「わかる!!!」/本当は永遠にわからないのにね。
これは捉え方、言葉の使い方、場面によるから、気にしない人は気にしないと思う。「わかる」についての話。
「あなたをわかっている」の「わかる」
例えば、落ち込んでいるとき、悪いことがあったとき、意見が合わないとき。あなたのことを一番わかっているだとか、それもわかるけど……とか、親だからわかるだとか、親友だからわかるだとか、大人だからわかるとか。そういう時に「わかる」と言われると「私の何がわかるの!?」となる。そりゃそうだよね。人の気持ちを100%すべてをわかることは永遠にできないし、そういう「わかる」ってなんか往々にして無意識に本当は異なる自分経験を勝手に重ねていたり、早くなだめたかったり、むしろ自分がわかってほしいと思ってたりする。そういう時って、本当に相手のことを思っているかどうかってなんとなく伝わるものだよね。
「それ、めっちゃわかる!!!」の「わかる」
文脈がだいぶ違うけど、きのう波長の合う人と話していたら、ついつい「あぁ。わかる。」(内心「わかる!!!!!!!!!!!!!!!!!」)とメッセージを手拍子に送ってしまって、さっき言ったような「あなたをわかっている」の「わかる」が頭を過って、てんやわんや。相手がもし、別にあんまりわかられたくないとか、本当は私のことをわかれないとか、少しでも思っていたらどうしよう……。と、返信に心底怯えていたのも束の間、「嬉しい!」とメッセージが来て、嬉しすぎそれは泣く。はぁ~良かった。そうだよね。仏の心を持つ人だし、そんな寛容な人に怯える方が失礼だよね。ごめん。
「めっちゃ、わかる」の「わかる」も、人の気持ちを100%すべてをわからないことは同じっちゃ同じなんだけど、そうじゃないというか、こっちのわかるはどちらかというと最上級の共感というか、「好き!」と同じなんだよね。そうそう、noteにスキするのと同じような。100%そのもの同じにわからないとしても、そういうときってなんか120%くらい共有してるような気がするんだけどなぁ。
昔、ある本を読んでいて、あぁ!これこそが愛の定義にふさわしい! というのがあったんだけど、親しいから気を遣わなくてもいいとかではなくて、見返りを求めない与える愛というか、相手がどう思うかはわからないけど、こちらは相手のことを考えて働きかけ続けるというもの。
だから、わかっても、わからなくても、そんな風に生きていきたいと思う今日この頃でした。
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