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『憂国の宴』

(いったい自分は……、これ以上、何をすればよいというのだろうか?
 だが、今のままでは心の安まることなど、ありはしないではないか。)
 男は声にならない独白を続け、その悲痛な心の叫びは、男の眉間に深々と皺を刻み付けていた。
「兄者よ、そんな顔をしながら酒を飲んでもうまくはなかろう。兄者も好みの女に酌でもさせればよいものを……。」
 とある城郭の一室で、その国の領主である兄と、それを補佐している弟とが、並んで酒を酌み交わしている。食膳には山海の珍味が並び、上等な酒の薫りが周囲に満ちている。
 言葉の通り、弟は片手に絶世の美女をはべらせながら、上機嫌に酩酊しているようなのだが、兄である領主の方は、弟の問いかけには一切応えず、上等の酒にもまったく酔う気配すら見せず、ひたすら虚空を睨み、一人、考えにふけっていた。
(この国は大きく、そして強くなった。
 こうして強固な城郭もでき、兵もたくさんいる。なにより我が国は、古来より大陸との交易で栄えてきた国だ。外来の武器の数では、どの国にもひけはとるまい。近隣で我が国をおびやかす存在など皆無といってよいだろう。気になるのは……。)
「ふっ、お前は見ればみるほど、いい女だ……。それ、もっとよく顔を見せい。」
(海を越えた東のほうにあるという大国だ。しかし、それとても、まともに戦となれば、我が国が戦力で劣るということはあるまい。
 恐ろしいのは……その国の者は、狙った獲物を奪うためには、手段を選ばぬということだ。すでに、暗殺者を送り込んでいるやもしれぬ。)
「ふあぁ。」と大きな欠伸を一つし、「兄者、わしはもう寝るぞ。」と言って、弟は、美女と褥(しとね)をともにしようと、部屋を出る支度を始めた。
「うむ。」と一言だけ述べると、また男は、一人心の中で国の行く末を案じはじめた。
(いや、そのためにわれわれはこの強固な城を築いたのではないか!
 そうだ、門番にも屈強なものを配している。不審な男など、城の本丸に近づくことすらできるはずあるまい。)
 男の顔に、ほんの少し赤みが差してきた。その時、部屋を去ろうとしていた弟が「ぶっ」と小さく声を漏らした。
 飲みすぎて嘔吐でもしたのかと軽くそちらのほうを見ると……、弟は首から血を流し、倒れこんだ。そこには、血まみれの美女だけが立っていた。
 と、次の瞬間、その女は領主である兄のそばに駆け寄り、目にもとまらぬ速さで、領主の胸を小刀で貫いた。
「む……貴様!」
 その時、返り血を浴びたまま微笑む美女、いや、美女に扮した暗殺者が、領主の男に向かって言葉をかけた。
「ふっ、この国はもらったぞ。」
「貴様、ヤマトの国の者か! 卑怯な……。」
「戦の世界に卑怯などという言葉はない。勝てば正義。そして、勝者のみが歴史を作れるのよ。」
「……。」
「息絶えたか……。
 この世は、力こそ正義。女の姿だからと安心した貴様が愚か者なのさ。」
 女に扮したその男は、血まみれのまま床に崩れ落ちて絶命した領主の頭を踏みつけ、笑顔で言葉を続けた。
「そして、死者には言い訳をすることすらできぬのだ。
 そうだな。我が国の歴史書には、我が力量と智謀を認め、クマソタケルはヤマトに国譲りをした、とでも記しておこうか。くくっ。
 そうだ、そしてこうしよう! 我が武運に驚嘆したクマソタケルは、その名を俺に譲ったのだとな! 
 俺は西国をまとめ上げた英雄として未来永劫讃えられるであろう。英雄『ヤマトタケル』としてな。」

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