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僕が同性パートナーと結婚式を挙げるまでの経過(⑥家族の葛藤)


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note始めて一番書きたくない内容ですが(笑)
リアルを伝えるためにも…と書いてみたらやっぱり長くなりました。
分けようかと思いましたが、こんな記事を読みたい人はまとめてしまおうがどっちにしろ読んでくれると思いますので一気に書き上げてやったぜ!

1.僕の家族へのカミングアウト

僕の家は、父、母、2つ上の姉、4つ下の妹の5人家族です。
姉は僕と同じくらいのタイミングで遠距離恋愛を実らせ九州に嫁いでいきました。妹は恋愛多めの子ですが実家にいます。父母のなれそめは80年代後半にディスコのナンパをきっかけに恋愛結婚です(笑)

カミングアウトは姉→妹→母(父)の順でしました。姉には大学生のころ、メンミク(知ってる人はアラサー以上)を自宅のPCでつけっぱなしにしているのを見られカミングアウト。妹には7年前くらいに自分から告げました。

母には2014年の元旦。初めての恋人ができたことをきっかけに話しました。当時の恋人のお母さんは「息子のすべてを受け入れようとするのが親の務めだと思ってるから」と話す寛大なタイプの人でした。そう話されたことから勇気づけられた僕は、はじめての彼氏との初詣に出かけるのに、嘘をつきたくなかったのでした。

ちなみに父は、母へのカミングアウトのあとすぐに、母から報告という形で知らされていました。母の話によると父の反応は「まあ俺が今からマツコ・デラックスになることもあり得るわけだからな~」だったそう。
父は母のことが大好きなので、子どもがどう生きようと、それなりに自立できればいいという考え方でした。さすが僕と同じ中間子(笑)

うちの母は、元カレのお母さんの寛大さや父のような距離感で息子のことを捉えることはできなかったと思います。長年一緒に暮らしていたかわいい息子の突然の告白は、良くも悪くも家族を一番に考える母としては、僕が計り知れないほど重くつらいものだったと思います。

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母は、僕の涙ながらの告白と「孫を見せられなくてごめん」に対し、「そんなに思ってたのに気づけなくてごめんね、でも孫のことは気にしないで」と声をかけてくれました。
しかしながら、家族へは「少数派としてイバラの道を進むことになることが親としては悲しい、自分の育て方のせいだったのかなってどうしても考えてしまう」と泣きながら話していたそうです。


2.僕の幸せとは?

そのため、僕はずっと、カミングアウトして好きなように生きてはいながらも、どこか自信を持てずにいました。
なんでも話す家族だから、僕は職場の人と恋バナしたことなども要所で報告していたのだけれど母に「あんまり周りに言い過ぎないほうがいい」と言われることもありました。

今の彼と出会うまでにも、それなりに恋愛をしたものの長続きもしなくて、孫を見せるために理解ある女性との結婚を考えた時期もあり、僕はどんな自由を与えてもらったとしても、やっぱり生まれ育った家庭環境を思い描き、親の背中を見ずにいられませんでした。刹那的な恋愛や、家族になることが想像つかない相手と描く将来を僕は見いだせなかったです。

「親に自分が幸せになってる姿を見せる」
それが僕ができる最大限の親孝行であるとずっと思っていたけれどなかなかできないじれったさがあって焦るばかりの毎日。
社会的に認められにくく、親に孫を見せることはできないかもしれないけれど、せめて僕が心から笑顔でいられて、親に紹介できる相手をずっとずっと探していました。

3.彼との出会い、そして親への紹介

そんな中知り合った彼。はじめて家族になれるイメージをつけられたと思った相手でした。
付き合いだしてから、何かと紹介したい気持ちで共演機会を迫る僕に、母は勘づきながらも、何かと理由をつけて彼との対面を避けていました。
付き合って半年くらい経っていたし、どうかな、時間はかかるかなと思ったある日、ダメ元で姉含め4人でランチに誘ったところ、意を決して会ってくれました。警戒心は非常に高いのですが、味方であることが分かってからの彼への心の開き方はとても分かりやすく、僕も安心しました(笑)

父への紹介のほうが僕は緊張していました。なにせ父とは、僕のセクシュアリティや恋人について直接話す機会が一度もなかったからです。


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彼と一緒に住むことを決めたあとの正月、あのカミングアウトから5年経って家族の初詣に彼を呼び、そこで父との対面となりました。

緊張して丁寧なあいさつをする彼。父は、顔を直視できないものの「よろしくね~」とおどけた感じであいさつし返してくれました。それ以上会話はしなかったものの、家族写真にも一緒に入れて笑顔で撮ることもできました。

4.結婚式の開催に際して

母に式の開催を相談し、父は「まあやりたいならやれば」という感じでした。参列することについては母は「どんな顔してたらいいの~」とは言ってましたが、父も「別にそんな大したことじゃない」と母に口添えしてくれたようで、無事家族参列してくれることになりました。

開催までの間にも、ほかの親族への報告をどうするか問題など、母の反応に僕がとがって「どうせ僕のこと恥ずかしい存在だと思ってるんでしょ」と年甲斐もなく拗ねてみたり…といろいろありましたが、
このあとさらにいろいろ起きるその他の問題と一緒に戦っていく中で、本当に家族が心の支えになってくれ助けてもらえました。

この式の開催を経て、興味なさげだった父も彼への接し方が近くなったのを感じて、僕の思いや幸せの形をようやく認めてもらえた気持ちになりました。
これから先、僕らのことよりも父母の老後のことや絶賛過渡期中の妹が結婚できるのか問題とかもありますし…人生って大変だなあと思いますが、彼とともに今度は家族を支えられる側になっていきたいと思っています。

具体的には…そうだな。。
きっと僕は将来認知症になった父母に、イライラしちゃうんだろうけど、彼に愚痴を聞いてもらいながら介護や申請手続きとか頑張ります(笑)


つづく

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