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《10.5》1901XX :中間報告会準備

1 月末頃、中間報告会のため展示の準備に追われていた。

図鑑のモックアップ制作と撮りためた写真の整理。

ここのところしばらく毎日沖島のことを考えて過ごしていた。

うんざりするほど写真をレタッチし、もうやりたくないなーとうんざりするくらい記事を書いては消していると高木から突然連絡が入った。

『つうせんが事故を起こしたみたい』

つうせん?って、いつも乗ってるあの連絡船?

事故って何?

何かの間違いであって欲しいと願いながら” 沖島” と検索をすると、瞬間的にGoogle の予測変換が「沖島 事故」の結果を拾う。

既にいくつかのニュースサイトが速報として記事を出している。

更新は数時間前。

考えるよりも早く記事を開く。


琵琶湖  事故  重軽傷  衝突  搬送  過失 


記事を読んでも、ワードしか拾えない。

もしかしたら知り合いが乗り合わせていたかもしれない。

過失だとか自損だとか、知りたいのはそんなことじゃなくて、

いつも船に乗ると顔を合わせるあの人や、ようやく世間話ができるようになったあの人や、この間宴会に誘ってくれたあの人が怪我を負っているんじゃないかということ。

そして誰が怪我をしても、その人は誰かの家族で、同級生で、この事故によって島全体は悲しみとやるせなさに包まれているだろうということ。

それがどうしようもなく、苦しかった。

調査を始めて半年経った。

しかし、結局のところ島外者は島外者なのだと思い知った。

きっと今慌ただしくてそれどころじゃないだろうからメッセージなんか送ったら迷惑だろうな、とか考えながら、とにかく全員無事であってくれ、すべてのニュースが誤報であってくれと、無意味な祈りを繰り返していた。

制作の手は進まない。

不安でたまらない。

しばらく経って続報で、どうやら死者は出ていないこと。

乗船していた11 名のうち、9 名が搬送されたということ。

運行中何かにぶつかったが、転覆などはせず堀切にたどり着いたこと。

そしてその日の船長が重傷を負ったことを知った。


それらが自分にとってどれくらいの重みがあるか、正直よくわからなかった。

うまく言葉にできないし、今もこれを書きながら泣いてしまいそうなくらい。

反面、こんなにも気持ちが揺すぶられていることに驚いてもいた。

半年の間でいつの間にか沖島は「日本のどこかの土地の今日のニュース」ではなくなっていた。

ようやく概念的な” 地域” に関わっているのではなくて、そこで暮らす” 人”と関わり、関係を育てているのだということに気がついた。

その後の沖島の空気感含め、かなり印象的な出来事だった。

あれ以来船長さんに会えていないので、会って、なんでもない話をしたい。


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