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「その声は、我が友、李徴子ちゃうか?」

こんばんは。しめじです。

休校が始まった最初の週末に、「やらなければいけない仕事」はほとんど終わったので、「やりたいこと」に時間を割いている、というようなことを書きました。

今夜は、その「やりたいこと」で何をやっているのかを書こうと思います。

まあ、全く誰の役にも立たない情報ですが、多分、教員でない方には想像もつかないような内容ではあるかなーとは思いますので、ちょっとした読み物的に見ていただければと思います。

休校で空いた時間にやっていることは?

実は、先週から、ずっと「音読」の練習をやっています。

は? 国語教師が? と思われるかもしれませんが、もうちょっと聞いてください。

子どもの頃から、国語の「音読」はどちらかというと得意な方でした。

滑舌はいい方でしたし、今口に出している部分の少し先を目で追えました。頭の中で字と音声がこんがらがることもなかったので、言い間違えたり噛んだりということもありません。このあたりは、今でも仕事で役に立っているなあと思うところです。(ただ、たまに早口すぎるのが(自分で言うのもあれですが)玉に瑕です)

あと、何となく教師の好きそうな抑揚の付け方を心得ていました。多分合っていたんだと思いますが、大体国語の音読コンテスト(というものが私の通う小学校の授業では行われていました)は私が一等でした。日本の中学校に戻ってきてからも、国語の先生から朗読コンクールに出ることを熱烈に勧められていました。出ませんでしたが。

と、ここまで幼少期の意味のない自慢を書き連ねてみました。というわけで、本来音読に苦手意識はないんです。小説を読んでいても、この台詞はどんな響きなんだろうとか考えてしまい、つい脳内再生ではなく声に出してしまうことも多くあります。それくらい、文章を声に出して読むことは好きですし、得意なんです。

一体、何のために音読の練習をしているのか。

もったいぶってすみません。

訛り(なまり)」が気になるんです。

私の出身は近畿地方。いわゆる「関西弁」に近い言葉で育ちました。

Youtubeに、三月頭に書いた「休校のススメ」を元にして動画を上げましたが、もし良ければ聞いてみてください。ちょいちょい訛っています。

動画は編集をして、長い空白や「えー」とか「あー」、(花粉症なので)くしゃみや咳、あとは訛った部分を全て細々と切り取ってあの尺にしたんですが、全体を貫く訛りがどうしても消せません。

それが自分で気になって仕方がないんです。

今は、ひたすら「山月記」の朗読CDを流して、トレースして、を繰り返しています。

やっぱり、関西弁で喋る李徴は嫌でしょう。

「羅生門」の下人や老婆は京都の人間なのでぎりぎり許容されるとして、李朝が関西弁だったらダメでしょう。

「舞姫」のエリスが訛っていたら違和感がありますよね。

というわけで、ひたすら標準語の発音で読む練習をしています。

別に音読教育に力を入れているわけでもないですが、なんとか来年度、違和感のない音読ができるように頑張ります。

では、今夜はこの辺で。

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