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セーラー服で家出した話

当時

私は、2020年10月05日から2020年10月10日までの6日間家出していました。

高校3年生の受験シーズン真っ只中。私のクラスは大学進学を目指す人が多いクラスだったので、みんな教室に遅くまで残って自習したり、塾へ通って勉強していたりしていた頃だったと思います。

当時の私は、受験のことや思春期特有の(自分で言うのは恥ずかしいけど)家庭についての悩みを持っていました。
進学する大学の条件も、

  1. 工学部化学分野であること

  2. 実家から通うことができない距離であること

  3. できるだけ東京に近づくこと

の3つで、2番目に「実家を出る」という項目があるほど、家を出たくてしょうがなかったんです。実家を出たかった理由は割愛しますが、誰にでもそんな時期ってありますよね(笑)

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ある日、担任の先生と友達数人で輪になって話をしていた時に、ふと思いついたのが「家出」。

大学進学まで、実家を離れることがどうしても待てなかったので、思い切って外に出てしまえという考えです。学校にどこから通わなくてはいけないなんて校則は無いし、とにかく授業に間に合えばいいのです。当時からズレた行動をするのには抵抗がありませんでした。

ちなみに、私は真面目(で社長登校しがち)な優等生なので、しっかり親に期間と場所を伝え家出しました。

宿探し

宿の条件は

  1. 学校に無理なく通える距離にあること(遠すぎないこと)

  2. 朝食・夕食がついていること

  3. 安いこと(バイトもしていない受験生はお年玉貯金しかありません)

様々物色した結果、「末広旅館」という宿に決めました。

朝食・夕食付きで5泊。楽天トラベルで予約を入れました。
消費税込みで33,000円です。GO TOキャンペーンの真っただ中だったので11,550円分も割引かれ、宿で私が支払ったのは21,450円。しかも地元の商店等で使用できる1000円紙クーポン×5枚も手に入れたので実質16,450円でした。安い。

タイミングよく家出を思いついたもんですね。コロナ禍で学校も休校になったりならなかったり。休日に遊びに行こうにもお店は営業していないしも催し物は軒並み中止。そんなときに思いついた変な遊びです。

決行

1週間の滞在で洗濯をするのは大変なので、大量の着替えで荷物はパンパン。いくら実家と宿が近いといっても自転車で20-30分程の距離なのでスーツケースを運ぶのは困難です。
家出なのに親の車で運んでもらいました(笑)

到着すると、入口のガラス戸には両側に「末広旅館」の文字。古い旅館にはありますよね。この文字。年季を感じさせます。
中に入ると元気なおばちゃんが迎え入れてくれました。

宿の近所に住む17歳からの宿泊予約なんてなにがあったかと思ったよ。電話で自宅に連絡して確認しようかと思った」

なんて言われましたが、にこやかなおばちゃんは私が来たことを嬉しそうにしてくれていました。

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かなり古いながらも、ホコリひとつ見当たらないピカピカな廊下を通り、私の部屋は2階の和室。1人用なのでそこまで広い部屋ではありません。4.5畳の部屋だったかな。チェックインが15-16時頃だったので、テレビをつけて最初に見たのは水戸黄門でした。

夕食の時間はもう少し先なので一休みすることにしました。部屋でゴロゴロしていると(受験生)、突然部屋が大きく揺れました。「地震か!?」と思い、ツイ廃の私がTwitterで地震と検索しても、山形県付近で地震が起こった形跡はありません。

答えは宿の立地にありました。実はこの宿、裏口を出て4m進むと新幹線が通る線路があるんです。(※山形新幹線は在来線を走ります)しかも建物は古めなので、振動を感じやすく、皆さんが想像しているよりも揺れています。
いくら田舎と言えど県内で一番大きい駅の周辺なのでそれなりの数の新幹線や電車が通るので静まることはあまりありません。

私は音や振動があっても平気なタイプなので特に不快を感じることはなく過ごしました。慣れたら平気だと思います。

大盛りとスカイツリー

そして待ちに待った夕食。正確なメニューは記憶していませんがとんでもなくおいしかったことを覚えています。山形の地物や芋煮などの名物を出してくれました。

しかもその量がとても多いんです!体を動かすことが多い仕事をする方が、多く宿泊するからなのか、普段他人の2倍くらいは食べる私でもギリギリで食べ終わるほどのボリューム感でした。

食事は基本的にその日宿泊している人と一緒に食べます。私が泊まっていた1週間は、常に5人くらいの方々がいたのでわいわい話をしながらおいしいごはんを食べました。

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あるおじさんたちのグループは近くの山の中で電気工事をしに来た方々で、旅館に1ヶ月ほど滞在しているそうです。

俺はスカイツリーのてっぺんに上って仕事をしたことがあるんだ。その時は、地球上にどんなに偉い人がいたとしても俺が一番上にいる。俺の上には誰もいないんだって思ったね。あ、上に宇宙飛行士がいたな(笑)

おじさんたちは仕事の話をたくさんしてくれました。キツかった仕事、楽しかった仕事、仕事道具の話。変なトラックの話。細かくは覚えていませんがそういった話を聞きました。
今思うと、親と学校の先生以外と仕事の話に触れるのはこの時間が初めてだったように思います。

おじさんたちはたまに私にスイーツを買ってきてくれました。コンビニスイーツの中でも少しいいやつを選んできてくれたんです。ゴディバコラボのチョコロールケーキとか。ちょっとした心遣いがとても嬉しかったです。
私はお返しに学校での出来事や流行っているものなど、たくさんお話しました。

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畳が敷かれた食堂で10人弱。私は学校に行く用意をしてから朝食を食べ、学校から帰ってそのまま夕食を食べていたのでいつでもひとり制服での食事でした。
傍から見たら、なんとも不思議な光景だったんだろうなと思います

