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映画『JOKER』は〈悪のカリスマ〉の誕生譚じゃない


「JOKER」観てきました。あまりにも凄すぎて、家族にもおすすめして観てきてもらいました。

 結果、家族と一致した感想は、

「あれは狂人の物語ではないよね」

 ということでした。


〇ジョーカーなんで笑うん?



 ジョーカーの不気味な笑いの原因は、ジャック・ニコルソン版でもヒース・レジャー版でも言及されない点でした(ダークナイトではジョーカーの「笑い」の過去について不確実性の高い過去が語られますが)。というか、ジョーカーは原作からして笑うからジョーカーなのであって、「笑わないジョーカーってなに?」くらいなもんでしたが、今回のホアキン・フェニックス版ではそもそもの「笑い」にフォーカスした点がジョーカーという存在を深堀りしていて興味深かったです。

ていうか、どうしてジョーカーは笑うのでしょうか?

今作での「笑い」はジョーカーの狂気の象徴ではなかったように思います。終始アーサーは笑います。人前ではずっとずっと笑ってます。でもその笑いはストレスを引き鉄とした疾患でしかなく、狂気というよりはむしろ現実からの自己防衛の色が強いようです。

あまりよろしくないことを言いますが、私はジャック・ニコルソン版のジョーカーがあんまり好きではありません(ジャック・ニコルソンは好きです!)。あの「どう、俺狂ってるでしょ?」と言わんばかりの演技演出や、ラストでの笑いを失って「あれ......俺なにしてたんだっけ……」みたいな感じで落下していくシーンなど、あまりにも深みがないと思ってしまいます……が、これは本当に仕方のないことなんです。わかってます。だって私が最初にみたジョーカーは、ヒース・レジャーのジョーカーなんです

ダークナイト(2008年)はノーラン監督版バットマン三部作の二作目で、これは映画的にもものすごく評価が高いです(私は三作目のライジングも好きですよ。映像美!)。やはりヒース・レジャーの演じるジョーカーの凄みが、あまりにも人を引き付けるのだと思いますが、もちろん脚本も素晴らしいし美術もほんとにこれCG使ってないのかよどうなってんださくっと病院爆発してんじゃねえよタルコフスキーでもそこまでやらなかったぞと言う感じですし、でもやっぱりジョーカーの出てるシーン、何度も見ちゃうんです。

ダークナイトのジョーカーは、それまでのジョーカー像であった「とにかく狂ってて、バットマンにちょっかいかけてくる頭のおかしいやつ。あと白い。胸の花からなんかびゅーびゅー毒液出してくるやつ」というイメージを変えました。この映画でのジョーカーは、もう、頭がおかしいとかそういうレベルじゃありません。化け物、怪物、サイコパス……どんなことばでも収まりません。

ただ、いろんなジョーカーを一通りみて、またダークナイトを見直した時にいちばんびっくりしたのは、ジョーカーが白塗りをしているという点でした。



〇このジョーカー白塗りしてる!!!!!



ダークナイトのジョーカーとジャック・ニコルソン版のジョーカーとの決定的な違いがあります。それが、白塗りか、そうでないかということです。

ジャック版は、化学薬品工場に逃げ込んだ犯罪者が、化学薬品のなかにどっぷりつかってしまい、頭がおかしくなった挙句に皮膚がとけて漂白されちゃった姿です。すげー便利な設定です。あたまおかしいので、いろんな犯罪しちゃいます。平気でばんばん人殺しますし、街に笑気ガス入りの食品ばらまいたりします。

が、ダークナイトのジョーカー、白塗りしてます。メイクところどころ剥げてます。しまいには、メイクなしで登場するシーンも一瞬あります。

白塗り!!!!!!!!!!


つまり、このジョーカー、メイクしているだけのただの人なんです。化け物でも何でもありません。ただの口の裂けた人間が白塗りして、ゴッサムにやってきて大暴れして、ありえないくらいの大惨事を巻き起こすんです。たったひとりの力で。そんでバットマンを事実上の引退にまで追い込むんです。
たったひとりの人間が!!!!!

