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ザルツブルグ音楽祭の特別感

2007年8月、私は初めてザルツブルグ音楽祭のチケットを手にして会場を訪れていた。1年前のこの時期は、この音楽祭があったためにクタクタの毎日を送っていた。どうしてザルツブルグ音楽祭はこんなにも人を惹きつけるのか、本当にそれに値するものなのか、自分で足を運んで確かめたかった。

2006年はモーツアルト生誕250周年のモーツアルトイヤーだった。モーツアルト生誕の地、ザルツブルグはもちろん、ウィーンでも様々なイベントが催され、オーストリア中でモーツアルトの記念すべき年をお祝いした。そして、毎年夏に開かれるザルツブルグ音楽祭もまた、この年は特に盛り上がりを見せた。モーツアルトイヤーということで、なんとオペラ22作品全てがモーツアルトによる作品だった。モーツアルトのオペラと言えば、『フィガロの結婚』『ドン・ジョバンニ』『魔笛』『コシ・ファン・トゥッテ』などが有名だろう。そして、日本人にもモーツアルトのオペラのファンは多い。この記念すべき年は、日本からもたくさんの音楽ファン、モーツアルトファンがザルツブルグを訪れた。 

私は仕事でザルツブルグ音楽祭のチケットを扱っていた。人気の演目は、チケットの入手が困難だ。様々なチケット会社とコンタクトを取り、なんとかチケットを確保した。そして、7月23日に音楽祭が始まった。それから毎日、この音楽祭を目当てにザルツブルグを訪れるお客様の準備に追われる日々を過ごした。手配した音楽祭のチケットは、私が働いていたウィーンの事務所にある。そのチケットを、お客様の宿泊バウチャーや日程表などの案内等と全て一緒に封筒にセットをし、お客様宿泊ホテルへ郵送する。チケットは貴重品なので、普通郵便ではなく、きちんと後追いができるEMSを使う。封筒がホテルに到着後、ホテル内で紛失することも起こり得るため、あまり早いうちに届くのも避けなければいけない。お客様が到着する前日に届くように送るのがベストだ。この書類一式を用意することから、手配の最終確認、ホテルへの書類到着確認などを次々に回していく。決して難しいことをしているわけではない。けれど、日本からザルツブルグへの旅行を楽しみにしているお客様にとって大切なイベント、ミスがあってはならない。夏休みの時期は、音楽祭とは関係のないお客様も他にも大勢いる。スタッフ全員残業の日々を送りながら、時間との戦いだった。

ある時、ザルツブルグに行かなければいけない用事ができた。それなら、普段は郵送している書類の束も一緒にザルツブルへ連れて行こう。そして、自ら各ホテルへ配って回った。
「お、いつも郵便で届くのに、なんで今日はデリバリーなんだ」
ホテルの人も、私たちの会社の封筒が届くことに慣れてくれていたことに驚き、嬉しかった。やはり、たまには実際に現場に足を運んで、直接交流をすることも大切だと感じた。

そんな風に忙しく過ごした2006年の翌年、いよいよ観客として会場へ向かう時が来た。音楽祭の会場は、祝祭大劇場 Festspielhaus、フェルゼンライトシューレ(岩窟乗馬学校)Felsenreitschuleと2006年のモーツアルトイヤーを記念ししてできたモーツアルトの為の劇場 Haus fuer Mozartの3つがメイン会場であり、3つは並んで建っている。まずそのエリアに到着しただけで緊張感が走る。

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ひっきりなしに往来するタクシー、そしてエレガントなイブニングドレスに身を包んだマダムや立派なタキシードを着こなすダンディーなジェントルマンが降りてくる。自分はこんな服装で大丈夫だろうか、と不安がよぎる。

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夏の夜は日が長く、会場ロビーにも、通り沿いの大きな窓からまだ明るい光が差し込んでいる。しかし、幕間に外を見渡すと、あたりは暗くなっており、夜の静けさに浮かび上がる華やかさに一層ゴージャスな雰囲気が増す。

