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ASD 完璧主義 いいところ&悪いところ。苦しくても完璧主義が止められない?

「完璧主義ですか?」と聞かれたら、どう答えますか?

モノによって、とか 
ことによっては、
という感じかもしれません。

定型発達の人の想像する『完璧主義』という言葉は、
もしかしたらポジティブなイメージや要素を含んだ言葉かもしれないと思います。

自分が上司であれば、完璧主義で、頼んだ仕事をきっちりと仕上げてくれる部下の存在は頼もしいでしょうし、まじめで好感が持てる話です。

しかし、ASDの完璧主義は、それが発達障害ゆえの辛さともいいますか、
自分が苦しくとも、追い詰められようとも、
「○○しなければ気持ち悪い」「○○せずには、このタスクを終えることは許されない」「辛いのに、やらないという選択はできない」という、脅迫的な感覚に近いと感じています。

わたしも随所に完璧主義な部分はあり、
一部は年齢を重ねるごとに和らいだ部分も結構あります。

例えば、20代前半、若かりし頃は肉体的にも体力はあるし、
こだわったポイントをやり遂げるパワーもあるわけです。

20代半ば、当時結婚していた私は、
「午前0時になるまでに、すべての家事を完璧に終わりにしていないと気が済まない」という謎の強いこだわりがあり、
風呂掃除が1分でも過ぎるとかが起きてしまうと、発狂せんばかりに(というかもう していた 苦笑)爆発していました。

振り返れば、パニックになっていたと言いますか、
自分でもどうしようもない強い感情が押し寄せてきて、
「ああーーーーー!!!!どうしよう!!0時を過ぎたのに○○も終わってない、○○もできていない!!」
→爆発。

そして、イライラを態度及び言葉にも出して、
ひとりで怒っていました。

当時の夫は、すごく優しくて心穏やかな年上のパートナーで、
わたしがどんなに爆発しようとも、
イライラするようなことがあっても、
本当にうまく受け止めてくれたり、なだめて落ち着かせてくれたり。

仏のような人でした。

現在はどうかというと、根本的に謎の完璧主義が根底にあるのは間違いないのです。

が、

子どもという、自分の意志ではどうにもならない存在を育ててきて、
「本当に、どう努力しようとも思うようにならない」という事態に何度も直面し、自分としては苦しいもののコントロールできないという経験を積み重ねたために、あきらめることを覚えました。

あとは、40歳になり、体力も以前のようにはついて来れなくなってきて、
自分が理想にしていたことと、じぶんの力の差を受け入れるように自然になってきました。
たとえば、「今日はAとBとCを絶対にやらなければならない」と脅迫的に考えていたとして、それをできなかった場合。
20代でしたら、急激に気分が下降し、自己嫌悪と強烈な憂鬱感に襲われては、
「自分はなんてダメなんだろう。」と思ったり、強い罪悪感でできなかった自分を責め続けてしまうという状態になっていました。

30代が終わるぎりぎりくらいまで、あるいは本当に最近まで、
決めたことができないと簡単にうつ状態や罪悪感で自己否定してしまう癖はあったのですが、
こちらもありがたいことに体力の衰えと共に、「できない自分」を許せるようになってきて、結果的にだいぶ精神的に楽になりました。

そして、ようやく「休む」という事に対しての罪悪感が薄れたように思います。

さて、完璧主義のいい部分ですが、
これはやはりビジネスの場での「仕上げ」の作業が真骨頂。

他の人がこだわらないような細かい部分にこだわり、
クオリティ高いものを仕上げることができます。

わたしのこの能力が身を結んだのは、厳しいと有名な「監査」の場です。
全ての項目に満点を取ることができる国は難しいと言われていた監査が、
外資系企業時代にありました。
わたしは日本という拠点で管理者として仕事をしており、監査用の資料を揃えることが私の仕事だったわけです。

結果的に言うと、私はその監査で史上初の満点を獲得します。
満点というのは、何十何百という、すべての項目において、必要な条件が十分に満たされているか、期待値を超えているという状態です。

わたしは、数か月にわたり、通常業務の合間に残業しながら、それこそ夜な夜な資料を準備しました。
日本の法律だけでなく、アメリカやヨーロッパの厳しい基準をも満たすものを準備し、それが満たされていることを証明するための書類、写真、データを入念に整えつくしたのです。

ただただ日々苦しく、プレッシャーでした。

そもそも、もしもそこで基準を満たすことができていなくても、
改善策を提示したり、もしくは事後改善をすればよいというではありました。
しかし、こういった仕事での要求は、容易に私の完璧主義を発動させました。

