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天秤にかけていたもの

私は、いまnoteやインスタで自分の感情や
表現をしている。
これらのSNSは、友人やご近所さん。
比較的、近しい人がのぞいてくれている。

『自己表現』
これだけSNSが普及し、多くの人が、何かしらを発信している。
SNSを使って、何の目的があり、自己表現をしているのだろう。
ときどき、この問いかけが、自分にも降ってくるのだが。

そんなことを考えるようになったのも、SNS上で自己表現をし始めたのも、つい最近のこと。
5年前までは、私自身、自己表現がとっても苦手だったのだ。

「こんな投稿をしたら、どう思われるだろう?」
「さっきの発言、何か気に障ることはなかっただろうか?」
いつも人の目や、意見ばかりを気にしていたからだった。

本当は、ちゃんと自分の意見や感情だってあった。
しかし、『どう思われるだろう?』が怖くてたまらなかった。
だから、感情や言葉、表現することに、
長いこと蓋をしてしまっていた
のだ。

そんなふうに、自分の感情や言葉を失い、
当たり障りのない言葉を使い、
当たり障りのない想いを口にし、
当たり障りのない生き方を、一生懸命生きていたのだ。

そんな私の恐怖心と、当たり障りのない生き方に、この言葉たちが一刀両断してくれた。

『お前の顔を気にしているのはお前だけだよ』
『足踏みしていても靴底は減るぜ』

他人は、そんなに私に関心はない。
当たり前のことなのに、気づかなかった。
この言葉が、腑に落ちたとき、スッと肩の力が抜けたのだ。
こうだったら…
こうしていれば…と、クヨクヨと悩んだり、
じだんだ踏んでいても靴底は確かに減る。
そう痛感した時、少しショックだった。

そして、こう思った。
どう思われるかより
どうしたいかだった
のか。

落雷のような激しい衝撃的なこの気づきで、
私は、少しづつ自分がどうしたいかを、自分に問うようになった。
こんなにたくさんの感情と言葉が、
自分の中にあったんだと知った。
嬉しくって、泣いた。

何だかやっと、自分になれた気がした。
不思議な感じだった。
とは言え、人からどう思われるかという恐怖心が、完全になくなったわけではない。
でも、自分の感情をなかったことにするのは、
やめにした。

自分の天秤にかけていたもの。
人の目か、自分の感情か。
傾く加減が、変わったのは言うまでもない。




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