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「メタ認知」と「感情と思考のバランスをとること」

こんにちは、イラストレーターのマルオです。

今日は、
「自分の握り締めている価値観」
「無意識に受け入れている常識」
とそれらの眺め方。

そして「感情と思考」
について書いてみようと思います。

価値観と常識


人と話したり、
何か情報を入れたりした時、
自分は何の先入観もなく、それを受け取り、
取り入れてるって思いますか?

おそらく多くの人が、
何か情報を得た瞬間、無意識に
自分の価値観世間一般の常識
照らし合わせて
即座に思考で「判断」を下して
いるのではないでしょうか。

あなたの正義、
あなたの価値観、
大勢の人が良しとする常識。
それは本当に、
目の前に来たものに対して
無条件に適用して
良いものなのでしょうか。

ひとつひとつ引っかかっていては
日常がまわらないじゃないか、という
意見もあるかとは思いますが。。笑


社会的秩序の保持、という
「外側的」名目に
私達は多くの、小さな大切なものを
奪われてはいないでしょうか。

私達はそれぞれに、
個人的な体験や上の世代からの言葉によって
ある価値観を植え付けられています。

それが良い、悪い、という判断は
私の個人的判断ではできないけれど、
盲信的に、
いや言ってみれば無意識的に、
検証も吟味もせずに
受け入れて生きていていいのかな、
とは思います。

先日からずっと書いていますが、
自分を取り巻く価値観、意見、
そういったものを一度
「本当に自分もそう思うのか?」
と問い直していきたい。

自分はどんな価値観を
持って生きているのか?

自分の認知について
客観的に眺めることを
メタ認知
とも言いますよね。

この、自分を一つの対象として
外側から眺める認知の形があると知る
ことがとても大切だなと思います。

先入観は
生きてきた価値観なので、
消し去ることは難しい。
でも、少し横に置くことは
できるのかなと。

自分がどんな
価値観を持っているのか?と
メタ認知の視点に立つこと

自分の価値観の外にあるものを
初めて偏見なく認識できるのでは
ないでしょうか。

感情と思考


先日読んだ本に、こんな言葉を見つけました。

「感情は思考とは異なったもの。
でも、中には感情とはなにかとても
原始的なもので、それは思考に
とって変わられるべきだという考えを
持つ人もいて…」

これは本当にそうだなと思います。

「感情に従って生きることは幼稚であって
思考に従って動くことが大人である」
というような認識は、世間一般的に
多いのではないかなと思います。

でも大人になって、
感情が動くことや
心が震えることを封印して
ただ思考だけに従って生きる、というのは
とてももったいないなと思います。
(なんだかいつも「もったいない」って
言ってますね。笑)

個人的には、
説明のできない心の震え(感情)を
しっかりと感じて生きることが
本当の喜びを感じられる
生き方だなと思っています。

自分自身に対して、
何の説明もいらないこと。
何の言い訳も要らないこと。

そういう感覚を
大切に生きたいと。

感情=原初的なもの
思考=発達、進歩したもの
というわけではない、

ということを知るのも
大切なことですね。

とはいえ、決して思考が悪いもの、
諦めの選択である、という
わけではありません。

すぐに「思考」を諦めの方向性に
働かせてしまうのは、
癖のような、条件反射のようなものなので
一旦止めてみることをしてみると
今まで見えなかったものが見えてくるかも
しれません。

自分の感情を知った上で、
それを自分の人生を豊かにするために
どう現実の行動に落とし込むか?
を考えるときには、
「思考の力」が必要になってきます。

自分の本当の感情を知る。

思考は自分にとって
人生を豊かにするために
どう働かせるかのツール。

穏やかな調和の取れた人間関係を作る上では
自分の感情をただぶつけるだけでは難しい。
(やらかし経験済みです。。笑)


感情と思考の両方を大切にする
バランスが取れると、
心地よい人生が送れるかもしれないですね。


今日はこの辺りで。
今日も読んでくださって
ありがとうございます!

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