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組織の中のジェンダー不平等——リベラル思想、構造主義、ポスト構造主義

明けましておめでとうございます。怒涛のエッセイの締め切りと冬休みで1ヶ月ほど更新できていませんでしたが、今週から新学期が始まりました。また週2本ほどのペースで書いていければと思いますので、本年もよろしくお願いします。

職場、バイト先、教育機関、自治会…組織と呼べるような人の集団は私たちの生活にとってとても身近で、だからこそジェンダーに関する問題意識を得やすい場です。なぜ保育園の先生は女性ばかりで大学教授は男性ばかりなのか、なぜ秘書は女性が多く取締役は男性が多いのか、なぜ「パート」と言うと中年女性をイメージし、缶コーヒーのCMにはブルーカラーの男性が登場するのか…。私がジェンダー学に関心を持ったきっかけも、自分の職場で明らかに男女に偏りのある部署が多かったからでした。忙しく花形の、つまり残業時間の多い部署はほぼ男性で、逆に重要案件を抱えにくい余裕のある部署には子持ちで時短勤務の女性が集まっています。なぜそのような不平等が生まれ、どうすれば効果的に状況を変えられるのか——組織とジェンダーの関係性は一つの研究分野として発展してきており、この記事では授業で扱った3つの視点——リベラル思想、構造主義、ポスト構造主義——からの説明とそれらの限界について書きたいと思います。

【参考文献】Halford, S. & Leonard, P. (2001). Gender, power, and organisations: an introduction. Palgrave Macmillan. 1-36.
【講師】Julian Walker, UCL

1. リベラル思想/リベラル・フェミニズム

リベラル思想から構造主義、そしてポスト構造主義へという推移は第一波フェミニズムに始まるフェミニズムの時系列的な大きな流れと一致しており、フェミニズム運動にとって組織における不平等が一つの中核であり続けていること、そして一筋縄ではいかない根深い課題であることを示しています。啓蒙主義的価値を女性にも平等に配分することを求めたリベラル・フェミニズムに顕著なように、リベラル思想によれば男女に根源的な差はなく、形式的に平等なルールが男女に等しく適用されれば差別は解消されると主張されます。解決策として典型的なのは、女性参政権や男女雇用機会均等法といった公的な規則の男女平等化です。また、伝統的な不平等に基づく偏見・先入観が中立的な規則の履行を妨げる可能性は加味されるため、例えば一時的なアファーマティブ・アクションやクオータ制の導入も検討の余地があります。
 このような形式的なルールの平等化は格差改善に向けて必要不可欠な第一段階であり、リベラル思想/リベラル・フェミニズムの貢献は計り知れません。一方で、ジェンダーに基づく明文化された差別的規則は大幅に減ったにも関わらず、男女間の賃金格差といった統計上明らかな不平等が根強く残っていることはこの理論では説明できません。特に、私の職場での部署による男女の偏りなどは表面上同じルールを全員に当てはめた結果であり、「等しい」扱いが結果として不平等を生み出す状況には別の説明が必要です。

2. 構造主義

上記のようなリベラル思想の限界を踏まえ、成文法よりも広く社会一般に通底する力関係の構造を問題視したのが構造主義の理論です。典型的には、家父長制に基づく普遍的な女性の抑圧を主張したラディカル・フェミニズムや資本主義体制における労働者階級の抑圧を主張したマルクス主義などがこれに当たります。これらの思想によれば、強力な社会システムの中で人々はそれを維持・強化する規範を内面化してしまっており、組織は決して中立・平等にはなり得ません。例えば、家事・育児が広く女性の仕事だと認識されている日本社会においては、有給の仕事に割けるリソースに大きな男女差があり、表面的には能力主義や個人の自由意志による選択から生じたように見える差異も実際には社会構造に制約されていると言えます。ある女性個人は出産の意志も予定もないとしても、「女性は出産・育児で仕事へのコミットメントが下がる」という社会通念が普及していれば、採用や昇進に際して不利な扱いをされる可能性があります。
 このような社会構造への着目には説得力があり、職場に限らず、例えば女子を排除する規定は存在しないのになぜ東大には20%未満しか女子生徒がいないのかといったことも、男女のあり方に対する社会的期待の差が子どもの頃から関心や努力の方向性の差を生み出しており、大学進学や就職に関する期待の差も相まって女子の東大受験を妨げているなどの説明ができます。一方で、あらゆる問題を一つの大きな社会構造に帰因させようとする傾向にある構造主義は、物事を簡略化し過ぎであり個人のagencyを無視していると批判もされてきました。この論理に則れば格差・抑圧の解消のためには社会構造全体を完全に覆す必要があり、それはしばしば非現実的な革命を示唆します。しかし、実際には、個人個人による抵抗や工夫によって状況が改善する場合も多くあり、協力な社会構造と見られるものも固定的ではなく可変的な側面があります。このような構造主義への批判から生まれたのが、次に見るポスト構造主義です。

3. ポスト構造主義

ポスト構造主義は社会構造の時間・場所による違いや個人の裁量を重視し、社会構造は存在するものの個人個人の行動や個別の状況に応じて常に変化していると考えます。個人は社会構造を認知した上でそれを活用したり抗ったりしており、当然視されている規範・話法を疑問視し批判的に関わることで抵抗が可能だとされます。例えば、一般に男女格差の根強い社会においても女性の首脳やビジネスリーダー、トップクラスの研究者といった成功例はあり、限りなくジェンダー平等が実現されている組織もあるでしょう。そういった、必ずしも社会構造を反映しない個別事例をも説明できるのがポスト構造主義の強みです。フェミニズム理論においても現在主流なのはポスト構造主義であり、個別の状況ごとの差異を捉える点において記述・描写としては説得的だと言えるでしょう。
 一方で、差異や可変性に注目し、言語や話法の影響力を重視するポスト構造主義は明確な具体策を打ち出しにくく、しばしば理論的過ぎるとの批判もなされます。また、個人による抵抗が可能で社会構造は可変だとは言っても現に歴然とした格差が存在しており、その持続性をどう説明するのかというリベラル思想が経験したのと似た課題にまた直面することになります。このような問題意識から生まれた思想の一つが以前別の記事で言及した新物質主義(New Materialism)なのですが、組織との関係ではまだ十分勉強できていないためいずれ改めて触れられればいいと思います。

このように、3つの思想いずれも重要な貢献をしてきた一方、組織におけるジェンダー格差を説明するのに完璧ではなく、社会や組織に根づく力関係を様々な角度から分析する必要がある、というのが今日のところは結論になります。複雑だからこそ未だに解消されていないのであり、分かりやすい正解があるわけはないのですが、それでは結局何ができるんだろう…と悩んでしまうのも事実で、私が退職するまでには目に見えて変わっていればいいなというくらいの長期プロジェクトだなぁと思わされました。

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