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認定NPO法人抱樸を訪ねました~北九州市~

認定NPO法人抱樸

認定NPO法人抱樸を訪ねました。
以前からSNSなどで名前や活動は知っていたけど、コモンズ投信のコモンズ社会起業家フォーラムで奥田さんが登壇して、更に興味を持った団体です。

コモンズ投信のお仲間の特別ツアーに参加して、炊き出し、深夜のパトロール(見回り)、抱樸の活動についての説明や施設見学、希望のまちプロジェクトの説明と現地見学など盛りだくさんの内容でした。

炊き出しと深夜のパトロール(見回り)の様子は、こちらで投稿しています。

認定NPO法人抱樸について~奥田さんたちから聞いた話~

いい話、興味深い話がたくさんありましたが、以下は奥田さんからの特に印象に残った言葉などのメモ書きです。

奥田さんの説明

・抱樸では相談より対話を大切にしている。
・現代人は時間で動いているが、カイロスを大切にしたい。
・全ては目の前のひととの出会いがスタート。
・出会いを事業として取り組み、事業を制度にする。
・制度があっても、制度を使えていないひとたちがいるのが現状。
・制度を使えてないひとをどう支援するのか。それが居住支援。
・地域共生社会の創造・・・最後は葬式まで行う互助会が例。
・ホームレスとハウスレスは異なる。
・自立支援は大切だが、自立が孤独を生むこともある。
・繋がりこそが問題を解決する。
・「希望のまち」まちを大きな家族にする。
・1980年代の制度が今の社会像にあっていない。
・家族機能を社会化する。

頷き、響く内容がかなりありました。

どうにかして解決しよう、解決するにはどう動けばいいのか。
そうして動いてきたのが抱樸であり、抱樸はずっと変わり続けるんだろうなと思います。
ひとりひとりが異なる課題を抱えています。
自分で解決できることもあるし、誰かの支援が必要なひともいる。
誰かが寄り添うことで、課題を解決できる。
課題を解決できれば、今よりも幸せになれるんじゃないかな。
それは、本人も、寄り添ったひとも。

野宿を経験した方、「なかまの会」の方からも話を聞けました。

どうして野宿をすることになったのか。
助けてと声を上げられなかったのか。
どうやって抱樸と出会ったのか。
自殺しようと思ったが、自殺できなかった。
どうにもならなくなったときに抱樸の炊き出しと出会って、野宿から抜け出した。
助けてと言えて良かった。
いまは子どもたちにも講演をしているが、子どもたちから自殺したいという話を聞いて、助けてと言えるようになりたい、助ける側になりたいと思った。

助けてと言えて良かったという言葉が、響きました。
そして子どもたちが自殺のことを考えているという言葉にはショックを受けました。

別の方からはこんな話が聞けました。

ホームレスになるとは思ってもいなかった。
自分がかかわることはないと思っていた。
助けてとは言いにくいし、かかわりたくないと思う自分がいた。

教会の見学

教会の見学をさせていただきました。
手塚建築研究所が設計したそうです。

教会

「軒の教会」

手塚建築研究所のサイトを見るとこんなことが書かれていました。

日本人の優しさは常に軒の下に凝集していたように思う。日本はとかく雨が多い。夏の日差しも暑い。その難題を軒という実にありふれた道具はいとも簡単に解いてしまう。ところが日本人はなぜかその便利な軒を現代化の過程で時代遅れなしつらえとして殆ど排除してしまった。そもそも軒は日本のライフスタイルに必需品なのである。軒が無ければ雨の日に窓が開けられないではないか。雨は蚊を撃墜するので網戸もいらない。夏の日にひとしきり降る雨は趣がある。軒がなければその趣を愉しむことはできない。縁側とはこの快適なひと時を嗜む為の腰掛けである。縁側でお婆さんがみかんを孫に与えつつ昔話を語り伝える光景は日本人なら誰でも脳裏に浮かべる古き良き日本の風景ではないか。軒が無ければ窓もなく縁側もなくこの日本らしい情景はない。結果としてこの年寄りと孫の会話も存在しない。いまや日本の原風景を代表しているアニメーション「となりのととろ」は雨宿りという舞台設定無しには成立しない。カンタが自らが濡れるのも厭わず雨傘をサツキちゃんへ貸し出す甘酸っぱいシーンや、バス停で傘を差していたらトトロが現れるシーン、全て雨宿りを背景に展開される出逢いである。
日本の大都市では雨宿りができなくなってしまった。まずそもそも現代の建物には軒がない。もしくは軒があったとしても、住宅は軒の道路境界線にそそり立つ壁に遮られていて道とは縁がない。コンビニエンスストアには僅かながらも軒がある。今や軒は希少である。だからその僅かな軒を求めて悪ガキどもが集まるのは当然のことなのだ。コンビニの軒下に集う悪ガキ共は、コンクリート護岸によって産卵場を失った川魚に似ている。他に寄り添うべき軒下が見つからず、結果として群れているのだ。
そもそも日本建築とは屋根なのである。貝殻のような美しいシドニーのオペラハウスを設計したヨーンウッツオンという有名な建築家は、日本建築を屋根だけを空中に浮かせたスケッチで表現した。西洋建築で最も大切にすべき外壁が見当たらず、スルスルとスライドする紙でできた仕切りしか見受けられなかったからである。要は日本建築が建築に見えなかったのである。壁は人を守るために存在する。西洋建築の概念では建築の始まりをシェルターと定義する。西洋人から見れば壁のない日本建築はどうにも頼りない。ところがこの頼りなさこそが日本建築の本質と言って良い。建物の中は外であるが中でもあるのである。これは西洋建築のポーチとは全く違う。西洋建築のポーチの裏には歴とした壁に囲まれた部屋があるが、日本建築は全てポーチと言って良い。日本建築の玄関は曖昧である。日本人は親しい客を縁側に回すという習慣がある。この場合玄関とは格式をあらわす象徴でしかない。伝統的な日本建築の場合グルリと軒と縁側が回っているから、建物全部が入り口といっても差し支えがない。

