横山リサ

沖島リサーチプロジェクトの記録。 建築物と写真と言葉が好き。日々生きることに興味があり…

横山リサ

沖島リサーチプロジェクトの記録。 建築物と写真と言葉が好き。日々生きることに興味があります。 https://www.yokoyamarisa-yao.com/

最近の記事

素材でみる、島の暮らし展

2 年の夏、高木と2 人で沖島の暮らしについての展示を行いました。 「このリサーチの内容を展示の形式にして視覚的にも感覚的にもわかりやすいものにしていこう」 こんな話は割とリサーチのはじめの段階から出ていました。 (わたしが大学でアトリエとして借りている部屋に、毎月行くリサーチの内容を随時更新しながら展示をしていくというような提案。実際そんな余裕は全くなく、知らない間にその話は消滅。壁を塗り展示什器とかもちゃんと考えてたのが余計に笑える。) (↑塗ったアトリエ。湖に浸

    • あとがき

      はじめは図鑑のみの制作を考えており、こういったエッセイの制作は全く考えていませんでした。 しかし図鑑の制作を進めていくとどうしてもそのリサーチで感じた気持ちや、起こった出来事や感情と紐づいているような情報があり、主観と客観の扱い方に悩みました。フラットに情報を扱いたいのに、リサーチャーとしての感情が入り込んでしまう、それがどうしても許せなくてなかなか手が動きませんでした。 そして悩んだ末、主観的な視点でのリサーチの記録をエッセイという形でまとめることにしました。事実と感情を

      • 《14》190518,19:インタビュー

        くもり この日のことは本格的に思い出せないので、写真を見ながらそれによって思い出したことで断片的に振り返る。 この日は高木と一緒に暮らしている船木ちゃんが同行してくれた。 ・高校生と中学生の姉妹にインタビュー。 妹ちゃんが「警察官になりたい」と言っていたのが印象的だった。 沖島に警察はいない。派出所もない。 それなのに警察官に憧れるのが不思議だったし、若い子にとっては離島であることはただ住んでいる場所が特殊というだけのことなのかもしれないと思った。  ・時間があ

        • 《13》190427,28:春の沖島

          はれ 後輩の中村ちゃんが同行してくれた。春の花を撮っていく。 春の大祭に参加できなくて残念だった。一年の中でかなり大きいお祭りらしい。 まだギリギリ桜が咲いていた。もふもふの桜が可愛い(これは桜?) この間大根を売ってくれたおばあちゃんが千円畑の上の方に山菜を採りに行くとのことで連れて行ってもらうことになった。 初めてこの上まで登る。木にくくりつけてあるロープを伝って上に登っていく。 ゴロゴロの岩が剥き出しになっている。道具を持って登っていくおばあちゃんすごすぎる

        素材でみる、島の暮らし展

          《12》190314,15:魚の加工

          くもり 風 後輩の内藤ちゃんが同行してくれた。 自分たちの活動に使いたい写真(noteのアイコンに使わせてもらっているコレ)を1月の調査に同行してくださった田中さんに撮影をしてもらっていたので、調査は明日をメインに夕方頃島に入った。 同じ民宿には県立大学の子達が作業のために合宿のように泊まっていた。 想定外に人数分の布団がないところからスタート。 まだまだ夜は死ぬほど寒い+古民家でお布団がないのは死でしかない。 どうにかしないといけない。 なんかバタバタだなーという印

          《12》190314,15:魚の加工

          後半のリサーチについて

          実はこの辺りから記憶が曖昧で、写真などのメモなどの記録がほとんどありません。そのため、写真を見て思い出せる範囲での記事になります。 どうしてこんなことになったのか、感覚的なことなのでとても言葉にしづらいのですが、説明します。 *** エッセイではタイトルがつけられているため毎回のリサーチに明確な調査対象があって行っているような印象を受けるかもしれないのですが、実は全くそんなことはなく、かなり行き当たりばったりでのリサーチでした。 「フラットに、先入観なく、拾い集めるよ

          後半のリサーチについて

          《11》190225:千円畑

          くもり ドローンを持って島へ。 車で島へ行くようになってから重い荷物を気にせず持っていけるためすごく楽になった。 沖島には毎食×人数分の食糧も持っていかないといけないため荷物が多くなりやすい。 普段旅行に行く時は極力荷物をコンパクトにするようにがんばるが、泊まりでも荷物を減らす努力をしなくていいのが嬉しい。 高木が農地利用の研究をしているのもあり、今回は農地を中心にみる。 先に千円畑の方に行って、その後戻って弁財天の方を目指すことにした。 天気の良いくもりと言う感

          《11》190225:千円畑

          《10.5》1901XX :中間報告会準備

          1 月末頃、中間報告会のため展示の準備に追われていた。 図鑑のモックアップ制作と撮りためた写真の整理。 ここのところしばらく毎日沖島のことを考えて過ごしていた。 うんざりするほど写真をレタッチし、もうやりたくないなーとうんざりするくらい記事を書いては消していると高木から突然連絡が入った。 『つうせんが事故を起こしたみたい』 つうせん?って、いつも乗ってるあの連絡船? 事故って何? 何かの間違いであって欲しいと願いながら” 沖島” と検索をすると、瞬間的にGoog

