三茶が俺を離さない
田舎に戻ってきた。
約1年前の記事にあったように、私は大都会(長渕言うところの死にたいくらいに憧れた花の都)、東京から戻ってきた。
私の故郷は中途半端な田舎だ。
情緒を詠うには物があふれ、都会と言うには物がなさ過ぎる。
恐らく、日本のごまんとある所謂地方都市なのだ。
都会と田舎の違いをよく聞かれるが、一番分かりやすいのは夜だ。
都会の夜は明るい。
人類が炎を手に入れる以前はなし得なかった、闇の征服に成功している。
何度も深夜に出歩いていたが、懐中電灯など持ち歩いたことは一度も無い。
そして人も居る。真の意味で言う、お化けや猛獣、つまる原始的な怖さはそこにはないのだ。
比べて田舎の夜は本当に暗い。
懐中電灯無しでは、全く何も見えないと言っても過言ではない。
静かで暗く、ひっそりとした闇がずっと根を下ろしているのだ。
田舎に戻って一年。
東京を懐かしむことはあっても恋しがることはほとんど無かった。むしろ、心理的な距離がぐっと縮まったことで親しみすら覚える。
しかし、ここ数日夢にある場所が出てくるようになったのだ。
三軒茶屋である。
私の借りていたアパートは三茶から(都会の人は三茶と略すのだ、かっこいい)歩いて30分ぐらいの所にあった。
以前の記事でも書いたように深夜徘徊が好きだった私は、大学の4年間、暇さえあればわざわざ夜の帳の中へ飛び込んでいた。
三茶はなかでもほどよい距離にあった。
いつものパターンは12時過ぎに家を出て、住宅地をぶらつきながら三茶へゆっくりと歩く。12時半頃に到着すると、2時までやっているツタヤをぶらつき、適当にCDを漁る。
30分ほどで出ると、向かうのはツタヤの裏(正確にはツタヤが入ったキャロットタワーの裏手)にある西友だ。
そう、この西友(SEIYU)こそが私の夢に出てきたまま、離さない場所なのだ。
初めて三茶の西友を訪れたとき、変な気分だった。
知らない人のために言っておくと、西友とはスーパーである。三茶の西友はビルになっており、上層階には日用雑貨や家電なんかが置かれていた。
驚くのはこの西友、24時間営業なのだ。(もちろん、上層階はしまっているが)スーパーは24時間、いつ行っても開いている。
都会の人からすれば、珍しくもない光景なのだろうが、田舎者の私からすればこんな驚きはない。
真っ暗な田舎で24時間やっているのは基本コンビニ、あとはせいぜいアダルトショップぐらいだろう。
それが、都会ともなればスーパーまで24時間やっているという衝撃たるや!
午前二時のスーパーに陳列される冷凍食品。
総菜を買う、女性。
スナック菓子を買う、大学生。
食玩を選ぶ、私。
軽いカルチャーショックだった。
都会を感じた瞬間ベストワンはこれと言ってもいい。
日常が途切れなく進行しているという感覚が、なんかもう感動だった。
田舎では夜とは一つの区切りなのだ。
夜になればあらゆる稼働はストップし、日常はリセットされ、長く深い沈黙の時間がつづく。(もちろん、そんなことはないのだが感覚ではそうだ)
なのに、この三茶の西友では朝も夜も変わらず日常がある。
並ぶ、2Lの綾鷹とアクエリアス。
ここには人が居て、活動しているという感触が妙にうれしかった。
その日常に自分が混ざっているという感触が妙にうれしかった。
帰郷し、1年。
目をつぶると浮かんでくるのはその西友だ。
今この瞬間もあそこには人が居て、続く日常があるのかと思うとなんだか一人だけ置いてけぼりを食らっているようで少し寂しい。
東京を離れて初めて私が感じた寂しさ。
今夜もあの西友は人を迎え続けるのだろう。闇夜の中に日常を内包しながら。
せっかくなので、また深夜徘徊をしよう。
どこも行くところがないけれど、きっとこの田舎にも闇夜に浮かぶ日常がどこかにある。探しに行かねば・・・・・・
っというわけで、深夜の散歩をテーマにした小説を書きました。
怪獣が出てくる恋愛物です。
2万字とちょい長めかもしれませんが、読み終わった後きっと心の中に残る物があると思います。力作なので是非是非お読みくださいませ・・・・・・
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PS:西友に行くたび、頭の中でライオネル・リッチーのSay You, Say Meが流れる。
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