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サザエさんの息子
「サイフを忘れて愉快な…」ことなんて、しょっちゅうだった。
ボクの母ちゃんは、
ちらし寿司を作って桶ごと冷ましていたら、
玄関でピンポンと鳴って「はーい」と足をつっこんだ。
テレビの視聴者プレゼントに応募しようと、
スーパーのチラシの裏に大事に応募先をメモっても、
必ずどこかへ失くした。
家に来客があったとき、
うっかり犬のご飯を作る鍋でお茶を沸かした。
あわてんぼで、おっちょこちょいだった。
また、いつもおどけた冗談を言って、家族を笑わせた。
「シオツマ、シオツマ」とボクを呼んで「なんや?」と近づくと、
「ほら」とお尻を上げて、プー。
ボクが嫌な顔をすると、ケラケラ笑っていた。
明るく我が家のムードメーカーで、近所の人気者だった。
情にもろく、朝から晩まで働き者で、子どもたちを心から愛してくれた。
まるで太陽のような、サザエさんのような人だった。
パーマの髪型もそれっぽかった。
だとすると、さしずめボクは大人になったタラちゃんなのかもしれない。
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やさしさが服を着て歩いているような人で、テレビみてすぐ泣いた。
どこに琴線があるのか、よくわからないけど、
なぜか水戸黄門や吉本新喜劇を見ても、泣いていた。
ボクが昔から憧れていた職業に内定した時は、抱き合って泣いてくれた。
東京に行く日には、泣きながら見えなくなるまでいつまでも見送っていた。
いつも1人暮らしのボクの部屋には段ボールが届き、日用品や調理器具、野菜や米などを送ってきた。
「東京で買えるからええのに」と言っても隙間にまでタオルやホカロンをぎゅーぎゅーに詰め込んでいた。
それと、「しんどかったらいつでも帰って来いや。」という手紙を添えて。
今、人の親になってみて思う。
隙間なく詰め込んでいたのは、荷物だけではなかった気がする。
子どもの頃よく言われた。
「あんたのエエとこは、人が考えへんようなトンチを思いつくところと、我慢強く努力するとこや。」
その言葉を一生忘れず、大人になった今でも仕事で行き詰った時に、あの声を思い出して自分を戒めている。
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東京で働き始めてからほどない頃、
「母ちゃんが、あと2ヶ月。」
と聞かされた。
あまりに突然で、あまりに若かった。
そこから毎週のように週末、新幹線で病院へ行った。
病室のベッド横に腰掛け、暗くなるまで話しかけた。
強い薬のせいで意識があるのかないのか分からぬ母ちゃんに、子どもの頃の思い出話をひとつひとつ「あそこ行ったな。みんなで楽しかったな。」と語りかけた。
涙があふれて止まらなかった。
だけど悟られてはいけない。父の判断で母ちゃんには本当の病名は知らせていなかった。「いつか退院して東京へ行こうな」と、楽しい夢をもたせたまま逝かせたかったという。
母は、わかっているのかわからないのか、酸素マスクに仰向けの目には涙がいっぱいたまっていた。
そのボクの姿をドアの隙間から見て、親戚のおばちゃんはこっそり泣いていたそうだ。
数年たって、そのおばちゃんが話してくれたのだが、
「お母さんは、あんたが東京に行ってしまったとき、『もう息子は死んだんや、おらんようになったと思うようにしたんや。そうせんと辛うて、辛うて…』とおいおい泣いてはったわ。」
その言葉を聞いて、こんなことになる前にもっと実家に帰ればよかったと、悔いた。
お葬式には、普通の主婦だったのに、驚くほど大勢の人が参列した。
近所の人、習い事の友だち、友だちの友だち、またその友だち…。まるで社葬のように隣の隣の家まで列が伸びた。想像を超えるほど交友関係が広く、多くの人に愛されていたことを知った。
妻を亡くして、見ていられないほど憔悴していた父ちゃんが、
「こんなに友だち多かったんや。」
驚きの中に嬉しさの混じる表情で、ぽつりとつぶやいた。
なぜ今、こんな話を…?
