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人類が宇宙開発に挑み続けることの意義

先日、JAXA内之浦宇宙空間観測所を見学しました。
 
およそ30年前にバイクで通りかかったときは、一般開放の気配も無かったのですが、現在は、正門で手続をすれば自家用車で構内を見て回ることができます。
 
広い構内では、ロケット発射場や巨大パラボラアンテナなどの施設を、隣接する宇宙科学資料館では、日本の宇宙開発史やロケットのしくみやなどの学習をすることができます。

宇宙科学資料館
(Photo by ISSA)

少し離れたところには宇宙、ロケット、人工衛星、探査機などをモチーフにしたお土産屋さんもありました。

宙の家 SORA no IE
(Photo by ISSA)

内之浦の位置
内之浦は鹿児島県東部に位置する人口約4,500人の小さな町ですが、ロケット祭り(8月)や銀河マラソン(11月)など、宇宙をテーマとした町おこしにも取り組んでいます。

内之浦宇宙空間観測所の位置
(Created by ISSA)

観測所の概観
1963年に東京大学がこの地にロケット発射基地を開設以来、カッパ、ラムダ、ミュー、そしてイプシロン(後述)などのロケットを用いて、様々な人工衛星や探査機(注1) を打ち上げています。
 
(注1) 地球周回軌道を回るものを人工衛星、地球周回軌道から離脱して星間航行するものを探査機と呼ぶ

内之浦から打ち上げられた歴代ロケット
(JAXAホームページ)

日本のロケット打ち上げ基地は、この内之浦種子島(いずれも鹿児島県)の2箇所しかありません(H2A等の大型ロケットは種子島から打ち上げ)。

観測所の歴史
宇宙開発の父とよばれる糸川英夫(いとかわ ひでお)博士(後述)が、様々な条件を考慮して、内之浦をロケット射場とすることを決めたそうです。

当初は東京大学の宇宙空間観測所として1963年に開所され、その後、文部省の宇宙科学研究所を経て、現在のJAXAの宇宙空間観測所に至っています。
 
日本初の人工衛星「おおすみ」
1970年、日本初の人工衛星「おおすみ」が内之浦から打ち上げられました。

日本初の人工衛星「おおすみ」
(JAXAホームページ)

このとき、日本はソ連(当時)、米国、フランスに次いで、史上4番目の人工衛星打上げ国となったのです。

当時の新聞報道
(Photo by ISSA)

小惑星探査機「はやぶさ」
それから33年後、小惑星探索機「はやぶさ」も内之浦から打ち上げられています。長期にわたる宇宙探査の中で様々なトラブルを克服し、7年後に地球に帰還したことで感動を呼び、その後、幾つも映画化されました。

映画「はやぶさ/HAYABUSA」
(公開:2011年、主演:竹内結子)

映画「はやぶさ 遥かなる帰還」
(公開:2012年、主演:渡辺 謙)

映画「おかえり、はやぶさ」
(公開:2012年、主演:藤原竜也)

はやぶさは内之浦で組み立てられ、2003年5月9日、M-Vロケット5号機で打ち上げられました。

コードネームはMUSES-C(ミューゼス・シー)(注2)。その使命は、イオンエンジンと光学情報に基づく自律航法で星間航行し、小惑星25143の表面から標本を採取して地球に持ち帰ること(サンプル・リターン)でした。
 
(注2) 内之浦からM(ミュー)ロケットで打ち上げられる人工衛星や探査機の名称
 
対象となった小惑星25143は、2003年、先述の糸川博士(注3) の名にちなんで「イトカワ」と名づけられました。
 
探査機には、奇しくも彼が生前手がけた陸軍戦闘機「隼」と同じ「はやぶさ」の名が付けられたのです。

左:はやぶさを打ち上げたMロケット     
中:生誕100周年に建立された糸川博士の銅像 
右:ロケット開発の父・糸川英夫博士    

(注3) 糸川英夫(1912-1999)は日本の工学者。宇宙開発を先導し、ロケット開発の父などと呼ばれる。戦前は帝国陸軍の戦闘機「隼」などの設計に携わり、戦後は東京大学でロケットや人工衛星の開発実験に関わった
 
はやぶさは、2004年5月、地球から3,700kmの軌道上でスイングバイ(注4) して、2005年9月にイトカワとランデブー。同年11月26日、イトカワへのタッチダウンに成功しました。
 
