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みんなは何を大切にして生きていく?みんなは何を持って死んでいく?

先日、夫が一睡もせず仕事から帰宅した。
一睡もできなかったようだ。
被災地に、行っていたのだ。

最愛の夫が、被災地に行く。
そうなると、一気に死が身近に感じられた。

怖かった。

夫とは、携帯で連絡を取り合った。
帰宅が分かっても、やっぱり不安だった。
そして、帰宅した姿を見て、「おかえり。」と言った。
夫が「ただいま。」と言った。
このやりとりが、心底幸せに思えた。

そこでふと考えた。
死を身近に感じると、なぜ、こんなにも当たり前が特別に感じるのだろう。

それから、自分が死ぬことを想像してみた。
あまりにまだ現実味がなく、わからなかった。
でも、死ぬ間際には何も持ってはいけないのだ、とよく耳にする当たり前の言葉が頭に浮かんだ。

私は、死ぬ時、稼いだお金も大切にしている家も、本も、もちろん家族も持ってはいけない。
たった一人で三途の川を渡るのだ。
怖がりの私を、この時支えてくれるものは何だろう?

あぁ、あのローソンでたまたま夫と再会して、それからあっという間に夫婦になったなぁ。
あぁ、ミーを産んだ日の空は、もう秋が少し感じられたなぁ。
あぁ、たいちゃんと寒い中、毎日公園に行ったよなぁ。
そんな特別じゃない景色が、日常が、死ぬ間際も死んでからも私の支えになるような気がした。
この家族でよかった。
楽しかったと。

そう思ったら、毎日がとっても大切になった。
どの瞬間も一つも取りこぼすことなく覚えていられないだろいうかと。

そんな自分の死に際を、しばらく想像してから我に返ってこう思った。
災害などあるもののやっぱり平和な世の中で、ぼんやり生きているとあっという間に人生が終わってしまうのかもしれないな。
そんな平和で何でも十分にあり過ぎて、全てが大切だと錯覚してしまう時代。
私は自分にとって、何が最も大切なのかを選択して生きたくなった。


そして、私が選択したのは愛、一択だった。
死ぬ間際に思い出したい。
たくさん愛した記憶と愛された記憶。
そして、たくさんの愛する人たちとの記憶を、てんこ盛りに欲張って持って死ぬために生きることにした。

みんなは何を大切にして生きていく?
みんなは何を持って死んでいく?






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