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裏切者のこの男を分析してみた。

こんにちは。

今日は、このnoteのアカウントの持ち主の「やんしん」が、いったいどういう男なのかを分析してみようと思う。

彼は、大きくなりすぎたズッキーニを手に取ると、どうしても電話にしたくなる、いわゆる反射的にアホになってしまう日本男児である。

小学校の時は、クラスで一番計算が遅かった。

あのクラス中を待たせながらも100マス計算を解いていた生徒、それが若き日のやんしんである。

しかし、当時のクラスメイトの期待を裏切り、やんしんはその後、こともあろうか数学教師になってしまう。

香川県と東京都の公立学校で数学教師をしていた経歴を持ち、今も飽きずにニュージーランドの地で数学を教えている。

どういうわけか、この男は数学を教えるのが生き甲斐だというんだ。

ある一定の生徒にとってはありがたいが、たいていの生徒からはむさくるしく感じられる男である。

やんしんは、英語の先生に「英語なんて一生使わないのに、なんで勉強するんですか?」と質問した生意気な中坊だったにもかかわらず、大学卒業後にワーキングホリデーで英語圏のニュージーランドへ飛び立つ。

発言の浅はかさに鼻で笑ってしまう。

では、なんでこの男はニュージーランドへ向かったのか?その理由は

「世界一熱い数学教師になるためには、俺は人間としてもっとビッグにならないといけない。だからこそ言葉の通じないところで1年過ごすんだ。そうすれば人間でっかくなるだろう。」

どう考えても安直な男である。

そして、そこでなんと、現地の女性と縁があり、お付き合いすることになる。

こともあろうか、高校の時、英語の勉強が嫌で、できるだけ逃げて回っていたため、英語の単位が取得できずに留年しそうだったのに、今度は恋に落ちた女性と英語で会話するために必死に英語を学ぶ羽目になる。

自分の勉強不足を悔いていたやんしんの姿は滑稽でならなかった。

その後日本に戻り、3年間は香川で、3年間は東京で数学を教え続ける。

その間に、その彼女と結婚し、子供も授かった。

絵にかいたような順風満帆の教員人生である。

しかし!

何を血迷ったか、この男、学校の先生を若くして辞めてしまう。

当時は若くして公務員を辞めるなんて絶対にありえなかった時代に、彼は何の躊躇もなく辞めてしまった。

そして、定年の人たちの同窓会状態の離任式。

おじいさん方がはしゃいでいる傍らで一人若造が椅子に腰かけている。

お偉いさんから「ご苦労様でした」と敬語を使われ顔が引きつっていた。

行かなくてもよかった離任式、実はおいしいものが食べられると思っていたやんしんの完全な誤算だった。

しかし、それもこれも、全部ニュージーランドに移り住み、世界一の数学教師になるための判断だった、とやんしんはニヤリと笑う。

そんな余裕な笑顔も、その直後に難病ギランバレー症候群にかかってしまい、完全に消え失せる。

震災の年の2011年5月の出来事だった。

元気が取り柄だったやんしんが、1か月で16kg痩せてしまう。

歩くどころか立つことすらままならなくなった。

冗談だけで生きてきたような男が、冗談を言う気力すら奪われる壮絶な闘病生活だった。

難病が発症してから3週間目に、お医者さんから「これより悪くなったら、車椅子生活ですね」と言われたにもかかわらず、そこから病状は10日間も悪化し続けた。

やんしん夫婦は、病室の中で、これからの車いす生活を覚悟していた。

しかし、この男は周囲の期待を良い意味でも悪い意味でも裏切り続ける。

そこからリハビリを続け、退院する前に杖なしで歩けるようになった。

退院1か月後には走れるようになった。

半年後にはニュージーランドへ移住し、だれに頼まれてもいないのに、1年後には現地の大男たちにもまれる中でサッカーができるようになり、2015年・16年と2年連続フルマラソン完走。

原状復帰でよかったのに、なぜそこまでやってしまうのか(汗)

限度を知らない男である。

こうやって、周囲どころか、自分たちの期待も裏切りながら、無理と思われる状況を覆してきた男、それがやんしんである。

しかし、この状況をこう捉える事ができることも彼は証明した。

自己の判断も、周りの判断も、時期尚早だったと。

算数がクラスで一番できなくても、数学ができなくなると判断するには時期尚早だった。

英語を人生でつかわないと判断するのも時期尚早だった。

車いす生活になると覚悟するのも、時期尚早だった。

大病に打ち勝ち、ニュージーランドへの移住にチャレンジするころには、やんしんにはその事実がよく分かっていたようである。

ニュージーランドに引っ越してきたとき、嫁さんの家族の英語が全くわからず、いつも楽観的なやんしんも、さすがに鬱っぽくなっていた。

目標としていた世界一の数学教師の夢も、夢のまま終わるのではないかと口に出すほど落ち込んでいた。

でも、4年前から現地の学校の数学専用の補助教員として働き始めた。

引っ越し当初、全然わかっていなかった英語で数学を教え始めた。

しかし、こっちの教員の資格を取るための肝心の英語のテストが通らない。

7年間、テストに落ち続けた。

しかし、昨年末、ついに英語のテストに通り、今年、正規教員として教壇に立つ。

彼にとって、7年であったとしても、諦めるには時期尚早だったのだろう。

こんなやんしんの目の前には、数学嫌いの生徒がよく来る。

そしてこういうんだ。

「I'm bad at maths! 」

そのたびにやんしんは不敵な笑顔を浮かべて

「Too early to judge, mate(時期尚早だぜ)」

と。

そして今日も、生徒たちの期待を裏切って、数学の魅力を伝え続ける。

これがやんしん。

もし、こんな男の書く文章に興味があったら、必ずフォローするといいですよ。

世界一の数学教師になる過程なんて、なかなか垣間見ることなんてできませんから。

でも、くれぐれも「世界一の数学教師なんて、なれるわけない」なんて言わないように。

そんなこと言ったら、やんしんが不敵に笑ってい言いにきちゃうんで

Too early to judge, mate(時期尚早だぜ)と。

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