(注4) 探査機をより遠くに飛ばすため、惑星の引力を利用して加速する方法

イトカワにタッチダウンするはやぶさのイメージ
(JAXAホームページ)

しかし、2005年12月、地球との通信が途絶えてしまいます。2007年1月になって通信が回復しますが、2009年11月、今度はエンジンが故障。度重なるトラブルを克服し、4基のうち2基のエンジンの始動に成功して、かろうじて地球に帰還することができました。

7年間で60億キロという途方もない旅路の末、満身創痍で母なる地球に帰って来たはやぶさ。下の写真は、はやぶさが最後に渾身の力を振り絞って捉えた地球の姿です。

はやぶさによる最後の一枚
(JAXAホームページ)

2010年6月13日、はやぶさはイトカワから持ち帰ったサンプルが入ったカプセルを分離し大気圏に突入。自身は大気圏で崩壊しながら燃え尽きました(翌14日、カプセルは豪州の砂漠で回収されミッションは成功した)。

その姿は、はかなくも美しく、関係者のみならず多くの人が感動の渦に呑み込まれました。何故、はやぶさがこれほどの感動を呼んだのか。
 
華やかなる旅立ち
立ちはだかる幾多の障壁
故郷との連絡が途絶え
傷つき路頭に迷った末に
生まれ故郷の地球に還り着いた
遠のく意識の中で
母なる地球の姿を目に焼き付け
この世界に生きた証を後世に託し
眩い光に包まれ天に召された
 
それは、はやぶさによる深淵なる宇宙探査が、「壮絶なる人の一生」と重なって見えたからだと思います。
 
イプシロン・ロケットへの期待
はやぶさを打ち上げたM-Vロケットの後継として、JAXAとIHIエアロスペースにより開発されたのがイプシロン・ロケットです。

イプシロン・ロケットの打ち上げ
(JAXAホームページ)

イプシロンは、宇宙利用の敷居を下げて国際競争力を強化する目的で作られたロケットで、その特徴は固体燃料(注5) を使っていることや、打ち上げコストが抑えられていること、振動や衝撃を緩和し人工衛星に優しい搭載環境を実現していることです。
 
(注5) 液体燃料に比べて取り扱いが容易で、打ち上げまでの所要期間を短縮でき、より大きな推進力を引き出すことができる
 
2013年の初号機以降、6回打ち上げていますが、6回目となる2022年10月に、一度、失敗しています(燃料タンク内のゴム膜剥離による燃料配管への目づまりが原因)。
 
改良型のイプシロンSは、H3ロケットと共通のコンポーネントを使うことで低コスト化を実現させることが期待されています。
 
間もなく引退を迎えるH2Aロケット
H2Aロケットはイプシロンよりも大型で、内之浦ではなく種子島宇宙センターから打ち上げられている汎用ロケットです。
 
JAXAと三菱重工が共同開発し、2001年から運用されています(2007年に打ち上げ業務をJAXAから三菱重工に移管)。打ち上げ成功率は約98%と、世界最高水準の高い信頼性を誇っています。
 
ただ、近年は別のロケットや探査機で失敗が相次いでいました。
 
● 昨年10月、イプシロン6号機の打ち上げに失敗
● 昨年11月、月探査機「OMOTENASHI」が月面着陸を断念
● 今年3月、H3ロケットの打ち上げに失敗
● 今年7月、イプシロンSのエンジン地上燃焼試験中に爆発が生起
 
そのような中、追加の安全対策を施したH2Aロケット47号機が、今月7日、種子島宇宙センターから打ち上げられ、X線天文衛星「XRISM」(クリズム)月探査機「SLIM」(スリム)の軌道投入に成功しました。

今回、宇宙空間に運んだSLIMは来年初頭に月面着陸(注6) に挑むことになっており、着陸に成功すれば、米国、ロシア、中国、インドに次ぐ5か国目となります。
 
(注6) 従来の探査機では着陸誤差が数キロメートルのところ、SLIMは100メートル以内のピンポイント着陸に挑戦する

一方、JAXA、NASA、ESAが共同開発したXRISMは、地球を周回しながら、X線やダークマター(注7) などを観測し、宇宙の構造が形成された過程や、物質が宇宙に広がる仕組みを明らかにするそうです。
 
