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入籍して、一緒に暮らせば夫婦になるのか

2008年、北京オリンピックの年に入籍してから早13年。7年間夫婦2人で生活してきた中では目をつぶってきたことが、子どもが生まれてから気になるようになりました。元々他人だった2人が夫婦として足並みを合わせていくためには何が必要なのか。結論は出ていませんが、日々考えていることを言葉にまとめておこうと思います。

夫と私の馴れ初め

私が夫に出会ったのは、高校2年生の文化祭実行委員会の集まりでした。
それから22年。ずっと彼だけを見つめてきました…

と、続きそうですが。

当時は、高校1年の夏からお付き合いしていた2つ年上の彼氏がいて、それはもうベタ惚れでしたので、彼以外の男の子はみんなじゃがいもみたいなものでした。ですので私は正直に言うと夫に対する第一印象は全く覚えていません。夫の方は違ったみたいですが。

ですが文化祭実行委員の結束は強く、その年の文化祭が終わってからもみんなでカラオケに行ったり、スノボに出かけたり、なんだかんだと大人数での付き合いが続いていました。結局、お互いの結婚式に行ったり、25歳位までは夏と冬に会って近況報告をするようなグループになりました。

夫との関係が発展したのは、大学2年の秋頃だったでしょうか。大昔過ぎてもはや記憶が曖昧です。私は当時、ずっと付き合っていた彼と別れて自暴自棄な生活を送っていました。大学の授業をサボってガストで山盛りポテトフライをつまみに昼から飲んだくれたり、後輩の家に転がり込んでウイイレをやりこんだり、絵に描いたような自堕落ぶりでした。


その頃、実行委員グループの中のある女子と夫が、遊園地でデートをしたり、ドライブに出かけたりと2人で遊ぶことが多くなっていました。彼女の方からも夫の方からも、「相手はどう思っていると思う?」と相談を受けて、伝書鳩のようなことをしているうちに、どういうわけか夫と私が付き合うことになっていました。なんでなのかは今でもよく分かりません。

そして今から17年前の今日、夫のお母さんが亡くなりました。
親を失うことは、人生においてなかなか強烈なインパクトがある出来事です。夫は一時期、テレビドラマで人が亡くなるシーンも見ていられないほど深く落ち込んでいました。お母さんの夢を見て夜中に目を覚ますことも多かったと記憶しています。彼女として、そばにいるからには夫の抱えている悲しみを少しでも負担してあげたい、そんな気持ちで日々を過ごしていたと思います。

夫のお母さんが亡くなって1年ほど経った時、今度は私の父が亡くなりました。
父はほぼアルコール依存症という状態で、正気でいる時間はほぼなかったのではないかと思います。暴力的で、酔っ払っていて、平気で人を傷つけることを言う父のことはもはや好きではありませんでしたが、心の奥底にはずっと「お父さんに認めてもらいたい」という気持ちがあったので、突然の別れには多少傷ついたものです。

2年連続で、お互いの親を失った私たちはもはや正常な判断力はなかったのかもしれません。まるで傷を舐め合うかのように、とくにプロポーズもなく、ふんわりと結婚することを決めたのでした。

「好きだ」という気持ちは、大概は錯覚である

人を好きだと思う気持ちは大概錯覚。勘違い。
そんな話を聞いたことはありませんか?あまりに世間に溢れている話で、詳細までちゃんと覚えてはいないのですが…。

○吊り橋効果(ドキドキする場面に、たまたまいた人に対して「この人にときめいている」と思う勘違い)
○暗闇効果(暗い場所だと本能的になり、性的興奮が増すこと)

なんかがありますよね。


錯覚、と言ってしまうと味気ない感じですが、要は人が人を好きになるきっかけなんかなんでもいいってことなのではないのでしょうか。そしてその錯覚で自覚した気持ちは勝手に長持ちするわけではありません。関係を継続させるのには互いの努力が必要不可欠なのです。


一緒に暮らしているだけで、よい夫婦になるのか

答えは「NO」だと思います。
元々他人の2人ですから、近いところでずっと生活をしていると違和感があるのは当然です。例えば、「バスタオルは1人に1枚」VS「1日1枚(家族みんなで同じバスタオルを使う)」なのか、「平日も洗濯をする」VS「週末にまとめてやる」など。
夫との生活を始めて、小さなことから大きなことまで、たくさんの違和感があり、その都度話し合って解決しようと努めてきました。

