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「どうしてお父さんは会社に行くのにお金を払わなくていいの?」

娘が小学校三年生になった頃だったでしょうか。
夕食の会話の中で、ふとこんな事を言い出しました。

「どうしてお父さんは会社に行くのにお金を払わなくていいの?」

咄嗟に「お父さんはお金を稼いでいるので…」と言葉が出かかったものの、何か引っ掛かるものがあり、言葉を呑み込みました。

何かは分からないものの、子ども独特の感覚で大人が忘れかけている、また気付いていない真理に迫っているような気がしたからです。

シンプルな疑問の破壊力

娘の話を詳しく聞いてみると、
「弟は幼稚園にお金を払って通っているし、自分も小学校にお金を払って通っている。なのにお父さんは会社に行くのにお金を払っていない」
という主張です。

もっと言うと、お父さんはお金を払ってないどころか、会社に行くことによってお金を貰っている訳ですから、子どもの立場で考えると納得いかないことだらけですよね。
私は、この問いに大人として誠実に応えるためにはどうしたらいいか、深く考えさせられることになりました。

問いの中に光るもの

実は質問に対する回答はすぐに浮かびました。
手順としてはこうです。
子どもの視点に沿って「では、お父さんもお金を払って会社に行ったらどうなるか?」をシミュレーションする。そうすると、そのお金はどこから捻出するのか?という話になり、お金を使うところからではなく、お金を得るところから思考をスタートさせる資本主義的な考え方を子供に伝えることになります。
ただそれを想像すると、何か面白みに欠ける人間を量産しているような寂しい気持ちになりました。

むしろ、問いかけの中に大きな気付きがあるような気がして、そちらの方が気になり思考を深めると、2つの面白いテーマがあることに気付きました。

お金を払って会社に行ってもいいじゃないか

一つ目は、子どもの言う通り、お金を払って会社に行くことを肯定してみるということです。

経済活動を営む上では、何かしらの収入が無くては成り立たないので、収入源として企業を捉えた場合にはお金を払って雇ってもらうという選択肢はあり得ません。
しかし、企業には仕事を通じて自分を成長させてくれる場所という側面もあります。
例えばインターン制度は現在では企業と学生を結びつける目的で運営されていますが、今後学生がキャリア形成の手段として積極的に活用するようになると、学生側からお金を払ってでも行きたい会社に行くという選択肢が出てきてもおかしくないと考えます。

特に昨今は、肉体労働から知識労働への移行が進んだため、会社に所属して対価をもらうタイプの収入以外にも、個人のスキルや知見を活かして対価を得る手段が増えており、金融商品の運用や転売的なもの、YouTubeやブログの広告収入など、収益確保の選択肢が増えています。
そういった評価型の経済を前提にして考えた時には、お金を払って仕事をさせて貰い知見やキャリアを得る。そして、その経験を別の形でマネタイズし、収益を得るというのは決して成立しないモデルではないと考えました。

学校に行くことのインセンティブ

二つ目の気付きとしては、

なぜ会社に行くのにお金を払わないのか?

ではなく、

なぜ学校に行くのにお金を貰えないのか?

という視点です。

これは、質問した娘本人も意図していない問題提起なのかもしれませんが、

会社に行くことに対しては、お金がもらえるというインセンティブがあるが、
学校に行くことに対しては、同様のインセンティブが無い。

という側面を明るみにしています。

勿論、学べるということが本質的なインセンティブなのですが、経験を伴わないとその価値に気付きにくいのと、リターンが長期的過ぎて手応えを得にくいという部分があると思います。
また、会社に行くことに対しても、昨今では、自己実現や社会貢献的な意味合いもあり、ありもののスキルと労働力をお金に変えるだけでは無い、仕事を通じて価値を得ているという考え方も成り立ちます。

つまり、会社に行くことと、学校に行くことを比較した際に、学校に行く活動の方が、本人を動機付ける要素が少ないという現状があるのです。
もしかしたらこれは不登校問題にも通じる一つの扉を開けてしまったのでは?という感覚すらありました。

まず伝えるべきは多様性

質問した娘に対する実際の対応としては、まず「いい質問をしたね。」と疑問を持つことの大切さと着眼点の良さを褒めました。
その上で、お父さんもお金を払って会社に行ったらどうなるか一緒にシミュレーションして、「誰かがお金を稼がないといけない」という結論に一度着地させました。案の定、子どもも腹に落ちるほどではないが、頭では理解できるといった中途半端な反応でした。

