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「注文の多い料理小説集」

「注文の多い料理小説集」 (文春文庫)

料理をテーマに7人の書き手が短編を紡ぐアンソロジー。

どれもなかなか面白かったし、何人かは別の作品も読んでみたいな・・・なんて思った。

が、今回書くのはそういうハナシではなくて小説の背景の部分にとても違和感を感じてしまった、というハナシ。

いや、これは別に小説の出来がどうこう、ということではなくて。

はじめましての方もいらっしゃると思うので書いておきますと、東京から移ってきて今自分が暮らしているのはとても山の中なわけです。
この辺りはマガジン「coldmountainstudyができるまで。」をご参照ください。

で、一編目の柚木麻子さんの作品を読みはじめますと。

キラッキラなわけです。

背景の東京が。

いきなりやられてしまうワケです。

かつては自分もそんなところにいた(時間もわずかながらあった)ハズなんですが東京の進化・自分の生活環境の変化・その他もろもろの要因もありましょう・・・もう想像もつかないくらい遠い世界のように感じられてしまうワケです。

そうすると小説もやはりなんとなく、遠くに行ってしまう。

まるっきり未知の海外が舞台とかならまだいいのかもしれません。想像だから。体験ではないから。

この中途半端に暮らした(しかもいわゆる最先端の)街と、今暮らす寒村。

この対比がイケナイんでしょう。心情的には両方”自分の場所”ですから。

おかしなものですね。そのキラッキラが嫌で山奥に移り住んで、たまたま読んだ小説のキラッキラに触れてクラクラしているわけです。

ある日なんとなく観ていたTVの画面・・・いわゆるグルメ番組。舞台は確か神田の駅近くだったか?・・・リポーターのタレントが立ってカメラに向かって話している。

その話ではなくて周囲の風景をみて思っていたこと。

「オレ、こんなに並んでいる店の中から一軒を選んで美味いメシを食う自信がない・・・。」

かつてそこで働いていた時、どうして店を選んでいたのだろうか?

そんなことも思い出せない・・・また暮らすようなことがあれば自然と、馴染んでいくものなのですかね?人間はある程度は慣れる生き物ですから。

いや、しかし。それにしても・・・。

思えば遠くに来たもんだ。


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coldmountainstudy  店主:鳥越将路

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