(注7) ダークマターについてはこちら☟

高まるH3ロケットへの期待
近年、通信衛星の利用拡大や安全保障上の観点などから、ロケットの打ち上げ需要は高まって(注8) います。
 
(注8)  2022年の世界の打ち上げ回数は過去最高の178回(前年比で3割増)
 
先述のとおり、日本は今年3月にH3ロケットの打ち上げに失敗しましたが、国際的な競争力を向上するには、H3の打ち上げを早期に成功させる必要があります。
 
H2Aは50号機を最後に運用を終わる予定ですので、日本の宇宙業界は今、それまでに何としてでもH3ロケットの安定運用を実現しなければならない瀬戸際にあるのです。
 
変わりゆく宇宙環境
近年、地球周辺の宇宙環境は大きく様変わりしました。
 
かつて、宇宙は人工衛星の安全を脅かすものは何もない、宇宙大国・米国のサンクチュアリ(聖域)となっていました。1980年代から人工衛星と軍事の連携が本格化し、GPSを利用したピンポイント攻撃に米国の敵対勢力は恐れをなした。
 
しかし、彼らは次第にそれこそが米国という巨人のアキレス腱であることに気づき始め、人工衛星などを攻撃する技術を開発して、次第にその聖域を脅かすようになっていったのです。
 
2001年、ラムズフェルド国防長官(当時)は、人工衛星に対する奇襲攻撃を意味するスペース・パールハーバーに警鐘を鳴らしましたが、2007年にその懸念が現実のものとなります。
 
中国が、地上から発射したミサイルにより、高度865kmの軌道上にあった自国の人工衛星を破壊する実験を行い、軌道上に約3,000個ものデブリ(宇宙ごみ)を発生させたのです。
 
このことを重く受け止めた米国は、ケスラー・シンドローム(注9) などの最悪の事態も考慮し、2011年に国家安全保障宇宙戦略(NSSS)を策定。
 
宇宙監視レーダー、運用センター、宇宙軍などを創設し、スペースXなどの宇宙ベンチャーの参入を促すなど、衝突や攻撃の予兆を監視し、或いは無力化する方策を次々に実行に移しました。
 
(注9) 地球周回軌道にあるデブリが臨界値を超えると、人工衛星との衝突が連鎖的に拡大し、最終的には軌道全域がデブリに覆われ、長期にわたり宇宙へのアクセスが不可能になること

そして今では、日本周辺の海空域のみならず、宇宙空間さえも敵対国の脅威に晒され、その攻撃から守ることが喫緊の課題となっているのです。
 
宇宙の安全確保を阻む根本的な問題は 
こうした情勢の中、昨年3月、航空自衛隊に宇宙作戦群が新編され、米国主体の宇宙監視網に参入しました。
 
ただ、これだけでは不十分です。日本が抱える根本的な問題は、科学と軍事の間に隔たるギャップが大きいことです。
 
科学と軍事の接近は、何も中国やロシアに限ったことではありません。
 
例えば、米国の民間企業スペースXは、軍事衛星の打ち上げを担うほか、4,500基を超えるスターリンクは、ウクライナの戦局をも左右します(そういう意味では、スペースXもワグネルのような民間軍事会社と言っても過言ではない)。
 
例えば、日本も国家安全保障戦略で認められた反撃能力にイプシロン・ロケットの技術を転用する。
 
実際にそうするかは別として、少なくとも潜在的な能力を保有し、いざとなればミサイルに転用するという意思を示すだけでも、十分に抑止力の一翼になるのです。
 
国際社会の厳しい現実の前に、科学はいつまでも純真無垢なままではいられません。今ほど、各界のリーダーに戦略的思考が求められている時代はないと思います。
 
おわりに
人類が宇宙開発に挑み続けることの意義は、恐らく「私たちはどこから来て、どこへ向かおうとしているのか」という根源的な問いへの答えがそこにあるからだと思います。

他方で、かつて黒船に脅かされた幕末の志士は、海を見つめて「藩と藩で歪み合っている場合じゃない、日本人として纏まることが必要だ」と考えたように、宇宙を見つめると「国と国で歪み合ってる場合じゃない、地球人として纏まることが必要だ」という意識改革を呼び覚ます。
 
このことも、私たち人類が宇宙開発に挑み続けることの、もうひとつの意義なのではないかと思います。
 
機会があれば、是非、内之浦を訪れてみてください🚀✨

  「人生で大切なのは、失敗の歴史である」
       ~ 糸川英夫 ~