan

 コモンビートの考える「D&I」は「U&I」(あなたとわたし)と同じ結論になっている点もなんだか嬉しい気持ちになりました。

 カテゴライズすることは、人によってはある種の安心感を持ち得るものかもしれませんが、分断を生む原因にもなり得るものだと思います。マジョリティとマイノリティに分かれ、差別の温床にもつながります。

 自分がどちら側に位置しているかではなく、自分自身で立ち位置を決めたいものですし、「あなたはあなた、わたしはわたし」として誰しもが違うことを認識して生きていきたいものです。

 すこしでも社会の一人一人がそういったマインドでいられれば、誰にとっても居心地のいい社会になる気がしませんか?

 最後までお読みいただきありがとうございます!
 うさみ

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