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島 〜ノイズを観て感じた多様性〜

  映画デスノートで新世界の神・夜神月を演じた藤原竜也が島の救世主・泉圭太を演じた本作。本作では島に少女強姦事件の犯人が訪れたことで島の閉塞感により生まれた狂気や闇が浮き彫りになる様が描かれた。そこで私は島のおかしさや矛盾に触れ、人とちゃんと向き合う大切さに気付かされた。


【以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。】








  まず、本作の舞台となる猪狩島は、泉(藤原竜也)が栽培する黒いちじくを島の売りとして掲げて国からの助成金(5億円)を得ようとしていた。そのため、泉は島の救世主としてもてはやされ、栽培の手伝いを行う妻(黒木華)や娘と平穏な日々を過ごしていた。
そんなある日、島に一人の男が訪れたことで彼らの日常が崩壊する、というのが本作の大まかなあらすじである。本作では、


この島を守るために。




という言葉がとても印象的だった。この言葉ほど島への帰属意識を感じる言葉はない。“この自然を守るために”という言葉があるように一見すると素敵な言葉だ。しかし、本作では素敵な言葉として使われていたこの言葉が呪いの言葉に変わる。島に一人の男(渡辺大知)が訪れ、その男を泉は誤って殺してしまう。島の救世主の犯罪を世間は放っておかない。そのため、隠蔽工作に走る泉ら三人の幼なじみ(松山ケンイチ、神木隆之介)。私はここで何故通報しなかったんだろう?と思った。通報していたらこんな大事にならなかったのに。
  何故この男がこの島に訪れたのか。それは保護司がこの男を泉が経営する農園に若い働き手として採用してもらおうと考えていたからだ。いずれ職場となるであろう農園がこの男の死に場になってしまった。前科がある者とはいえ、そうなってしまったのはとても悲しい。最初に出会った印象が悪かったとしても見かけで人を判断してはいけない。娘をこの男が誘拐したという泉の憶測は泉自身の誤解だった。それだけ泉は“この島を守るために”という呪いの言葉により、責任や島の人々の期待に囚われていたんだと考えられる。
  島ぐるみで泉の犯罪を隠蔽するシーンには驚かされた。島を守るためとはいえ一人を庇って自分達も隠蔽工作に加担したのは、島の閉塞感が生んだ強固な仲間意識の表れであり、それだけ泉を盲目的に信じ黒いちじくを島の希望として崇めていたことが分かる。

  前述の言葉と同様にとても印象的だったのは、捜査に訪れた刑事(永瀬正敏)の


お前は一体何を守ってるんだ?

  

という泉に向けられた言葉だ。一見すると刑事の素朴な疑問であるが、本編が進むにつれてこの言葉は“この島に守る価値はあるのか?”という泉への問いかけでもあったのではないか?と考えられた。

  思えば日本も日本列島といわれるように大きな島である。私は鎖国があった江戸時代を知らないため当時の日本人の想いを知ることはできないが、多少本作の島民のような想いであっただろう。私は今でも外国人を見かけたりすれ違ったりするとどうしても見てしまう。見慣れていないというのが大きいが、“なんでこんなとこに外国人?”という想いが浮かんでしまう。鎖国なんてとっくの昔に終わっていて今は当たり前のように日本で暮らす外国人が多いのに。本作で猪狩島の町長(余貴美子)は“この島を守るために”黒いちじくをきっかけに若い担い手を募集していた。ここでいう“守る”という意味は“存続する”という意味だったはずだ。しかし本編が進むにつれてこの“守る”という意味には“排他的”という意味合いが濃くなっていく。明らかに矛盾している。

  多様性が叫ばれる現代。今日本に和食だけでなく、洋食や中華といった多種多様な料理が溢れているのはひとえに外国人の流入があったからだ。それにより日本の食文化が広がり、それだけでなく色々な物が大きな島に入ってきたことで日本文化や技術が発展していった。泉の妻が“ここで縛られたくない。”と言ったように、盲目的な島民だけでなく一部の島民は島のおかしさや矛盾に気づいていたはずだ。
  前科があったとはいえあの男を島民としてちゃんと歓迎していればより良い素敵な島になっていたかもしれない。人を見かけで判断せずちゃんと向き合うことが、お互いの先入観や誤解を解いて素敵な関係を結ぶことになるのだと思う。


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