見出し画像

ずっと、「フェミニスト」には抵抗があった——なぜ今「ジェンダー学」か。

「フェミニスト」を名乗るほどには苦労していないし、「フェミニズム」なんて主張しなくても、似た状況に置かれた男性よりも私がほんの少し多く努力すればいいだけだと思っていました。
東大に入って、平均すれば女子は20%未満という環境ですぐに理解したのは、「女を捨てた」「東大女子」のレッテルを貼られてしまうと、勉強やその他の努力・成果は正当に評価してもらえないということでした。「東大男子」は「東大男子」であるだけで賢く有望だという価値があるのに、「東大女子」は「東大女子」であるということだけではマイナスでした。むしろ、「女らしさ」を失っているという軽蔑が付きまといます。それでも、スカートを履いてメイクをして髪型に気を遣い、「女らしい」言動をしていれば、授業でも飲み会でも、いるだけで「華を添えている」という扱いをしてもらえます。だから当時の私は、そんなの安いもの!お得じゃん!と思っていました。

ストッキングは嫌いだしメイクも面倒だけれど、一般的に見れば中の上に入るか入らないかくらいの見た目でちやほやしてもらえるなら、その程度のプラスαはすればいいと。
 東大受験を後押ししてくれる女子校出身なので、女だからという理由でそれほど苦労した自覚がないことも原因でしょう。確かに男女差はあるけれど、損することもあれば得することもある。だから文句を言うのはプライドが許しませんでした。置かれた場所でベストを尽くすだけ、周りより大変な道でも不可能ではないのだから——。

でも、同期と同じように終電まで働いて得られる経験と評価は、子供を持って時短で働くようになったらどうなるの…?
東大を卒業して総合職で就職して、いわゆるブラックな働き方をする中、周りを見渡してふと思いました。毎晩夜中まで働いている私の先輩たちは、ほとんどが子持ちの男性でした。子育てはもちろん主に奥様がされているのでしょう。私は?産休が明けて体力が戻ったら、私の仕事の方が重要だからと夫に子育てを丸投げして自分は夜中まで働くの…?
 私にとっては、そんなことありえませんでした。歴史的に女性が受けてきた待遇を、男女を逆転させて夫に押し付けるのは間違いだと思ったのです。男性側がそういった役割分担を望んでいたり、夫婦で話し合った結果の最善策なのであれば良いでしょう。ただ、私は、二人が同じ割合で仕事と家庭にリソースを振り分けるという前提から話を始めたいと思いました。例えば、仕事5・家庭5にしなければならないなら、二人とも仕事5・家庭5にしたい——片方が仕事2・家庭8でもう一方が仕事8・家庭2ではなく。
 夫婦それぞれの人生や子供、家族の繋がりを考えても、私は片親だけ縁が希薄になっていくというような状況は作りたくありません。もちろん、仕事と家庭で完全に分業されていても円満な家庭は多くありますし、私の実家もそうでしたが、今の時代、夫婦両方が外で働くことに価値を置いているのであれば分業する必要はないと思うのです。

 そう考えて初めて、今の組織、もっと言えば日本社会の在り方そのものにとても分厚いガラスの天井があると感じるようになったのです。きっかり定時まで、いわんや時短では、私が面白いと思う中枢の仕事には携われません。職場を見渡せば、部署によって男女比に明らかな差があるのです。特に、子持ちの女性とそうでない人とを比較すれば偏りは歴然としています。結婚して子供を持っても深夜まで働き続ける大多数の男性がいる限り、子育てや家庭、プライベートに時間を割きたい人は性別を問わず組織の周縁に押しやられるのではないか——この命題が、私の出発点となりました。

努力とは別の次元で、「男女」に伴う何かしらの差が確かに根付いている。
そのような視点を持って組織を、社会を見始めると、決して無視できない「男女」の非均衡が際立って目に付くようになりました。ハーバード、オックスフォード、NUS…世界の有名大学を見渡しても男女は半々もしくは女子の方が多いのに、東大は男女比4:1。採用時にはもっと女性がいたはずなのに、管理職はほとんどが男性。芸能人同士が結婚すると、今後の仕事の仕方について言及されるのは女性側だけ。結婚した時に新姓を聞かれるのもだいたいが女性。どれも、男女に異なるルールが適用されているわけではなく、形式上は「平等」なはずです。ですが、日本の女性だけが男性に対して学力的・能力的に著しく劣っているわけがありません。つまり、アンバランスな社会通念・構造がこのような状況を生み出しているという仮定が立ちます。ジェンダー学とは、社会的な性であるジェンダーという切り口から、社会、政治、文化の構造を紐解く学問です。女性の権利拡大を求めることから始まったフェミニズムの系譜から切り離すことはできませんが、決して「女」を代弁するだけの主義主張ではなく、社会をより深く緻密に理解しようとするレンズなのです。

 日本では、ジェンダー論や女性学、特に「フェミニスト」「フェミニズム」という言葉が、我の強い女性が現状に不満を持って主張している敵対的な思想というネガティブなイメージで受け取られがちではないかと思います。私自身、そういった印象を拭うことができずに距離を置いてきた経験もあります。ですが、現在のジェンダー学、フェミニズムは、もっと多様で包括的です。生物的・社会的な性に関わらず、誰もが堂々と自分らしく生きられるように——そんな理想に向かって様々な方向から試行錯誤している学問であり、思想体系なのです。このnoteでは、本や論文を読み、芸術に触れ、世界各地から集まった研究者・学生たちと議論して学び考えたことを、丁寧に綴っていければと思います。第一週に講師Dr Alex Hydeの言葉で印象的だったのですが、身近な社会・日常を取り扱っている以上、詳細やニュアンスを捨象してしまっては意味がない——そこに緻密に光を当てていくことで、私のバックグラウンドでもある政治社会学とは異なる発見があるのだと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?