でも、夫は弁の立つタイプではなく、私が話を持ちかけることを「ケンカを売っている」「難癖をつけてくる」と思っているようでした。それから、「ごめんって言っとけばなんとかなるだろう」とも。
私は争いたい訳ではなかったので、夫のそのリアクションに少なからず傷つき、「夫が嫌がるのならば、私が我慢すればいいのだ」と話をすることを諦めてしまいました。


夫が帰宅後シャワーも浴びずにベッドに入ってくること
私が使ったバスタオルを使うこと
平日に洗濯をしないこと
靴に穴が空くまで新しいものを買わないこと
朝御飯をたべないこと
夜更かししてゲームして夜中にカップ麺を食べること
私が何か一緒にしようと言っても理由をつけて付き合ってくれないこと
私だけが結婚記念日のお祝いをすること

あげたらもっとあるのですが、私の生活スタイルと合わないものだって、黙認してスルーしてきました。


子どもが生まれたらそうは言っていられない

たくさんの我慢の後、結婚7年目にして子どもが生まれました。そうなると、今までスルーしてきたことも、できなくなってくるものがありました。

例えば、
夫が帰宅後シャワーも浴びずにベッドに入ってくること
初めての育児で、衛生管理に過敏になっていた私にとって、シャワーも浴びない身体でベッドに入ってくることは、家の外の雑菌を持ち込まれるような気がして耐えがたいことでした。

それから、
平日に洗濯をしないこと
うちの子どもは夏生まれです。赤ちゃんは新陳代謝が活発なので、1日に何度も肌着を替えることがありました。そうなると、平日に洗濯をしないというのは難しいことになりました。

朝御飯をたべないこと
子どもを育てるにあたって大切なことの1つに、基本的生活習慣をきちんと身に付けさせること、というものがあります。
「早寝・早起き・朝御飯」は基本的生活習慣の1つです。
親ができていないこと、を我が子にさせる、というのは筋が通らないような気がして、私は嫌でした。
夜更かししてゲームして夜中にカップ麺を食べることも、私が子どもに見せたくない夫の姿のうちの1つです。

「じゃあ改善のために話し合いをすればいいじゃないか」という人もいますが、私が話を持ちかけるたびに嫌そうな、めんどくさそうな対応をする夫に向かって、ずっと私から「いい夫婦、家族になるために話をしようよ」と言い続けることは大きな負担でした。
今、私から何か話し合いをしようと持ちかけることはありません。
私が何かしようとすると夫はいつも批判的な意見をぶつけてくるので、最初のうちは言い返したりもしていましたが、もうそんな気力もありません。「そうだね、わかった」と言って話を切り上げ、心を閉ざしています。


ですから、ケンカは一切ないのでもしかしたら夫は私たちを「いい夫婦」だと思っているかもしれません。私はそうは思いません。なんの歩みよりもなく、言いたいことは言わず、スキンシップもない。
これは単なる同居人レベルの関係です。

病める時も健やかなる時も


「錯覚」で恋愛関係に陥り、「なんとなく」入籍した私たちでしたが、結婚したからには2人で協力してよい家庭を築いていきたい、という気持ちは私にもありました。
でも、「違和感を埋める」という努力を怠ったがために、私が思い描く家族の形とは大きくかけはなれた姿になってきています。

以前の記事で取り上げた詩を覚えていますか?

和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

私は私たちの家庭が今「和気あいあいとした家庭」であるとは思えません。この状況で育つ我が子が、厭世的な人間に育ってしまうのではないか、また、女性は男性に逆らってはいけないと思い込んでしまうのではないか、ということを危惧しています。

まとめ

入籍してただ暮らしているだけでは良好な関係は築けない。長く一緒にいたいのであれば、どちらかが我慢するのではなく、「違和感」を埋めるために互いに話し合いをすることが大切

話し合いをする際に、感情的にならないように、言いたいことをきちんと伝えられるように私がしている努力についても、また機会があれば述べたいと思います。

今日もお読みいただいてありがとうございました。

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