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努力の前提

努力が実を結ぶためには、まず再現性の高いことにチャレンジしている、という前提が必要だと思う。

私はいろんな職場で「PDCAサイクル」という言葉を聞いてきた。さいしょに聞いたのは、ITパスポートという資格を取るための試験だった。

PDCAサイクルとは、かんたんにいうと「やってみて、観察して、またやってみる」という動きのことだ。


会社でも聞いた。教育実習でも聞いた。今も聞く。
サラリーマンも教師も学生も、みんながPDCAサイクルを取り入れているようだ。

なんらかの単語でGoogle検索したら、努力が実をむすぶための方法としてPDCAが紹介されるのかな?

これが1950年代に確立された方法だということを知っている人がどれだけいるだろうか。まだビートルズも結成されていない時代である。


PDCAは、ある前提を必要とする。それは、「何度繰り返しても同じような結果になる」、つまり再現性だ。さっきも同じことを書いたね。

だから、テストの点数とか、野球やサッカー、ピアノなんかの上達には役立つだろう。将棋にもぴったりだと思う。


まさか将棋のコマがある日いきなり、ひとりの天才棋士によって「バックサイド180!」とかいってほかのコマを飛び越えてターンするとか、そんなことはありえない。

ルールががっちり固定された世界では、固定された努力が役にたつ。


ということは、PDCAは恋愛とかには向いていない。きまった努力がそのままいい結果をもたらすとは限らないからだ。

社会的なポジションもそう。偉い人になるとか、周りに好かれるとかいったことについても、ひとりひとり前提条件がちがいすぎるので、PDCAには当てはまらない。


そもそもPDCAとは、製造業やテクノロジーの世界で使われるひとつの方法だ。「いい自動車をつくろう」とかいうテーマなら、威力を発揮するだろう。

でも「いい人生をおくろう」「夢を叶えよう」みたいなテーマになったら……

ここで騙されやすいのが、「お金を増やす」というテーマだ。これは、再現性のあることだと思いますか?それとも、無いことだと思いますか?








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