ピーマンが嫌い
ピーマンが嫌いだ。けれどゴーヤは好きだ。
しかし、詳しく言えば青椒肉絲は好きだがピーマンが嫌いで、ゴーヤチャンプルーが大好きだ。ゴーヤをゴーヤチャンプルー以外で食べたいと思ったことがないのでその他のゴーヤを食べたら嫌いになるのかもしれない。分からないけれど。
つまりは、組み合わせが重要なのだ。
そしてそれは何となく、自身と組織の組み合わせにも通ずる気がする。
自分がピーマンの立場で青椒肉絲以外受け入れて貰えないのなら、その役割に徹するだろう。だって、青椒肉絲のメインは牛肉の旨味と筍の歯応えで、ピーマンはその引き立て役だもの。「一瞬だけ苦くしときますんで牛肉さん旨味ドバっと出しちゃってくださいよ!筍さんはカリッとオナシャース!」みたいな。
それで言えば、自分がゴーヤの立場なら、求められているのがスパム(もしくは豚肉)と豆腐と卵の程よい炒め加減が繰り出すあの食感だとしたら、ゴーヤはそのアクセントに過ぎない。それなのに「ゴーヤチャンプルー」って名前で自分がメインだから「私を引き立ててくれよ!」ってなると思う。実際はゴーヤ何もしてないのに。いや、肉と豆腐と卵と共に炒められたゴーヤはとても美味しいけれど。
調和しなければ生きてさえ行けない社会で、……まぁ、社会が私を生かしてくれているので調和して生きていきたいと思うこの世界は、まれにどうにも息苦しい。息苦しいけど呼吸をしなければ生きられないので空気を吸えば、何か余計なものまで吸ってしまって、しかもそれを吐き出せずにいる。飲み込んでも排泄されずに腹の奥に留まるソレは徐々に膨らんでいき、膨らんだのに出せないままソコにある。
あぁ……だからいつまでも痩せないのかな?
私だって、求められているモノが何なのか理解出来るくらいには、優秀でありたかったよ。
否、私に求められているものなど何も無いとしても、それを理解させたいなら期待しないでくれよ。
話はそれたが、ピーマンが嫌いだ。けれどゴーヤは好きだ。青椒肉絲のみが好きでゴーヤチャンプルーだけが好きだ。
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