よい事ばかりではなく、こだわったり完璧主義が過ぎるがゆえに、
「タスク開始から完了までに 時間がかかってしまう」というのもこの性質の側面です。

プレゼンなども、発表の5分前まで直すのがこのタイプかなと。
少なくとも私は10秒前まで直します。(笑)

おかげで、クオリティとしては良いものができる、というのはいいことなのかもしれません。

しかし、この強迫観念は、色々な場面で自分を苦しめて、生きづらさを感じさせてきましたし、
結婚していたころの失態を思えば、周囲の身近な人たちに迷惑をかけていたと思います。

一つ言えるのは、このこだわりと完璧主義は、自分の努力で改善するといった類のものではないということ。
強い脅迫性をもって、自分を追い立ててくるものであり、意志力だけではなかなか止めるという事も難しいものです。

もちろん、他人になにか言われたところで、やめられるものでももちろんありません。
むしろ、自分でもやめたいと思っている節がありますが、止めることもできなかったりします。

だから、苦しい。

一方で、好き嫌いも激しいADHD的な側面もあることから、完璧主義的に行動することと、そうでない事のギャップが極端だったりします。

ずぼらなことを言いますと、私は食品の賞味期限に関しては、すごく無頓着といいますか、日本という衛生的な国柄というのもあって、期限を確認しはしますが、実際に食べられるかどうかは自分で判断して決めます。
このへんは、看護師としての衛生学や細菌についての知識も活用してにはなりますし、むしろこれもこだわりの一つの可能性もありますが…

こちらの完璧主義に関しましては、過去の記事で触れているかもしれませんが、家族やパートナーなどの身近な人間に害をなす可能性があるので、その点は気を付けなければいけないと思う部分です。

こだわりや完璧主義を周囲に求め始めると、大変なことになります。
人間関係はギスギスしますし、不要な場面でイラついてしまったり、相手をコントロールしようとしたり。

わたしは、おそらくですが、年齢を重ねたことと、社会的な経験値も増えたこと、あとは内服の効果で刺激に対して振り回されにくくなりつつあること。
これらが良い影響を与えていると感じています。

前頭葉の発達が未熟な部分というか、過敏性の強さなど複合的に要因となる側面はありますが、発達障害人も学習能力があるため、ある程度経験を積むことでいろいろ対処も覚えていきます。

そして、あるタイミングで、
「自分のほんとうの気持ちを大事にすること」を決意すると、だいぶ心理的に楽です。

脅迫思考では、○○せねば、と思っていても、感情では「嫌だ」と思っているという場合というのが往々にしてあります。
そのような場面で、シンプルに感情の方を優先することができるようになっていきます。

第2段階として、感情による選択をした自分を「赦す(ゆるす)」こと。

これができないと罪悪感に襲われるので、感情を選択できた時には、そんな自分を褒めて、勇気ある決断に拍手を送るのです。

大げさに聞こえるかもしれませんが、この「完璧主義」「脅迫的な思考」を止めるのは、すごく勇気のいることなのです。

なので、「よくぞ こっち(感情)の方を選べたなぁ。」と感じてみてもらいたいと思います。

いい点は、これを繰り返していくと、体がだんだん楽になってくることです。
完璧主義をやり抜くためには、やはり自分でも無理をしてしまったりするものなので、そのループを止めることができると、体力が温存され、体も元気になってきます。

裏を返すと、過ぎたるは及ばざるがごとし、で
「完璧主義」は諸刃の剣。
度を越してしまうと自分の健康を害するものになりうるのです。

というわけで、自分に優しくすることを ゆるせたらいいですね。

発達障害の人間のそばにいる人は、「なぜそんなにまでこだわるの?」と不思議かもしれませんが、当人も苦しんでいる場合がありますので、少し今日お話ししたようなことを頭の片隅に置いておいていただけると大変ありがたいです。
それと、発達障害人の謎の行動の理由がわかってお悩みが和らぐ「かも」しれません。(そうだといいなと思います。)
理解したからと言って、合わせるとカサンドラ症候群になりますので、上手に距離を取って線を引いて付き合ってくださればな~と思います。

それでは今日はこの辺で。

ありがとうございました!


本当にありがとうございます!応援してくださる気持ちが本当に嬉しいです。「サポートをいただきました」の通知が、わたしの人生のうちの今日一日という日を幸せにしてくださいました。色々ありますが、あなたの一日も素敵なものになりますように。