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リチウムの疲労

普通の学校とはどこのことだろうか。

いちおう「普通科」という名前のコースはある。ほかにも定時制とか通信制、商業科に高専など…

私はいろいろなコースのいろいろな生徒に英語を教えている。ものすごく難しい話をすることもあるし、かんたんなクイズを出すだけの日もある。

お気に入りは、「この曲の1番に有名なブランド名が出てくるから、それがどれなのか当てよう」というクイズだ。



生徒よりも、その親たちが「普通の学校」を求めているようだ。普通の学校とはどんな学校なのか。私にはわからない。

それはたぶん、将来普通の仕事について普通の生活ができるくらいお金を得て、他人からみてみっともなくない生き方をはぐくむ学校のことかもしれない。

普通じゃなくなることは、確かに怖い。だが、だからといって無理してバッテリーの疲れ果てたiPhoneを握りしめ、修理にも出さないような生活がほんとうに普通といえるだろうか。



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