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その日、私が見た公演は、ロシアのプーシキン原作のチャイコフスキーのオペラ、『エフゲニー・オネーギン』だった。

1820年代のロシアが舞台。オネーギンに恋焦がれる娘タチヤーナ。舞踏会ではオネーギンが友人であるレンスキーの婚約者の気を引こうとしていたために、レンスキーはオネーギンに決闘を申し込む。そして、不幸にもレンスキーは命を落としてしまう。その後、オネーギンは苦しみから放浪の旅に出る。数年後、戻ってきたオネーギンは、公爵夫人となっていたタチヤーナと再会する。美しく成長したタチヤーナに求愛するオネーギンだが、タチヤーナやきっぱりと彼を拒絶し、幕は降りる。

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ハッピーエンドとはならない悲恋の話だが、舞踏会の華やかな様子、決闘の緊張感、タチヤーナの見事な決断など、素晴らしい音楽と舞台にすっかり魅了されてしまった。

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このオペラはかつて、ウィーンの国立オペラ座でも友人と見たことがあった。しかし、その時と比べても圧倒的な緊張感が漂っていた。それは、やはりザルツブルグ音楽祭が放つ”特別感”のおかげなのだ。

では、一体何が特別なのか。

ザルツブルグ音楽祭は、毎年7月20日頃から8月31日まで開かれる音楽のお祭り。オーストリアの政界などの著名人をはじめ、世界中から音楽ファンが集まり、街全体が特別な雰囲気に包まれる。音楽、演技、舞台どれも最上級の演出を楽しめる、1年に1回、訪れるに値する音楽の祭典なのだ。

ザルツブルグ音楽祭では、オペラの他にもウィーンフィルやベルリンフィルなど世界的に名声のある管弦楽団のコンサートもあり、世界で活躍する名高い指揮者が集まる。また、小楽団による演奏や、内田光子さんなどのソリストのコンサートもある。オペラのチケットは、ベストカテゴリーの席は現在の価格は€445(約57000円)とかなり高額だが、5番目のカテゴリーなら€155(約20000円)とちょっと頑張れば手が届く。またコンサートはベストカテゴリーが€230(約26000円)、下のカテゴリーであれば€80(約10000円)、コンサートによっては€30(約3900円)くらいで入手できるものもある。人気のある演目は、すぐに売り切れてしまうため入手困難だが、公式のホームページを見てみると案外購入できてしまう演目もある。

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2020年はザルツブルグ音楽祭の記念すべき100周年の年だった。しかし、パンデミックのために公演日数と販売チケット数を減らしての公演となった。そして、昨年諦めた公演は、今年2021年に延期され、今年もまた100周年の記念公演は続いている。

ザルツブルグ音楽祭は、元々はモーツアルトを記念した音楽祭が起源とされている。モーツアルトが誕生したザルツブルグだからこその音楽のお祭りなのだ。

改めて、何が特別なのか、という問いに戻ってみる。それは、優雅に着飾った人たちに囲まれての観劇であるためかもしれないし、1年に1回という夏のイベントということだからかもしれない。あるいは世界中で名が知られている音楽祭だからなのかもしれない。いずれの答えも、自分の思い込みが特別と意識させているような答えばかりだが、それでもいいではないか。ザルツブルグ音楽祭は、私にとって素晴らしい音楽に触れる特別なものなのだ。

また是非ともあの”特別感”を味わうために、ザルツブルグを訪れたいものだ。


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先日投稿した記事が、注目記事にも選ばれ、ものすごくたくさんの方に読んでいただき、たくさんのスキもいただきました。自分が書いた記事とは思えない数字を目にして、喜びでいっぱいです。記事をお読みいただいた皆様に、心から感謝を申し上げます。そして、記事を取り上げていただいたnote編集部の方にもお礼を申し上げます。本当にありがとうございました!


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