手塚建築研究所ホームページより

そうか。
抱樸は軒なんだな。
ストンと腑に落ちました。

それは、こちらも。

驚いたことに奥田先生はアルコールがお好きである。私には牧師という尊称には清廉潔白な印象がつきまとっていて、イエスの血であるぶどう酒を丁寧に口に含むという印象でしかなかったからである。奥田先生が嗜むのは焼酎の水割りである。勿論牧師さんであるから深酒をするわけではないのであるが、周辺の人を巻き込む低気圧のような酒である。私もその種の低気圧は得意とするところなので、自らも低気圧となって合流して、いよいよ周りの方々を巻き込んで陽気な雨を振りしきらせて頂いた。これが実に楽しい。奥田先生と私が丁度50歳という角を共に曲がる一体感の成せる技であるのかもしれないが、部活動の同僚と酌み交わすような平和な空気が流れていた。酒宴は時として夜半を超えて続くのであるが、其の間殆ど会堂の話などしない。全て四方山話である。

パトロール(見回り)後に、奥田さんと飲んだお酒は、まさにこんな感じです。
なにしろ、とても楽しい時間でした。

抱樸館北九州の見学

抱樸館北九州は東八幡キリスト教会の道路向かいにあります。
見学中に入所者の方と話が出来ました。
そこは談話室です。

いろんな施設が入っています



「タバコだけがたのしみでね。」

そう言った入所者の方の笑顔が印象的でした。
住み心地、居心地がいいんだな。

吹き抜けのある明るい施設

食事はコストはかかるものの、手作りを大切にしているということで、お弁当などではなく、抱樸館北九州で作っているそうです。
食べてみたいですね。

詳しく説明していただきました

見守り支援付き住宅(プラザ抱樸)

2017年5月7日、北九州市の民間アパート中村荘(単身低所得者が入居できる低家賃アパート)が全焼し、6名が死亡。全員の身元が分かるまで2ヶ月以上を要した事件がありました。単身、高齢、低所得、無縁の人には「安い」が危険で孤独な住まいしかありませんでした。わたしたちはとてもショックを受け、「彼らが安心して暮らせる“家”をなんとかせねば!」と思いました。

抱樸ホームページより

こんななんとかせねばという想いから始まった、空きマンションを活用した支援施設です。
グループホームも併設し、日常的な見守りと専門的な生活支援も受けられる施設です。
わたしの部屋よりいいかも。
そんな感想を持ちました。
でも、マンションならではの問題、お隣さんとの繋がりが課題のひとつだそうです。

保証人ってハードルが高いですよね。
それをクリアできる施設だと思います。

また全国的なニーズがあるものの、制度に大きな差があったり、障がいによってはNGだということがほとんどだそうです。

ステキな部屋

希望のまち

希望のまちプロジェクトの建設が間もなく始まるそうです。
その場所で、現在の取り組みについて説明していただきました。

たくさんのプロジェクトを実施中

「希望のまちプロジェクト」は、福岡県北九州市に様々な機能を持った複合型社会福祉施設を建設し、そこを拠点にコンセプトとしての「まち」を拡げていきたいとするものです。

その「まち」は、「孤立する人がいないまち」であり、「誰もが助けてと言えるまち」。
それは「お互い様のまち」であり、「助けられた人が助ける人になれるまち」。

私たちは、格差が広がるこの国で「ひとりも取り残されないまちを」つくりたい。
ここに来れば、みんなに「居場所と出番」があって、それぞれが誰かの「ホーム」になれる。
そんな場所にしたいと願っているのです。

抱樸ホームページより

この場所でフリーマーケット、竹あかりイベント、コミュニティカフェなどを開催して、既に地域に溶け込み始めているんだと感じました。

資材、人件費も上昇して、計画の変更を余儀なくされているそうですが、きっと希望のまちは完成し、希望があふれ、飛び交う場所になるんじゃないかと思います。

寄付も受け付けているそうなので、いまからでも参加できますよ。

では。

関心を持ってくれてありがとうございます。 いただいたサポートは、取材のために使わせていただきます。 わたしも普段からあちらこちらにサポートさせてもらっています。 サポートはしてもしてもらっても気持ちが嬉しいですよね。 よろしくお願いしますね。