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リジェネシス No2

6月はいつも気分が優れない。目覚めから気分を落とされる。そう、雨が多いから。

私は雨が嫌い。寝付きが悪かった朝に雨音が聞こえるとホント気分が落ちる。晴れの日でもココロは晴れないのに、雨なんてきたら1日中下向きになりかねない。

「洗濯どーしよ‥」

朝から考えなきゃいけないのがホントに面倒だ。だからと言って朝のルーティンは崩す事は出来ない私。横で眠る我が子を見つめ「寝れていいよね」って思わず口から言葉が漏れそうになる。 「やらなきゃ」「めんどうだな」       頭の中で声が聞こえる。そんな声を振り切り動き出す。6月の朝はそんな憂鬱な気分とのご対面からのスタート。

少しでも気を紛らわせたい。朝の一服。

もちろん気分なんて落ち着かないよ。けれどルーティン通りにやれないと嫌になる。そんな些細なつまづきで全てが嫌になる気持ちわかるかな? 台所の換気扇に吸い込まれていく煙を見て全部悪い事、吸い込んでほしいなって思う。

こんな気持ちがわかって欲しい人。      それはタクヤ。だった‥‥。         いつからだろ?そんな気持ちも無くなったの。 ココロの中で呟く。Twitterにこんな事書けない。知って欲しい・理解して欲しい人からのリツイートは私のココロには届かない。  

雨の日は独りを強く感じさせる

ココロが疲れていても「普段通り」の日々は続く私は子供がいる母親だから仕方ない      子供の存在が壊れそうな私を保っていられるモチベーションだった。タクヤに一生懸命にはなれないけれど、子供には何があっても手は抜かない自分がいる。

これって「当たり前」って事かな?

会話も会う時間も少ない私達にとっては、この疑問の答えも自己完結させるしか無かった。   だから、すれ違いは埋まらない。       家族って何?夫婦って何?子育ては私だけがするものなの?タクヤの意見を聞く事なく、自分で答えを見つける孤独。今思えば、察してほしい病に侵され会話する事を放棄した末路なんだと思う。こんな事慣れたくなんかないのに、繰り返す日常に諦めと苛立ちを抱え、慣れる事でやり過ごす自分がいた。

この時はわからなかった。そんな日常を作っている原因が自分にもある事を。歪んだフィルタから見える世界の中で必死にもがいていたことを‥‥

続く



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