勉強ができない子あるある。

こんばんは、しめじです。

煽り倒したタイトルで申し訳ないですが、今夜のお話はタイトルのまんまです。
とはいえ、勉強ができない(その定義については深く触れません)子のあるあるを並べて、「あるあるー」と小ばかにしてやろうとか、そういう悪意でお話をするわけではございません。当ったり前ですが。

どういうことかというと、こと高校の勉強、もっと絞れば受験に的を絞った勉強において、結果が出ない子が陥りがちな罠とか、陥りがちな結果が出ない考え方とか、そういう話をしようというわけです。

もちろん、これは受験勉強に限らず、あらゆる「学習、勉強」に対して、おおむね一般的に言えることだと思いますので、自分自身もそうならないように気を付けよう、という自戒を込めてのお話です。

ビジネス系ユーチューバーの動画タイトルっぽく言うなら、

【あなたも陥っていませんか】結果が出ない人の特徴〇選【今から変える】

みたいな感じです。

参考書や問題集なんかを開いている時間をすべて勉強時間にカウントしている。

先に言ってしまうと、参考書や問題集を開いている時間をすべて「勉強時間」とカウントしてしまうと、実際はあまり勉強していないのに勉強した気になってしまうのであまり勧められません。

というのも。
例えば、ほとんどの高校三年生は、小学一年生の算数ドリルをやれば、全部満点です。

この、全部満点の計算ドリルを、3時間解き続けて、「3時間勉強した」と言い張ったとしたら、どうでしょう。
大抵は、「それは勉強のうちに入らない」と思うのではないでしょうか。

極端な例ですが、言いたいことはわかってもらえると思います。
「今まで出来なかったことが出来るようになるために努力した時間」が勉強時間だというわけです。

別に受験生が受験生向けの参考書を開いていても話は一緒です。
出来る問題は出来る問題です。出来る問題を何問やっても、さっきまで出来ていたことが今も出来ているだけの話であって、出来ることが増えるわけではありません。

肝心なのは、まだ出来ないことにどれだけ向き合ったか、です。

ですから、問題集を解くのは、出来ることと出来ないことの仕分けをしているだけであって、勉強の準備段階だと考えてもいいと思います。つまり、今から何を勉強すればいいのかを把握するための段階です。

ただ、残念ながらここで終わる人が多い。
問題集を解いて、正解の問題には〇をして、不正解の問題は赤ペンで答えを書きこむ。おしまい。
何も新しいことなんて出来るようになっていないんです。準備をしておしまい。そのあと、不正解の問題を、なぜ不正解だったのか、何を間違えたから不正解だったのかをまずは考えないといけません。問題の解釈を間違えていたのか、自分の知識に誤りがあったのか、例えば国語なら、本文を読み間違えていたのか、設問を読み間違えていたのか。

「なぜ間違えたのか」を把握しないことには、その問題は解決しないわけです。

そして、それを把握したら、同じ間違いをしないようにするにはどうすればいいのかを考えたり、持ち合わせの知識がそもそも間違っていたならそれを修正したりしないと、また同じ間違いを繰り返すだけです。

試しに、そういった準備段階を省いて、本当に「できなかったこと」だけに取り組んだ時間を抜き出して計ってみてください。ほとんどの人が、短くなるはずです。中には、ほとんどゼロになる人もいます。

面談をしていて、「毎日〇時間もやってるのに…」と相談してきた生徒がいると、どんな風に勉強しているかをまず聞いてみます。そして、準備時間を省いた時間を、「あなたの実際の勉強時間は〇分だね」というと、大抵驚いています。もちろんなぜそうなるかを説明したうえでですが。

それくらい、勉強は何が達成されればOKなのかという意識が希薄だということです。
(もちろん、その意識の希薄は、それまでに勉強と目標、目的の関連についてその子に教えてあげなかった我々大人の責任でもあるわけですが)

テストや模試をすぐ捨てる

はっきり言って論外ですが、いるんですよね。一定数。
考査の次の週、各教科の返却があるわけですが、大体教室掃除をするとゴミ箱に答案と解答が捨てられています。
不運にも私が担任のクラスの生徒は、そのあと延々とくどくどくどくどくどくどくどくどくどくど説教されます。

で、試験から数週間後に面談があることが多いのですが、ここで「成績が伸びない」と言ってきた子の中には、テストを捨てたその子が混ざっています。
「テスト捨てるからだよ」のあと、またくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどと説教されます。
(もちろん、きちんとやっているのに伸びなくて悩んでいる子もいますよ。そういう子への対応は別です)

こうやって書くと、すごく嫌な先生ですね。
ま、事実、生徒にはあまり「好かれては」いないようです。

これがダメな理由はもういたってシンプル。
試験や模試なんて、一番わかりやすい「出来ること/出来ないことの仕分け」です。その結果すらまともに確認せず捨てているわけです。
初めに書いた内容に照らして言えば、もはや勉強の放棄です。

試験や模試の復習をせずに、せっせと問題集の次のページをめくり始めるのは、コスパ悪すぎです。「出来る」と「出来ない」に分ける作業を教師にやってもらってある時点で生徒の労力は少なくて済んでいるのに。

問題集にお膳立てされた勉強だけをする

大体、学校の教材や本屋においてある問題集などは、すべてジャンル分けされています

例えば古典なら、特定の助動詞の識別や訳を問う問題、漢文の特定の句形の書き下しや訳を問う問題。英語なら、特定の文法やイディオムを問う問題。数学なら、特定の公式や定理、公理を用いる問題。などなど。

大体、ジャンル分けされています。

当然です。
もしも問題が完全にランダムに出てくる問題集や参考書があったら、はっきりいって使いにくいからです。

なので、普通に家で勉強しようと思うとそうなるわけですが、「何を使えば解けるかは分かっている」状態で問題を解き進めることになります。

でも、実際は「何を使えばいいかを見分ける」というステップが試験、模試、入試には存在しています。
ここで躓いて、思ったように点数が取れなくなるわけです。

だからこそ、一つ前に書いた、試験と模試の復習を大切にしてほしいと思っています。(その意味においては、この二つの話はひとつながりの話です)

実際は、「何を使えば解けるか」さえわかれば、それを実際に応用して問題を解く力は多くの生徒が持っています。
でも、試験や模試のように、すこし範囲が広くなると、そのうちのどれを使えばいいか分からない、となるわけです。
問題は、「何を使えば解けるか」を見分けるというステップです。カナヅチとノミとノコギリとカンナをそれぞれ上手に使えても、どんな場面で使うのか知らなければ使いようがありません。

現実問題として、これは教師側にも大きな問題があって、そもそも「何を使えば解けるかを考える」という時間が、授業の中で豊かに確保されていないという実態もあるように思います(量的な調査をしたわけではないので、ただの主観です。そして、私もしばしば陥りそうになります)。

我々の授業にも改善の余地は山ほどあるわけですが、日頃から、受験に限らず、こういったことを意識して勉強、学習をしていけば、少しずつではありますが、結果が出やすくなっていくのではないかと思います。

では、今夜はこの辺で。



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