無知の脅威
Instagramにて『考えたい人』というタイトルの投稿をしました。
それについて考えた事を書きます。
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場面緘黙症についての認知は段々広まってきつつあります。
テレビで特集が組まれたり、書籍も増えてきました。
私は現在31歳なのですが、私が小学生の頃(約20年程前)は場面緘黙症という言葉すら聞いたことがありませんでした。
研究も進んでいませんでした。
そのため、場面緘黙症の当事者の多くは【自力】で克服するしかありませんでした。
場面緘黙症を克服できなかった場合、うつ病や様々な不安障害を発症してしまう事や社会恐怖を合併してしまう事が多くあります。
又克服する時期が遅くなればなるほど、後遺症に苦しみ生涯を通じてなんらかの【生きづらさ】を抱えながら生きていくことになります。
早期に介入し早期に克服できれば予後が良いとされています。
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私が小学4年生時の担任は、クラスメイト皆の前で私ともう1人の子を名指しにしました。
「休み時間に1人で過ごしていることが気になっている」
「授業中、声が小さいが本当は大きな声が出るのではないか」
等、皆の前で議題に挙げました。
上記の様な事をされ、私は【公開処刑】された気分でした。
『そんな事、自分が1番困っているし、わかっているに決まってる。』
『好きで一人でいるわけじゃない。』
『大きな声を出したい。でも頑張っても出ない。』
『皆に迷惑をかけたくない。皆を巻き込まないで欲しい。』
『皆に注目されて恥ずかしい。』
そんな事を思いました。
注目される事が苦手な子に、その様な事をしないで欲しかったです。
先生も何とかしたかったのでしょう。知識不足が故の行動であり、悪気があったわけでない。
でも結果として、私の記憶に深く刻み込まれている。という事は、私は傷付いたのだなと感じます。
人は嫌なことに関して、二度と繰り返さないための自己防衛として【記憶】をするのですから。
もう1人の緘黙症の子は、もっと傷付いたと思います。
もう1人の子は、友達に「○○ちゃんは大きな声、出ます。」と発表されてしまいました。
その子の気持ちを思うと居た堪れないです。
私だったら
『唯一心を開ける友達に“裏切られた”』
『発表されたからには、これからは大きな声を出さないといけない』
そんな風に思うでしょう。
下手したら、誰にも心を開けなくなってしまうかも。
一方で私は、唯一の友達である【ちーちゃん】から何も発表されませんでした。
良かったのか悪かったのか。
『大きな声が出せる、とばらされなくてよかった。』と思った一方で
『ちーちゃんは私に関心がないのかな。』
とも思いました。
元々人間不信であったのですが、
その出来事があってから更に人間不信になった気もします。
『誰かに声を聞かれてしまったら、又皆の前で発表されてしまう。』
そんな風に考えました。
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場面緘黙症の子に対して、間違った解釈をし間違った介入をしてしまうと心を深く傷つけてしまうと思います。
学校に行く事が精一杯であるのに、それ以上追い詰めないで欲しいです。
知らないならば何もしないで欲しい、と言うのが私の本音です。
知らないならば知らなくても良い。差別的に接さず、皆と同じ様に接してもらう方がよっぽど救われます。
場面緘黙症の認知度は昔に比べ広まっています。
Instagramのフォローワーさんの投稿を見ていると、「今は色々な選択肢があるんだなぁ」とか、
「親に病気のことを理解してもらえて、心配してもらえて、羨ましいなぁ。」とか、
驚く事ばかりです。
介入は早ければ早いほど良いです。
しかし、正しい知識はどれほど広まっているのだろうか。古い研究結果や間違った知識も広まっていないだろうか。
心配でなりません。
正しい知識が広まっていく事を願うばかりです。
そのためにも、私は私のペースでできる事をしていこうと思います。
ありがとうございます!