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妻に感謝!~私は檀家になりたい~

こんにちは。特別支援学級教員13年目のMr.チキンです。
このnoteはほとんど私の奥さんは読んでいないということですので、今日は妻に感謝しているという話をnoteに書きたいと思います。読まれたら恥ずかしいので。

”妻”という呼び方の昨今の動向

最近、”妻”という呼び方が多様化してきているらしいという話をいたるところで見かけるようになりました。

  • 奥さん

  • 家内

  • パートナー

  • 〇〇ちゃん

  • 配偶者

などなど、相手の捉え方で呼び方が変わるという論調です。確かに、職場で話していても相手の呼び方にバリエーションが増えているなと言う実感があります。以前の同僚が”同居人”と呼んだ時には少し驚きましたが、そういう時代なのですね。”私の””妻”なんて言ったらバッシングなのかもしれませんね。
私はあまりこだわっていないので、妻とか奥さんと呼んでいます。時代遅れかもしれませんが。

いわゆるワンオペ育児になってしまっている

さて、きょうはそんな奥さんの話をします。
昨日は朝6時半に出勤、20時に退勤してきました。
その間の育児・家事はすべて妻がしてくれています
その間ピラティストレーナーとしての仕事もしていることを考えると、ヘビーなスケジュールだということは想像に難くありません。
いわゆるワンオペ育児と言うものになってしまっているのです。

出家と檀家の関係でありたい

妻と私の関係は、出家と檀家の関係でありたいと考えています。
私は特定の宗教を信仰しているわけではありません。じいちゃんの葬式は仏教だし、初詣は行くし、クリスマスも祝います。
仏教の葬式では説教を聞いて「良いこと言うなぁ」と思うし、クリスチャンの結婚式では「なんかかっこいいな」と思うし、息子の百日のお祝いで神道のお祓いをしてもらう時は「なんて言ってるのかな」と分からない。そんな程度の人間です。
でも、テレビで以前見たことは深く共鳴しました。
ぼーっとテレビを見ていると、えらいお坊さんが出て、お説教をしていました。仏教の方だと思います。

人はみな、一日に何度も出家します。
そして、どんな人も檀家です。

例えば、仕事をしに行く。お金を稼ぐ、自己実現をする、目的は何でも良いでしょう。
すると、実はそれを陰で支えてくれている人がいる。奥様かもしれない。駅員かもしれない。名も知れないお客さんが払ってくれたお金が自分に回ってくるのも一つの支えでしょう。
何か目的があって、そのために動くことを仏教では出家と言います
そして、それを支える人たちのことを檀家と言います
人は出家と檀家を繰り返しながら社会を営んでいるのです

このような趣旨だったと思います。
私はハッとしました。出家と檀家なんて、熱心な信仰のある人にだけ関係のあることだと思っていたからです。
今、私が仕事ができているのは妻のおかげだな。大学院に行くといったとき、妻は何も言わずに肯定してくれた。そして、私が大学院に行っている間も支えてくれている。私は妻と言う檀家に支えられていたのだと、改めて感じた出来事でした。

私も妻の檀家になりたい

それでは、私にできることはなんだろう。
妻の檀家になれないだろうか。
妻はピラティス講師として頑張っているな。それを支えるくらいだったらできるだろうか。こう考えると檀家になる方が出家するより数倍大変なのかもしれないとも思えてきます。
私の”配偶者”としての修業はまだまだ始まったばかりなのだと思う日々なのです。
では、またね~!

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