マスクをした妻 in エジプト
マスクの話題で思い出したんだけど、エジプトに行った時の話。
妻は、日本仕様で書いたとおり、海外では常にマスクをしている。
エジプトを訪れたときも、もちろん、それは徹底されていた。
それがあるエジプト人の激しい動揺を招くことになる。
エジプトの市場で
エジプトの市場を訪れた時のこと。
エジプトの市場では「値段交渉」が必要になる。
人の良い僕は値引き交渉などが苦手。
損をするのが目に見えていた。
それに市場で欲しいものなんてないから、別に行かなくても良かったのだけど、せっかくエジプトに来ておいて、有名なところに行かないというのも何なので、訪れるだけ訪れてみようと行ってみた。
行ってみたら、まあ、なかなかおもしろいもので、何か記念に買って帰ろうかなと思った。
見ていると、オシリスの小さな置物があったので、それを買おうかなと思って、値段を聞くと、やたら高い。
しばらく値引き交渉をして、希望価格まで下がらなかったので、そこから去ることにした。だが、これはフリである。
こういう時に大事なのは、「別にいらないけどね」という態度だ。
10メートルほど遠ざかると、遠くから「その金額でいい!!」と苦々しい顔でおっさんが叫んできた。
そこで、僕の希望価格で購入。
まあ、もちろん、おっさんの苦々しい顔というのも演技だったのだと思うけれども、僕も満足だし、おっさんも満足だったろう。
「意外と値段交渉って面白いじゃないか」
「意外と俺でもできるんだな・・・」
だんだんと楽しくなって、自信を深めた僕は、そこから値段交渉に積極的に臨み始めた。
セルティ!
その中で、相手のエジプト人が商品を手に「セルティ!セルティ!」と僕に叫んできた。
はっきりいって、意味がわからない。
数字にそんな数字はないし、商品名なのか、それとも、自分が、いや、僕らがセルティなのか・・・。
僕が理解できず、無言でいるのを見て、その人は今度は、妻に「セルティ!」と呼びかけた。
言っておくが、妻は学生時代があったとは信じられないほど、英語が分からない。
だから、海外ではひたすら無言である。
そして、治安のあまりよろしくないところにいる時や、身の危険を感じる時は、無言に加えて、表情も視線も動かさない。
まっすぐに前を見つめたまま、無である。
だから、その時も「無」であったのだけど、そのエジプト人は「無」+「マスク」姿という妻を見て、突然、ハッとなにかに気づいたように、はげしく動揺し始めた。
そして、妻と僕を交互に見て、マスクを指差しながら、
「ソーリー、ソーリー」
と謝り始めた。
「何が?」と思っていたら、どうやら、マスクをしている妻が口か口元に何らかの障害や怪我があり、「しゃべれない」のだと思ったらしい。
そのため、マスクで隠しているのだと・・・。
最大限の謝罪を繰り返す彼を見ながら、「ああ、そういえば、マスクをしているのは珍しいって聞くもんな」と考えていた。
他の国では、マスク=重病だという話も聞いたことがある。
口元と目元
どうやら、文化によって、口元を重要視するか、目元を重要視するかが異なるらしい。
どこから表情やニュアンスを読み取るのか?
目は口ほどに物を言うのか、目ではなく口が大事なのか?
今回のコロナで、その話も色々なところで聞かれるようになったけれど、こういうのを、「目もと口もと理論」というらしい。
日本では、「目元」。
だから、眼を隠されると、異様に感じるらしい。
つまり、サングラスとかだね。
そういえば、日本では悪者といえば、サングラスをかけている。
まあ、確かに異様だよね。
外人さんがサングラスをしていると、まあ、そうかなと違和感はないけれど、日本人がサングラスをして、屋内にいたりすると、ちょっと異様かもしれない。
サングラスでスーパーに入ってきたりしたら、「おっ、強盗か?」と思いかねない。
でも、欧米人などは、基本的にサングラスをかけているよね。
これは目が光に弱いということもあるらしいから、どうしてもサングラスをかけることが必須らしい。
要するに、やたら眩しいということですね。
もしかしたら、それで、口元の文化になったのかもしれない。
「もう眩しくて、目は隠さなくちゃいけないから、目で表情を読み取るのはあきらめよう」となったのだろうか?
・・・
というように、欧米では口元。
欧米と、ひとくくりにしていいのか分からないけど・・・。
だから、マスクをするというのは、日本でいうと、サングラスをかけるくらいの、イヤーな感じがするらしい。
今回のコロナで、マスクに抵抗がすごかったのも、こういう理由もあるらしい。
だから、一概に、文化が違う日本から「マスクくらいしたら」というのも可愛そうなのかもしれない。
今後、太陽がどうにかなって、「どうしても目の見えないサングラスをしろ」という事態になったら、我々、日本人は耐えられるだろうか?
「やっぱり、サングラスは異様なので」となるだろうか。
なんか、逆に、あっという間に、サングラスを取り入れそうな気もする・・・。
おしゃれサングラスなども流行りそう。
そんな日本っていいよね。
文化が違えば発音も
そうそう、そうやって、文化が違えば、発音も違う。
例えば、「th」の発音。
「thirty」は「サーティー」だろう。
でも、その「サー」は、「th」だから「スサー」という感じ。
英語で話すときは、こういうのを気をつけないといけない。
でも、国が変われば、教育方針も違うし、観光客相手にしていれば、小さい子だって英語をしゃべる。
ただ、ネイティブじゃないから、独特のイントネーションだったりする。
そう、「セルティ」は「thirty」だったのだ。
「thir」の部分が「スサー」ではなく、「セル」と発音されていた。
彼と、「いいかい、10、20、そして、ハイ!」というようなやり取りをした結果、それが判明した。
でもね、こういう「th」と「s」とか、「L」と「R」とか、似たようでややこしい発音があるから、口元を見なくてはいけなくなったんじゃないのかね?
僕はそう思いますよ。
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