これがジョーカーというキャラクターの転換点だったと思います。
ダークナイトがなければ、今回のすっぴんちょいはげブリーフ派ジョーカーは生まれなかったのです。


〇アーサーが何をしたっていうんだ



アーサー、めっちゃくちゃ人間です。精神疾患抱えてるし、家に帰れば無気力な要介護度2~ギリ3の「施設に入れるにもちょっと介護度低いな……」っていう母親いるし、しかもこの母親「お前実はあのウェイン市長候補の子供だから!!!!!」って衝撃の事実を晒した後で「ごめん嘘…」とか言っちゃう妄想症でアーサーめちゃくちゃ振り回されるし、テレビショーに運よく出演したと思ったら「どうせお前スベリ芸しかできないんだろ」って思われてるかわいそうな芸人みたいな扱いされてるし、社会保障には切り捨てられるしなんか仲間が急にピストル渡してくるし…かっこいいからピストル持ってたら営業先で落っことしちゃうし、そのせいで職失うし…恋人できたと思ったら妄想だったし!!

でも不思議なのは、「こんな奴、本当にジョーカーになるのか?」とは思わなかったんです。
「こんなんされたら、誰だってジョーカーになるわ!!!!!!!!」
という共感が常にありました。

「いやいやまさか、これもう悪い事起きないでしょ……ええそんなことになっちゃうの?……え、まさかこれウェインの息子って可能性……うわあ本当にそうだった……いや嘘なんかい!!…...いやもう……アーサーが何をしたっていうんだ……」

って感じでした。


〇99%の悪


家族曰く、


「この映画のジョーカーは99%の悪が積み重なってしまったんだと思う。いろいろと辛いことがあって、でもそれでも、誰かが手を差し伸べてくれたらアーサーはきっとジョーカーにはならなかった。でも、そうはならなかった。最後の最後まで、アーサーには悪の体験しかなかった。そして、最後の1%が悪意で満たされ、ジョーカーになった。たった1%の善意があれば、それでよかったはずなのに

本当にそうだと思いました。アーサーはただ、人前で誰かを喜ばせるのが好きな一般人でしかありませんでした。「今よりも硬貨な人生」を望む、ただの人だったはずです。

家族また曰く、

「アーサーは仕事をクビになりそうになってやけくそになっても、自分より下の人間を傷つけるようなことはしなかった。ただゴミを蹴飛ばして、それで鬱憤を晴らすことしかしなかった。あんなにも腐った世の中で、見下すことのできる人間なんていくらでもいたかもしれないのに、そうはしなかった。それがすごく印象的だった」



〇幸せになれてよかったね、アーサー……



アーサーは最後、ただ満たされたような表情で、ソーシャルワーカーにこう言っていました。

「クスクス」
「なにが面白いの?」
「ジョークを思いついたんだ」
「聞かせてくれる?」
「いや……たぶん理解できない

彼はあの瞬間、本当に満ち足りていたのだと思います。

「自分は今まで、存在していないのと同じだった」
と彼は語ります。
けどそれは
「自分を認めさせたい、だから人殺してやろ!」
につながるのではなく、
「俺のこの苦しみが、苦しみであるということを、認めてくれ」
という強い思いだったのではないでしょうか。


今の社会、生きづらいです。
たぶんいろんな生きづらい人を生み出してます。
けど、本当の「生きづらさ」って「生きづらさを誰にも理解されない」ことではないでしょうか

今作「JOKER」は、その生きづらさがどこまであの社会に受け止めてもらえないのか、その過程をじっくりと描き切ったあげく、

「お前の生きづらさは誰にも受け入れられない。
 お前は死ぬしかない。」

という行き止まりにぶちあたった人間が、どう行動するのかを表現したのだと思います。

結果、アーサーは自分だけの幸福を見つけました。それは誰の観念にも支配されない、アーサーだけが辿り着ける境地だったのでしょう。

ただ、私はこの作品をカリスマの誕生秘話とか、カリスマの創造譚とか、そういった内容だけで片付けられません。

もちろん、原作通りいけばこのあとジョーカーはあんなゴミみたいな警備システムの精神病棟ではなく、化け物専用のアーカム精神病院に収容されることになるので、まだまだジョーカーの物語は続いていくのでしょう。作中で断片的に語られたブルース・ウェインの今後も、是非とも見たいものです。

でも、やっぱり、アーサーはひとりの人間だったことを忘れてはいけないと思います。私はどこまでもアーサーに共感します。




観たばかりだから、ちょっと神格化しすぎですかね…でも、本当に、観てよかったです。もしよかったらいいねを押してもらえると嬉しいです。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

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