          《10.5》1901XX :中間報告会準備

          《10》190113:佐議長

          快晴 ダンブクロ作りに参加したのもあり、物凄く楽しみにしていた。 佐議長。他の地域ではどんと焼き。沖島では訛ってサンチョーと呼ぶらしい。 私の地域も佐議長という呼び名だからどこもそうだと思ってたけど地域性があるのだろうか。 今回は陶芸家のおにいさんと、湖魚祭りにもきてくれた後輩が同行してくれた。 漁港に到着すると、広場にかなり大きい竹のタワーが見える。 スケールが想像の5倍以上だった。 めちゃくちゃでかい。 ひとまずコミュニティセンターに行き完成しただん袋を渡

          《10》190113:佐議長

          《9》190106:ダン袋

          はれ 10 時便で到着。 漁業会館前でみずきちゃんとまさみさんが待っていてくれた。 一緒に歩いて離島ハウスへ。 途中でカメラを持った男性に遭遇した。 どうやら沖島によく来ていて、今度大阪で沖島の写真展をやるらしい。 その人がどういう経緯でこの島を知って、どうして通っていて、趣味で写真展まで開くモチベーションはどこにあるのか、話を聞きたかったけど、左義長の準備で笹を取りに行く写真を撮りに急いでいたようであまり時間がなかった。 私達は離島ハウスへ。 ついてすぐ、み

          《9》190106:ダン袋

          《8》181227,28:年末

          27 日はれ 28 日ゆき 年末の沖島をどうしても見たくて来た。 沖島は毎年積もるくらいの雪が降るらしい。 予報はゆき。どうしても雪の映像が撮りたかったので絶対に降りますようにと願いながら向かう。 今回は夏祭りの日にも参加してくれた学部時代の友人、美名子がきてくれた。 学部の頃よくこの3 人で旅行をしていたからか、このメンバーでレンタカーに乗るとワクワクしてくる。なんだかすっかり旅行気分で沖島へ。 明日はかなり寒いそうだ。今日はかなり風が強い。 でもせっかくなの

          《8》181227,28:年末

          《7》181121:ドローン

          はれ 琵琶湖博物館行ってから向かい、お昼過ぎに到着した。 琵琶湖博物館、かなりいい。 近年リニューアルされたらしく、(元を知らないけど)とにかく琵琶湖にまつわるあれこれを知りたければ行くべし。 目的によってエリア分けされていて、「大人のディスカバリーゾーン」に沖島について書かれた文献が多くある。 ただ、沖島に行く前に寄るには草津は少し遠い。 下道だとかなり時間をロスしてしまう。 草津、なんとなく琵琶湖の下の方だよなーと認識していたけど、あと少しで京都やん。 ここの

          《7》181121:ドローン

          《6》181104:湖魚祭り

          くもり 事前に島民の方にどんなお祭りなのかきいてみたけど、みんなどんなお祭りかよくわからないとのことだった。 町のお祭りなのにそんなことってあるの。 行ってて何か収穫があるのか怪しいな〜と内心思いながらもバザーをするとか、湖魚を佃煮にして売るとか、夏祭りに出る予定だった鮒寿司が食べれるとか、そんな噂をパラパラ耳にしながら向かった。 運動会に台風続きで参加できなかったため、夏祭り以来のお祭りだったので一来島者として何かのお祭りに参加出来ることにはすごくワクワクしていた。

          《6》181104:湖魚祭り

          《5》181020~21:ケンケン山

          くもり 21日に行く予定をしていたが、前日に山登りのイベントがあったため泊まりで調査に行くことになった。 ケンケン山に登るのは初めてだった。 9月末の台風の影響で倒木と土砂によって道が塞がれてしまったため、森林組合が入り綺麗に整備したとのことだった。 裏の方がかなり崩れてしまったとクルージングで沖島を一周ぐるっと乗せて周ってもらった時に見せてもらった。 山も手入れをしなければ崩れていってしまう。 Dの木という(根がDの形に曲がっていてちょっとした見ものらしい)木に

          《5》181020~21:ケンケン山

          《4》180920:雨の日の沖島、23:秋祭り

          雨だった。 10時便で入ろうと電車で沖島へ。 疲れからかなんとなく朝から調子が悪かった。 近江八幡駅に着くも体調が悪化。 島にはトイレが少なく、またしんどくなった時に休める場所が思い当たらなくて、島に入るのが怖かった。 せっかくここまできたのに悔しすぎて泣きながら近江八幡駅から帰った。 高木、途中で1人離脱しても迷いなく島へ行って調査を続けてくれてありがとう、頼しすぎる。 この日の調査で高木が数日後の秋祭りについて聞いてくるも、わたしは都合が合わず参加できなかっ

          《4》180920:雨の日の沖島、23:秋祭り

          《3》180815-16:夏祭りに参加

          夏祭りを調査しにお盆の沖島へ。 堀切港にはフェリーを待つ人でいっぱいだった。 いつもの沖島つうせんの他に、もう一台のちっちゃいフェリーが待機していた。 2台に分かれて乗り込む。 甲板のところに乗って琵琶湖の水しぶきを浴びながら島へ着いた。 琵琶湖を見つめる副船長さん。 この景色を何万回見ているんだろう。 一瞬として同じ景色はないのだろうか。 帰省する家族、ボランティアの学生、若い観光客、たくさんの子供たち。 数十年前の沖島は毎日こんなに活気に溢れていたのだろうか

          《3》180815-16:夏祭りに参加