家出生活

高校へは毎日お昼ごはんを持っていきます。学食はありましたが、イケイケの運動部ばかり使っているイメージがあり怖かったので、3年間1度も行ったことがありません。1回くらい行けばよかった
朝が弱すぎる私は、お母さんから毎日弁当を作ってもらっていました。

すると問題なのが家出中のお昼ご飯。通常であれば、登校途中にコンビニに寄って食べ物や飲み物を買えばいい話です。でも私はバイトもしていない高校生です。約600円×5日間=3000円。なんとしてでも安く抑えたい。

そんな時の希望の光が、GO TOキャンペーンで貰った5000円分の紙クーポン!山形県ではコンビニでも使用できたので、クーポンを使って、毎日贅沢に1000円分のご飯を買いました。もちろんそんなにたくさんのご飯は食べられないのでお菓子も大量に買って学校のロッカーにストックしていました。

ちなみに私が使っていた学校のロッカーは1年間お菓子が尽きることがありませんでした。ココアシガレットやアポロにハマってコストコでビックサイズを買ってみたり、駄菓子にハマって何種類も買ってみたり。1人では食べきれないので友達とみんなで食べました。いい思い出。

毎日決まった時間に旅行者向けのクーポンを使って買い物をする高校生に、コンビニの店員さんも戸惑った様子だったのを覚えています。

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規模の小さい旅館ですが、お風呂はしっかり男女別。男風呂は広い湯舟が付いた浴場ですが、女風呂は一般家庭にあるような規模間の浴場です。普段、男の人に比べてあまり女の人が泊まっていないことがわかります。
女風呂はお客さんが入った後、おばちゃんが入ります。私があんまり遅くなるとおばちゃんも遅くなると思って、なるべく早めに入るようにしていました。

決まった時間の食事にお風呂、そして就寝。普段の生活習慣が悪すぎる私にとって、あまりにも理想的な生活でした。家出期間は受験勉強への取り組みのやる気度合いも高かったと思います。

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一度学校に登校してしまえば、家出中でも普段と何ら変わりない生活です。高校の友人たちにも「今日から家出してるんだよねー」と伝えましたがちょっと驚かれるだけでそこまでの衝撃ではなかったようです。

校内には3つのコースがあり、私は、比較的受験に向けて勉強を頑張るコースに所属していました。11クラスの中で2クラスしかないそのコースの中で私が所属する理系は1クラスしかありません。その狭いコミュニティの中で変な私が独りぼっちにならなかったのは、それらを受け入れ、面白がってくれるクラスメイトのおかげだと心から思います。

かといって殺伐とした雰囲気でもありません。お互い違う目標に向かっていることを理解して相手に干渉しすぎず応援する、全員が大人な考えを持った集団でした。

私の勘違いだったらちょっと悲しいですが(笑)大好きなクラスでした。

帰宅

5日間の家出を終え、チェックアウトです。土曜日の10時ころ。登校日ではなく、時間があったのでおばちゃんとお話しました。

おばちゃんはひとりで何十年とこの旅館を切り盛りしているそう。50年だったか60年だったか忘れてしまいましたがそんなレベルでした。朝は5時に起きて朝食を作り、夜は夕食の片付けや朝の仕込みをして1時過ぎに寝る。おばちゃんはそんな生活を長い間続けられていることに、とても強く誇りを持っていました

変わらずに続けることは何よりも大事で難しいこと

新しいモノやコトにすぐ飛びついてしまう、現代の若者代表みたいな私は、目の前で言われたそんな言葉を忘れられませんでした。

思わず、「同じ生活に飽きてしまわないのか」なんて愚問を投げかけてしまいましたが、

昔は飽きたこともあるけど私がやらなきゃいけないし、ここまで続けてきたからね

なんて答えを返してくれました。
どこまでも自分は子供なんだなと恥ずかしくなりました。

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キラキラな希望を持った受験生だったこともあり、おばちゃんには「○○大学(宇大ではない大学)を目指している」なんて話をしていましたが、結局違う進路を選びました。

ただ、今の私のキャリア選択に間違いはないし、最高の居場所を見つけられたと考えています。18年間生まれ育った山形はもちろん私の故郷です。ただ、初訪問からまだ2年とちょっとしか関わっていない宇都宮も故郷になりつつあります。

ついこの前気づいたことですが、「山形に帰る」「栃木・宇都宮に帰る」とさらっと口に出していました。帰る場所が増えていくのを感じてとても嬉しく思います。

大学在学中にもう一回くらい泊まりに行きます。2023年4月に1年間の休学を終え、宇都宮に帰ったわけですが、また山形に帰って今の自分の選択をおばちゃんに伝えにいきたいな。(覚えているかわかりませんが!!)

末広旅館は観光の為の宿泊施設ではないかもしれません。でもおばちゃんのあたたかさとごはんの美味しさはどの宿にも負けません。
みんなにも泊まって欲しいけどあんまり混みすぎたら嫌だな〜私だけが知っていたいな〜!

最後に

高校の卒業式の後にクラスで一言ずつスピーチをする時間があり、この話をしました。旅館のおばちゃんとかスカイツリーのおじちゃんみたいに自分の行いに誇りを持てるようになりたいとかなんとかって言ったような気がします。

今、自分を振り返って自分の行動に自信を持てるかと言われたら、ポジティブな、良い答えを返すことができません。
そんなことでグダグダ悩んでいたこの頃、この話を思い出して、文章に書き起こすことにしました。

綺麗な思い出で終わらせることもできるけど、言語化は大事って言ってくれた人がいるし、情報を脳みそから取り出すことができてよかった。

久しぶりに文章を書きました。


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