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亡き父が示してくれた道標 Part2

3年ぶりの行動制限のない夏。
お盆休みに帰省しました。
 
たまには車で帰ろうと思い、
片道5〜6時間の道程をゆっくり走り出す。
 
北九州の門司に立ち寄る
途中、関門海峡に面した門司に立ち寄り、
前から行きたかった出光創業史料室へ。

日章丸二世(出光創業史料室)

入場料はたったの100円。
 
夢中になり過ぎて、気がつけば1時間半。
「海賊と呼ばれた男」の半生を存分に堪能。
(出光の話は近日中に投稿予定)
 
我が故郷・熊本
その後、九州自動車道を南へ。
 
鹿央(かおう)の高速バス停あたりで
急に景色がパァーっと開けて、
雄大な阿蘇の山々が
みえてくるポイントが好きで、
 
ここを通るたびに、いつも
ああ、ようやく故郷に帰ってきたなぁ
と感じていた。

阿蘇五岳のイメージ(aso-san.com

熊本を離れて早30年以上の月日が流れ、
その時々で、様々な思いを抱えながら
通ってきた故郷への道。
 
久しぶりに雄大な阿蘇の山々をみた瞬間、
急に色んな思いと涙がどっと溢れ出し、
何故だか「もう疲れたよ…」と呟いていた。
 
やがて、辿り着いたのは母校の正門。
エンジンを止めて、しばし佇む。

懐かしい母校の風景

遠くから微かにブラバンの音が聞こえる。
当時は、出来たばかりの真新しい学校。
その生徒であることに誇りを感じていた。
 
友達と他愛のないバカ話で笑いあって、
まるでスローモーションのように
目の前を自転車で通り過ぎていった
あの子への恋心に、しばし想いを馳せる。
 
実家の現状
実家に着くと、途端に現実に引き戻される。
親父が亡くなって2度目の暑い夏がきた。

亡き父が示してくれた道標でも記載した
親父は昭和~平成期のサラリーマンとして
定年まで勤め上げた企業戦士。

定年後は高齢化社会を見据えて、自宅を
高齢者向け優良賃貸アパートに建て替え、
それからずっと入居者のために尽くした。

2年前、親父は急死したので、
残された家族・親族には
事業の細部を知る者はおらず、
当初はかなり混乱した。
 
一時期、この事業を手放す話も出たけど、
結局、親父の「遺志」を引き継ぐことに。
 
といっても、
親父の「遺志」って、具体的に何なのか…
誰ひとり知る由もなく。
 
親父の「遺志」とは
ただ、生前の親父の生き様から、
何となく思い当たる節はあった。

祖母譲りで信心深く、
困難にあっても
決して朗らかさを失わず、
誰にでも壁を作らず、
常に相手を思い相手を優先した。

そんな父が大切にした言葉は
「一期一会」

「一期一会」、親父が大切にした言葉

「この人とは、これが今生の別れになる」

そういう思いで、
今、自分が向き合っている
その人との時間に全力を傾ける。

これが親父の生き様だった。

「ずいぶん儲かってんじゃないの?」
とか、心ない事を言う人も居たけど、

実際、儲けなんてものはなく、
そこにあるのは、
首の皮一枚でどうにか回っている仕事のみ。

いわば、尻もちつきながらの低空飛行状態。
熊本地震による想定外の出費が痛かった。

結局のところ、親父の「遺志」とは、
この事業は社会貢献活動なのであり、
この活動を通じて家族が結束し、
それぞれが一期一会を実践
して欲しい
そういうことなのではないか。

自分としてはそう理解するしかなかった。

如何に生きるか
翻って自分が置かれた境遇をみれば、
成人した我が子の進路は未だ決まらず。
関東にある持ち家はどうするのか。
 
仕事は難題に次ぐ難題続きで
気が休まるヒマもない。
 
気付けば組織でもずいぶん上位にいて。
自分を理解し、労ってくれる人も居ない。

色々、話を聞いて欲しいのに、
相談するというより、
いつも相談される側。

世の中、
コロナやら、不景気やら、
少子高齢化やら、温暖化やら、
銃撃事件やら、侵略戦争やら、
先行き不安な事ばかり。

価値観の多様化を逆手に
社会に増殖する
他人の迷惑を顧みない
身勝手な人たち。

こういう人たちに接するたびに、
生きづらさや苦痛を感じてしまう。

マラソンに出るほど自信があった体力は、
春先に突然、襲いかかった
ヘルニアと坐骨神経痛で、著しく低下。

何クソ負けじと、
歯を食いしばって、頑張って、
それでも時に力及ばず、
 
奮闘努力の甲斐もなく
今日も涙の日が落ちる。

江田船山古墳(和水町)

