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井手上 漠ちゃんのたった一人の制服革命

井手上 漠(いでがみ ばく)ちゃんの母校には制服の「男女」が無いのをご存知だろうか。


タイプ1と2

隠岐島前高校(おきどうぜんこうこう)の報告によると、自身の性別に関わらずタイプ1とタイプ2を選べるらしい。教員いわく、最初は恥ずかしがっていた生徒たちも互いを褒め合うようになったそうだ。生徒はもちろん、先生たちはすごく嬉しいと思う。

漠ちゃんが学校を変えたのだ。暴力も反抗もデモンストレーションもなしに、誰の血も流さずに革命を成し遂げた。


気持ち悪い

漠ちゃんは自己紹介文にも「性別ないです」と書いているように、自分をありのままに生きることを大切にしている。と同時に、かつて何度か他人の言葉に傷つけられたこともあるそうだ。「気持ち悪い」と言われたらしい。

弁論大会でそのことを伝える動画がYouTubeにアップされている。自分の傷を晒したとき、時代を変える一歩もまた確実に踏み出されていたのだ。

ジュノンボーイが漠ちゃんを選んだことが転機となった。いや、真の転機はもっともっと過去にあったのだろう。その後の活躍はみんなの知る通りである。


「性別ない」をどう言い、どう聞くか

ところで漠ちゃんのような人はジェンダーフリーなのだろか?ジェンダーが無いということを表す単語もあるのか?私はこう言ったことにあまり詳しくはない。

ばく

Instagramでは「性別がないにも関わらず女性的なのはなぜ?」と問われ、そもそも「女性像がない」ということを答えた。

私たちの社会の語彙がどれだけ貧困であるのかを痛感するやりとりだ。この記事を書いている私も漠ちゃんのジェンダーを表す単語を知らない。


何より、日本語で言うとさらに難しい。genderとsexがどちらも「性別」と訳されてしまうだけに、セクシャリティとジェンダーの認識が曖昧になってしまうのだ。

私たちはこの世界をありのままに見ていないと言うことになる。漠ちゃんは、世界をありのままに見た、いやそれだけではない。自分自身をもあるがまま見つめる。そんなことができる人はほとんどいない。

私は漠ちゃんが羨ましく、憧れる。もしかしたら漠ちゃんのどこかに鋭く深い傷があるのかもしれない。それでも漠ちゃんは限りなく真っ直ぐに世界を見つめ、限りなくまっすぐに歩く。