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先日、2022年という新しい年が明けた。
母ちゃん。
ボクは今年、
母ちゃんと同い年になる。
そう思うと、人生を終えるにはあまりに若かった。若すぎた。
さぞ無念だっただろう。
まだまだ見たいこと、やりたいこといっぱいあったはず。
新しい家族のできた今のボクには、痛いほどわかる。
その母ちゃんが、生前、ずっと言っていたことがあった。
「ええ子おらんのか?」「彼女できたか。」「お嫁さん見たいな。」「いつか孫が見たいな。」
だけど、親に対する息子特有の照れくささで、若いボクは「おらん、おらん」とあしらっていた。「そのうち、何年か後にはいつかそんな日が来るだろう」とのんびり構えていた。しかし、ボクの残酷な怠惰のせいで、ついぞ実現することはなかった。
思春期だからって恥ずかしがらず、嘘でもジャンジャン女の子の友だちを家に連れて行けばよかった。
悔いている。後悔の念でたまらなくなる。
あの頃のボク、中坊と高校生と大学生のボクを並べて、1発づつ頭を殴ってやりたい。
母ちゃん、ごめん。
結婚式では、金屏風に父ちゃん1人を立たせてしまった。
テーブルで笑っている母ちゃんは、白黒写真だった。
もし、元気で生きていたなら、今ごろきっとボクの奥さんや孫に会うために、しょっちゅう東京に来ただろう。
ボクがあきれて「もう、ええ加減にしい。」と笑顔でいなすほどだったろう。
もしも一生に一度だけ使えるタイムマシンがあったら、
宝くじを買うよりも、母に会いに行きたい。
ボクの新しい家族に会わせたいから。
そんなことを考えたからだろうか、
ボクは夢を見た。
夢の中で、母ちゃんが出てきて、
ボクは奥さんと子どもたちを紹介していた。
初めて母ちゃんに家族を会わせる…。
「お母ちゃん、これがボクの嫁さんやで、それからこの子らが娘。中学生と小学生。
ほら、おばあちゃんに『こんにちは』って。」
紹介している途中で、母ちゃんが泣けてきているのを見て、胸が詰まる。
「まさかの女の子やで。母ちゃんの息子は3人でむさ苦しい男所帯やったのに。お母ちゃんいつも『あんたの代わりに女の子が欲しかった』って言ってたやろ。『女の子がいたら私の作った服着せたい』って言うてたやん。ほら、女の子やで。」
「ほんまや。ほんまや。あんたでかしたなあ。」
母ちゃんは、初めて会ったボクの家族をまじまじと眺めて、あふれる涙でいっぱいの顔をくしゃくしゃにした。
初めて会った妻が挨拶すると、
「べっぴんさんのお嫁さんや。こんなアホんトコにお嫁さんに来てくれはっておおきにな。ほんまにおおきに。」
両手で手を握って、何度も頭を下げた。
初対面にはにかむ娘たちの顔を覗き込み、
「あんたら、名前なんて言うんや。可愛いなあ。おばあちゃんに似たら将来美人になるで。」
冗談をかましつつ、孫2人を強く抱きしめた。
母ちゃんの涙に濡れる笑顔を見て、
ボクは長い間背負っていた重い荷物をおろせたような安堵感で、声を上げて泣いた。
と、その時、
自分の泣き声で目が覚めた。
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世界中のお母さん。
元気でいてくれて、ありがとう。
あなたたちは、生きて、そこにいてくれるだけで素晴らしい。
髪を振り乱して説教をしているあなたは、美しい。
寝ころんでテレビを見ながらプッとするあなたも、美しい。
子どもたちは、一緒にいても遠く離れても、
あなたに癒され、勇気づけられ、生かされています。
あなたの努力と献身を、
子どもたちが身をもって知る時がいつか必ず来ます。
世界中のお母さん、そこにいてくれてありがとう。
いつまでもお元気で。
どうかボクの母ちゃんの分も。
それだけで充分です。
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