亡き父からの道程
そういう事が積もりに積もって、
鹿央のあたりで阿蘇の山々を見た時に、
「もう疲れたよ…」と、
つい弱音を吐いてしまったのだ。

いつものように、親父の仏前で寝る。
 
おい、親父。
俺はもう疲れたぞ。
そっちで見てるだけで、
黙ってないで、
姿を現すなり、
アドバイスをくれるなり、
何とか言ったらどうだ。

そう問いかけて、
いつの間にか寝てしまっていた。

そして目覚めの時に言葉が舞い降りてきた。

疲弊するまで頑張ることが、
果たして本当に
魂のレベルを上げることになるのか? 

この世界のルールに基づいた仕事を
成し遂げることも、
それはそれで大事なことだけど

それ以上に大事なことは、
人を幸せにする力を身につけることなんや

もちろん、親父とは
魂の話などしたことは一度もなく。

昔、ある挫折をきっかけに
飯田史彦さんの「生きがいシリーズ」を
読み漁っていた頃があって、

その中で、ある被験者の
「最も魂のレベルが高い人はどんな人か」
との問いに、高次の存在が
それは人を笑顔にできる人だ
と答えていたことが思い出された。

唯物論的には
脳が過去に得た知識を使って、
あたかも親父が語ったように
作用したとも言えるが、
 
私自身は
亡き父からの道標(みちしるべ)であった
と、そう思っている。

高次の存在と繋がる
特に、睡眠から覚醒に向かうとき、
それは高次の存在と繋がる瞬間。
 
完全に覚醒してしまうと、
まるでロウソクの灯火が消えるように
繋がりは失われる。

仮に、脳による作用であったとしても、
舞い降りる言葉を
重要なメッセージと認知し、
その通りに実践したら、
大概、良い結果につながるものだ。

幣立神社(山都町)

そういえば、私の仕事は、
国民の目の届かないところで
人々の幸せな笑顔を守り抜くことだ。

ただ、国民の目が届かないということは、
理解者の少ない孤独な世界でもある。

しかも、
職場は笑顔が溢れているというよりは、
むしろ難題に取り組む
険しい面々に満ちている。

海外を含め、転勤を繰り返すこと、
もうかれこれ27回(だっけな?)。
その度に、イチから出直しの我が人生。

そんな人生で学んだことを、
ひとつご紹介したいと思います。

それは、

お金、地位、名声、経験、学歴 …

自分が積み上げたと思い込んでいるものに
執着するから、生きることが怖くなる

ということ。

何歳になろうとも、常にイチから出直し

いつもその覚悟さえ持っていれば、
どんな苦境だって乗り越えられるし、
 
周りの険しい面々を
笑顔に変えることだってできる。

そして、私が一緒に仕事したいと思う人は、
お金、地位、名声、経験、学歴の上に
胡座をかいている人間ではなく、

いつも初心や目的意識を見失わず、
イチから学び直す気概に溢れている人

人を採用するとき、
或いは、自身が採用されるとき、
ただこの一点だけを気にしていれば
十分だと思います。

おわりに
とりとめのない話になりましたが、
心に残った名作映画10選(洋画編)でも
ご紹介した
チャップリンのモダンタイムスを
是非、観てください。
(もう観たという方は、是非、もう一度)

モダン・タイムス(Modern Times)

人を笑顔(スマイル)にし、
幸せにするとは、一体どういうことなのか
そのことが一目瞭然
ですから。

お金、地位、名声、経験、学歴に関わらず、
一期一会の精神で、今を生きる。

ただ優しいだけじゃなく、
苦しくても笑顔を絶やさない
たくましさ

それこそが、心から人を笑顔にし、
幸せにできる力の源泉なのだと思います。

そういう人こそ、
真に魂のレベルが高い人
なのではないでしょうか。

私自身は、
その理想にはほど遠い人間ですが、

そう信じて、また、一日一日を、
イチから出直すつもりで歩んでいこう
そんな事を考えた夏の一日でした。

2022年8月 故郷・熊本より