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【オト・コク】教科書に載ってる文章を国語教師が好き勝手に語る:中島敦「山月記」③


こんばんは。しめじです。

今夜は、「山月記」について国語教師が好き勝手に語る、第三回を書いていこうと思います

今夜もまた、青空文庫にある本文のリンクを貼っておこうと思います。
これから読み始めてくださった方は是非一通り読んでから内容に進んでいただけると良いのではないかと思います。
(教科書に載っている小説って、高校の授業で読んでそれっきり、と言うことが多いのではないかと思いますが、大人になって読み返すと自分の経験値が上がっているので新しい読みとか、新しい「面白いと思えるポイント」があるので、自分のライフステージが変わるたびに読み返すと面白いですよ。私が一度買った本をなかなか手放せない理由はこれなので)

では、今夜のお話、始めましょう。

なぜ、李徴は虎になったのか。

生徒にはよく授業の中で質問する内容です。
で、大抵間違えてくれます。
こういう、意地の悪い質問をするのが好きなんです。

答えは、「分からない」。

どれだけ本文を読んでも、どこにも書いてありません。
そもそも、科学的には人間が虎になるということはあり得ません。少なくとも、今の人間が分かっている範囲では、そのような現象は起きない。

仮に呪術的な何かだったとしても、本文に何も書かれていない以上、我々にはその真実は分からないようになっています。
ただ、李徴の「心当たり」は本文中に三つ、出てきます。

一つ目は③の段落(この段落分けは昨日の文で書いたのでそちらをご覧ください)。

しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判わからぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ

とあります。要は、「理屈は分からないけど、そういう運命だ」というもの。
心当たりと言えば心当たりですが、そうではないと言えばそうではないような話です。

ところが、話していくうちに別の心当たりが生まれます。
それが段落⑤です。

何故なぜこんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。(中略)己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。

というわけで、「自分の才能の不足を暴露するかもしれないという危惧から才能を磨くのを敢えて怠り、一方では自身の才能を信ずる気持ちがあったがゆえに凡人とつるむこともできずに遠ざけ続けた、進めも退けもしない相反する表裏一体の感情が混在したもの」(=尊大な羞恥心と臆病な自尊心)を自分の中で肥大化させた結果では無いかと李徴は分析しています。

ちなみに一般的な国語の授業では、この「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」の正確な把握が読解の中心に据えられていることがほとんどです。

そして最後。段落⑥にもちょっとだけ出てきます。

お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。(中略)厚かましいお願だが、彼等の孤弱を憐れんで、今後とも道塗に飢凍することのないように計らって戴けるならば、自分にとって、恩倖、これに過ぎたるは莫い。(中略)本当は、先ず、この事の方を先にお願いすべきだったのだ、己が人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ

人間らしい心が自分にあるなら、自分のうまく行かない詩業よりも、家族の方を先に考えるはずである。でも、自分はそれが出来ず、自分のことを優先していた。だから、人間ではなくなってしまったのだ、と自嘲的に言います。

というふうに、本文の中では虎になった李徴がその理由について三回言及するのですが、これらはいずれも客観的に正しい理由かどうかはわかりません。李徴が勝手に思っているだけのこと。

ただ、これはこの李徴特有の精神的働きかというと、決してそうではないことは忘れてはいけません。
私たちも大抵そうしています。

例えば、先生に怒られた、親に怒られた、先輩に怒られた、上司に怒られた、あるいは、嫌われた。
そんな時に、「なぜ相手が怒ったのか、自分を嫌ってきたのか」が分からないことってよくあります。
だからといって、「なんで怒られてるんですか?」と真正面から聞くことってまずないですよね。余計怒られますもん。

あるいは、恋人に振られた時。何が原因で振られたか分からないというのは普通のことです。でも、「なんで振られたの?」って根掘り葉掘り聞いたらもはや嫌われます。

そういう時、私たちはどうするか。
自分なりに理由を考えます。多分こういうところが良くなかったんじゃないか、あの一言が別の意味で捉えられたんじゃないか、あの時の言動を誤解されたんじゃないか。
そして、私たちはそれを飲み込んで、次の自分に反映していく。私たちの生活はこれの繰り返しで成り立っています。本当にそれが正しいかを確かめる術はありませんが、だからと言って「分からない」のままほったらかして貯め込んでおけるほど、私たちの心は頑丈ではない。

あるいは、災害に巻き込まれたり、犯罪に巻き込まれたり、様々な形の有形無形の暴力に私たちは巻き込まれます。今も、世界中の人々が巻き込まれます。
でも、巻き込まれた理由ははっきりいってありません。たまたまそこに暴力があった、それだけのことです。でも、だからといって「運が悪かった」といってへたり込んでいるわけにはいかないのも事実です。

「試練はそれを乗り越えられるものにのみ与えられる」というのは、聖書の一節がもとになって生まれたと思しき、ある漫画の言葉ですが、そうやって私たちは自分に起きた物事を、自分の手で「意味あるものごと」にして自分の精神を保っているわけです。

そう考えると、李徴って人間臭いですね。

ちなみに中島敦が「山月記」を書いたのは、日本の文学がターニングポイントと呼ぶべき大きなうねりを通過したちょっとあとのこととなります。

20世紀の初め、日本の文学に「自然主義」という大きなムーブメントが起こります。もともと美術の方面から輸入された概念・主義ですが、日本の文学もこの自然主義に傾倒します。

「自然主義」とは、おおざっぱに言えば「自然に書く」ということ。つまり、過剰な装飾や解釈を避け、物事をありのままに描写しようとする考え方のことです。
島崎藤村の「破戒」や、永井荷風の「田舎教師」などが代表作でしょうか(受験勉強で文学史の年表を眺めたことがあれば、見覚えがあるのでは)。

ところが、日本の文学においてこの「自然主義」がだんだん違う方向に舵を切っていきます。「物事のありのままを書く」というのが、次第に「恥を抱えたものも含め、自身の生活のありのままを隠さずに、赤裸々に描く」というものに変わっていった(というか、そういう方向性の作品が増えていった)のです。

そうして生まれたのが「私小説」全盛の時代。作家が、自身の個人的な生活や体験を、そのまま書く、というもの。もともと美術の持ってた「自然主義」の考え方からすると、随分とベクトルが変わったものになってしまってい這います。

もちろん、大体何でもそうですが、文化的な大きなうねりには、当然そのカウンターが発生します。夏目漱石、芥川龍之介、森鴎外などが、そうした「私小説」全盛の流れに対するカウンターを生み出していき、しだいに「自然主義文学=私小説」という風潮はなりをひそめていくことになります。

中島敦が活躍したのは、この少し後のこと。当然、文学青年として、これらの流れも知り、理解したうえで「山月記」などの作品群を残したのでしょう。
こうした紆余曲折を経た後の日本文学のシーンにおいて、古典漢文をベースにして、人間が持つ孤独や自己矛盾からくる苦悩にここまで深く踏み込んだ作品が、どれほどの驚きをもって迎えられたかは、容易く想像できる気もします。

さて、本当は下敷きとなった「人虎伝」にも触れたかったのですが、3000字を超えてしまったので、やっぱり明日に持ち越します。
授業同様、ついつい脱線して話過ぎてしまいますね。

では、今夜はこの辺で。



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