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後半のリサーチについて

実はこの辺りから記憶が曖昧で、写真などのメモなどの記録がほとんどありません。そのため、写真を見て思い出せる範囲での記事になります。

どうしてこんなことになったのか、感覚的なことなのでとても言葉にしづらいのですが、説明します。


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エッセイではタイトルがつけられているため毎回のリサーチに明確な調査対象があって行っているような印象を受けるかもしれないのですが、実は全くそんなことはなく、かなり行き当たりばったりでのリサーチでした。

「フラットに、先入観なく、拾い集めるように」と最初に決めたので、あえてそうしていました。(もちろんお祭りなどの日程は決まっているのでそれに合わせて来島しています。そこでの行動の話です。)

行きの車内でお互いがなんとなく見たいものや見た方がいい物を話します。それを中心に見ようとはしますが、誰かとの約束が入ればそちらが優先になるし、着いてから流れで何か頼まれたり、ばったり誰かに会って話が弾めばまた予定は変わってきます。

それによって柔軟に動くことができるため新しい人と出会えたり、予想もしないような体験ができることが多くありました。

しかし予測のつかないリサーチは想像以上に神経を使いました。

1 年間でみたいことを事前にリスト化しており、それが達成されていかないことへの焦りもありました。


また、はじめの頃の考現学的な意味のない物を拾い集めるようなことが中心のリサーチから、徐々に参与観察的なリサーチに移っていくにしたがって、誰かの愚痴を聞いたり、落ち込んだり怒ったりしている場面に出くわしたり、人と人の関係性が少しずつ見えてくるようになっていきました。

誰かの悪口や感情を表すこと自体は私たちに対して悪意を持ってしているわけでもはなく、コミュニティ内の人間関係がある程度わかっているけれど他人で直接的な関係のない私たちにだからこそ話せる愚痴や相談もあるのでしょう。

しかし、わたしは元々感情を感情のまま出したり、出されたりするのがあまり得意ではありません。

そこにわたし個人に向けられた感情や怒りがなくても、マイナスなエネルギーとしてそのまま受け取ってしまうのです。

例えばネガティブな内容の相談をされると、同じだけのネガティブ感情を自分の中に吸収し、頭の中でその話の前後や自分だったらどうなんだろう、相手方はどう思っているんだろう、事実はどこにあるんだろうとあれこれ考えてしまい、すぐに心がぐったりしてしまいます。

もちろん回避できない場面では全力で対処するのですが、回復するのにかなりの時間とエネルギーを使うので正直あまりそういったごちゃっとした関係に深入りしたくはありませんでした。

島民にはそれぞれ立場や思いがあり、わたしが聞いている愚痴はその断片断片に過ぎません。

しかしそれすらこの土地の一つのデータであるのだとしたら、やはりしっかり聞かなければいけないのではないか、とクソ真面目に捉え、否定も肯定もできず、ただぶつけられるがままに話を聞いていました。

島に居られる時間も限られている、見たいもの撮りたいものは消化しきれていない状況で、あくまでも公平な立場で声の大小に影響されずにリサーチをしたいのに、見えない何かに気を遣って「この人に話を聞いてもいいのか」「このタイミングでここに行っていいのか」と考えてしまう。

話を聴きながら、頭の中にメタな視点の自分がもう1 人いて「この話を聞いておけばあとでこれを頼めるかもしれない」「ここに行くと時間を使ってしまうからやめておこう」と、打算的に進めようとしてしまう。

そのうち、今自分がどの立場でものを考えているのかわからなくなってきました。

リサーチャーという立場の不安定さがどうしようもなく居心地が悪く、打算的に相手と話すことはしたくないのに、そうしないと残りのフィールドワーク回数は少ない。その狭間でかなり苦しみました。


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何で苦しい思いをしているのか、やっと今になって言語化できたけど、その時はなんでこんな気持ちになっているのかわからず、ネガティブな感情をうまく処理できずにいました。

《今まで散々否定していた沖島に” 理想の田舎像” のようなものを求めていたのは実は自分自身だったのかもしれない、最悪じゃん。もう行きたくないな。でもまだあの情報が足りないし。これ研究として本当に意味があるのかな。あと○回行けば終わる。》

こんな気持ちで取り組むことはなんだか無責任な気がして、ネガティブな感情を抱くことに常に罪悪感があり、あったことを思い出さないようにしていました。

リサーチ中は余計なことは考えないようにしていても、帰りの車では感情が溢れてしまうこともありました。

帰っても情報をまとめる気になれず、当日撮った写真と録音だけが放置されていました。
思い出さないうちに記憶が薄れ、メモもなく、今となっては当日の動きが断片的しか思い出せません。

エッセイを書き始めようと決めてからも後半のリサーチ記事がずっと書けませんでした。

ちゃんと最初に決めたようなフラットなリサーチができていないんじゃないか、という不安が大きく、またそれを認めてしまうのが怖くもありました。でも完成はさせたい。

なので、ひとまず結果は結果なのだからとりあえずはいいじゃないか。
これは一つのケーススタディなのだから。

と思うことにしています。

あと3 回分続きます。

最初に決めた ありのままにかく ということができませんが、どうか最後までお付き合いください。

いただいたサポートは心を優しく保つためののお茶代にします。