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NZに住むようになってからもうすぐ丸18年になる。親元を離れたのは、浪人した後東京の大学に合格してから。華々しく、一人暮らしと言いたいところだけど、親の脛をかじり、それでも、できるだけ負担をかけないように、宅浪、寮生活、自動車学校費用と免許は自分でなんとかした。

学生時代は、いつも、お金がない感じで、練習と授業の合間に、プールの監視員のバイト。馬車馬のように働くと言われてた。懐かしい。

そんな、学生時代も終わりかけの頃、突如、結婚を決め、貧乏学生に結婚式の貯金をしている余裕があるはずもなく、一年先に就職していた夫がなんとか貯めたのは、新婚旅行の費用。

双方の親に、親戚に、お世話になりスタートした私たちでした。


夫の方は、親戚、特に父方のおじさん、おばさんが多くて、結婚式は誰を呼ぶかで案の定もめたな〜。おまけに、資金は出してもらっているので自分達の希望を強く通すこともできなかった感もある。

それでも、わたしは、自分の結婚式が初めての結婚式というおめでたい流れ。比較するものもなく、いい感じに、知らないまま、めでたく終了した。


親元を離れてからも、お盆とお正月はなんとかして帰省していた。それは、なんだかわからないけど、当たり前の義務みたくなっていた。でも、嫌だったわけでもなく、そうしたいから、そうしていたと思う。

久しぶりに帰る実家は、暖かくて、同じで、居心地が以前とは違うんだけど、やはり心地よい。積もり積もる話をして、馬鹿笑いをして、お風呂に入って寝る、素敵な時間だ。


NZに住むようになってからは、3年目に初めて帰省、私の両親は、2度NZに遊びに来てくれた。シェクルトンの家と、ここと。その後も、わたしたちは、3年間隔の予定で帰省だったけど、2011年は、イレギュラーだった。

大変な年だった。変革のあった年だった。ラグビーワールドカップもあったし、上の子が14歳になり、子供を置いて出かけられるようになった年でもあった。

一緒に住んでいる血縁のある人たちが、今までの最小単位の家族。父母も、もちろん一緒に住まなくなっても家族。

2019年に帰省した時、もうこれで、生きてあえるのは最後かもと、半分覚悟をして行ってきますって言った。今までのありがとうを、握手にこめて。

家族って、自分の中に脈略と生きている。それは、自分の方の親戚に行った時にありありと感じられる。あ〜、この、DNAと思ってしまう懐かしさがある。もう長いことあっていないのに。

そういう意味では、夫は家族だけど、他人みたいなとこある。好きで、相性も良くて結婚して家族を形成しているけど、努力しないと理解できない部分って多分にあると思っている。まあ、それが、いつまでも新鮮でいい。

もうすぐ、子供たちと離れて、夫婦のみの生活になるだろう。暖かく帰ってこれる実家になっていられるのかな? 家族の次の形態に心を静かに躍らせている今日この頃。







本当のことを言うと、早く、孫が欲しいな〜。そして、孫と一緒にたくさん遊びたい。やはり、子供たちのための何か、幼稚園保育園でもなく、ただの習い事にとどまらない生活に根ざした楽しい場所。

これからの私の、課題でもあり、夢でもある。

日本円の収入がないので、帰国した時のお茶代として貯金していきたいと思います。この貯金を握りしめて、あなたの街へあなたに会いにいきたい!名づけてオフ会積立です。どうぞよろしくお願いします。サポート、一番乗りはあなたです!笑笑。よろしくお願いします。愛される私でもありたい。