そこからが大事なところで、思い切って「誰かがお金を稼がなければならないが、それは必ずしもお父さんである必要はない」という話に展開してみました。するとすぐに「お母さんが稼ぐの?」という選択肢が浮かんだようなので、「それもあるけど(娘)が稼いできてもいいんだよ。」と言ってみました。
すると娘もそこまでは想定になかったようで、少し話に前のめりになり始めました。
子どもだからといって稼げないわけではないし、大人がお金を払って勉強しても良いということを、子どもながらに会社を立ち上げた子の話や社会に出てから大学に通っている大人の話などを例にしてイメージを膨らませました。
そこから先伝えたいことはまだたくさんありましたが、すごく抽象的な話になりそうだったので、まずはお金の稼ぐことや学ぶことに関して年齢に縛られず自由に考えていいんだという解放感だけ感じてもらえれば充分かなと思い、その時はそれ以上の話はしませんでした。

抽象的なお金より現物のオモチャ

その代わり、翌日から「お金が貰えたら学校に行く(学習をする)動機になるのか」について実験で検証してみることにしました。

仕掛けは簡単で、宿題以外でドリルやプリントをこなした場合に、見開き1ページに付き10円あげるというものです。
もともとそれらの達成報酬としては、チャレンジスタンプという我が家独自のポイント報酬を与えていましたが、今度はそれに加え現金を渡すルールにしました。
10ページもこなせば100円になります。
始めてみると、毎日10円づつ貯まっていくのが嬉しいようで10枚貯まると100円に替えてくれと言ってきました。
100円が10枚になると1,000円にといった具合で少しづつ着々と貯まっていったので、三桁以上の足し算を学ぶのには丁度良い教材となりました。

ただ、結論から言うと、我が家の場合お金は学習のインセンティブにはなりませんでした。
確かにお金は貯まっていきましたが、それはお金を手に入れたいという動機が先にあって起きたことではなく、チャレンジスタンプのポイント集めをしていたら自然と貯まったというもので、むしろ動機付けになっていたのはチャレンジスタンプの方で、お金にはそれ以上の力はありませんでした。

学習の手段化とインセンティブとしてのお金

何ヶ月かやってみて分かったことは、なんらかのインセンティブを与えれば、子供にとって学習が手段になり、目的のために自主的に学習行動を取るということです。それはお金を稼ぐために労働力を提供するのに似ているような気がしました。

反面、子どもにとってはお金という抽象的な存在はインセンティブになり得ず、ポイントが貯まれば欲しいのものが買って貰えるという手触りのある報酬の方が動機付けになり易いということが分かりました。
小学校高学年になるとモノよりも流動性が高いお金の方が魅力的に映り結果が違うかもしれませんが、うちの低学年の娘に関してはこういった結果になりました。

こういう実験をして思うのは、物で釣って勉強させるというのはすごく浅はかなアプローチのようですが、反対にそうではないアプローチとなると、勉強しなければならないという子どもの理性的な判断に依存している部分が多いのではということです。
勿論、学習を進めることで知的好奇心を養い、自ら学習に楽しみを見出すことが本質なのですが、現実的にはそうやってうまくいくことの方が稀だと感じています。
個人的には遊びたい休みたいといった素直な関心を学習に誘導するようなアプローチを考えていかないと学ぶことが息苦しくなってしまうのではないかと思います。
子どもの興味を学習に利用しようという我が家の取り組みは、以下にまとまっています。

お金との付き合い方

最初の問いかけが私に投げつけたもう少しのテーマとして、お金の手に入れ方、使い方についてのものがあったと思います。
お金を稼ぐためにお金を払って勉強をするというサイクルが子どもに説明するには虚しく感じるのは、お金を目的ではなく手段として使いこなして、別の得難い何かを手に入れているというロールモデルに私自身がなれていないからなのだと思います。
お金には決済の手段だけではないコミュニケーションツールとしての機能もあり、うまく使うことで良質な人間関係を広げていくこともできることは私でも日々実感しています。
子どもにはそういったポジティブな側面も伝えていくことで多様な生き方を実現していくためのツールとして使いこなして貰えればと思いますし、自分も何かその見本となれるような生き方が出来ればと思います。
そんなことを考えるに至ったのは、娘が投げかけてくれた最初の問いかけからでした。

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