見出し画像

あっという間の不織布マスク

いやあ、街がもう一気に、不織布マスク一色になりましたね。

とにかく、早い。
ウレタン製から不織布マスクへの切り替えがみんな早い。

ガラケーからスマホに変わるよりも早い。

「さすが、日本」と思う一方で、「怖いな」とも思いますね。
だって、僕はまだウレタン製だから。
時代にすっかり乗り遅れて焦っています。

まあ、みんな「感染予防」というより、取引先などを含む「他人に対する印象」とか「自分がかかってしまった時にウレタン製だったら責められそう」ということだと思う・・・、違う? 僕はそう。

ただ、僕の場合は、電車にも乗らないし、テレワークだし、スーパーくらいにしか行かないからウレタン製だけど、普通の会社勤めだったら、絶対、不織布マスクにするもの。

こういうことには、日本人は早いんだな・・・と感心しきり。

そう考えてみると、日本は人をさばくのは人なんだよね。

日本では、人を裁くのは人

人、というより、世間というのかな。

「日本は民度が高い」というけれど、それは民度が高いというより、責められることを恐れているだけなのかもしれない。

タイなどの農耕国家は、日本とよく似ているらしくて、いや、タイの方が凄いらしくて、「空気を読む」とか「怒られた時に微笑む」というような、他国の人が理解できないような文化を、日本人とは理解し合えるらしい。

だから、日本だけとはいえないかもしれないけれども、まあ、日本では神が日常的に登場してくることはないですからね。

とっさに「オーマイゴッド」とか言いませんからね。

海外では人を裁くのは神

海外って言っても、一神教の国限定だと思うけれど、海外だと人を裁けるのは神だけなんだよね。

映画などでも、他人に何か意見を言われると、「Are you judging me?」とか「Don't judge me!」というセリフを吐いて、逆に言ったほうが「ごめんよ」的な感じになっているのを見たりする。

明らかに責められた方が悪くても、このセリフをはけば、逆に、相手をやっつけることができる。

まあ、要するに、「神でもないのに、私のことを裁くの?」と責めているわけだ。

言われた方は、「私は神でもないのに、神のような行為をしてしまいました。」と謝るわけだ。

法律違反などでは当然、人が裁くのだけど、それはあくまでルール違反であって、それに対する意味合いが日本とは違うんだろうなとも思う。

・・・

どちらがいいかは分からないけれども、今回のコロナの件では、日本では、よくも悪くも、統一感のとれた行動になったのだろうと思う。

僕の会社だって、コロナ自体がどうこうというのは、個人的に色々思うところがあるけれども、実際の対応としては、

「充分な対策をしていると、他人から見て、思われるかどうか?」

が判断基準だったし、そうせざるを得なかった。

でも、これって怖いことだよね。

自分がどう思っているかは関係なく、事実や証拠に関係なく、全員がそこに向かわざるを得なくなってしまう。

そして、これほどの速さで「普通」「当たり前」が更新されることに恐怖も感じる。

何か大きい流れに、自分が引きずり込まれているような感覚。

だからといって、一神教の国が怖くないか?っていえば、それはそれで怖いんだけど・・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?