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プラハ ー 思い出が輝く魅惑の町

「私が一番好きな町はプラハよ。とても素晴らしいところなの」

まだ日本で働いていた頃、週1で通っていた英会話学校。個人レッスンが売りの学校で、私の先生はイギリス人の女性、アリーだった。ちょうど同じ年代の彼女とは、楽しく色々な話をした。お互いに旅行が好きだった私たちは、よく旅の話もした。そのアリーがうっとりした表情で話していたセリフだ。

まだプラハに行ったことがなかった私が、初めてプラハへの憧れを抱いたその瞬間を、今でもはっきり覚えている。その後、プラハという町を何度も訪れ、1ヶ月の短期滞在まで経験することになるとは、その頃は思いもしなかった。

ウィーンに住み始めて初めてプラハを訪れた。夕方到着し、翌日昼過ぎには経つという短い時間だったため、じっくり観光することはできなかった。けれど、アリーの言葉が蘇った。それは旧市街広場へ足を踏み入れた時だった。

まず目に入った建築物は天文時計だった。縦に2つの時計が並んでいる。上は地球を中心に回る太陽・月など天体の動きを示しており、1年かけて1周する。下は1日に1目盛動き、黄道12宮が描かれているという。そして毎正時になると、この2つの時計の上の扉が開き、死神が鳴らす鐘と共に、12使徒たちが行進を始める。不思議な魅力を持つこの時計にしばらく目を奪われた。

それから、広場へ目を移すと、次々と魅力的なものたちが目に入った。2本のゴシック様式の塔を持つティーン教会、ピンク色の優雅な建物であるキンスキー宮殿、白壁のファサードが美しい聖ミクラーシュ教会、そしてヤン・フス像。
カレル大学の総長でもあった敬虔なキリスト教徒のヤン・フスは、15世紀チェコにおける宗教改革の先駆者であった。異端審問の結果火あぶりの刑に処せられてしまったが、チェコ人が最も誇りとする人物と言われている。

まさに次から次へと立派な建築物が飛び込んでくるこの場所を、私は”見どころ満載の広場”と勝手に命名した。その後何度訪れても、やはり心が躍った。

夜ライトアップされた旧市街広場


さて、プラハには「王の道」と呼ばれる道がある。13世紀から時代が変わるたびに歴代の王が戴冠パレードを行なった道だと言われている。この「王の道」は、旧市街広場を抜けて続いていくのだが、そちらは後ほど通ることにして、先に出発点へ行ってみよう。

旧市街広場から続く、お店や飲食店が並ぶツェレトナー通りの先に、黒いゴシック様式の火薬塔がある。ここはかつて城壁の門であった。そして、ここで王侯貴族、聖職者たちを迎え、馬車が行列をなして煌びやかな行進が始まったのだ。

わざわざ一度この出発点まで来たことには理由がある。この火薬塔の隣にある美しい建物を紹介したかったのだ。かつては歴代王の宮廷があったそうだが、大火事で焼失した後、20世紀に入って建てられたこの建物は、市民会館である。

左側が火薬塔、隣が市民会館

おとぎ話に登場しそうな優雅なアール・ヌーヴォーの建物。内部には、チェコを代表する画家アルフォンス・ミュシャが内装を手がけた「市長の間」など、様々なアール・ヌーヴォーのエレガントな内装が施されている。1階にはカフェとレストランがあり、カフェには気軽に立ち寄れる。なんだかちょっと贅沢をしているような、優雅な気持ちになれることが嬉しい。

そして、この市民会館の中に「スメタナホール」という名の音楽ホールがある。プラハでは毎年「プラハの春音楽祭」が開催される。チェコの偉大な作曲家スメタナの命日である5月12日に、スメタナの代表作である『我が祖国』によって幕が開かれ、それから3週間続く。そのオープニングコンサートが、ここ「スメタナホール」で行われるのだ。

『我が祖国』は6つの交響詩からなっているが、第2曲『ヴルタヴァ(モルダウ)』は最もよく知られている。プラハを流れるヴルタヴァ川。日本ではドイツ語表記のモルダウ川と言った方がわかりやすいかもしれない。

さて、この『ヴルタヴァ』を聞きながら再び「王の道」を通り、旧市街広場へ戻ろう。

旧市街広場から続く天文時計の後ろの道、カレル通りが「王の道」の続きだ。ここを進むと、前方にヴルタヴァ川が広がり、カレル橋が見えてくる。

ヴルタヴァ川にかかる長さ約520メートル、幅約10メートルのこの大きな石橋は、常に多くの観光客で賑わっている。なぜなら、ここは両側の欄干に造られた30体もの聖人像を見ることも楽しみの一つとなっているからだ。日本にも布教に訪れた聖フランシスコ・ザビエルの像や聖母マリアの母である聖アンナ像などが有名だ。そして、道幅の広いこの橋の上には、お土産を売るお店、似顔絵を描く絵描きやストリートパフォーマーなどもいる。かつてここで似顔絵を描いてもらいたいなと思っていたのだが、結局機会を逃してしまった。残念。

このカレル橋は、カレル4世の時に建造された。カレル4世は14世紀半ば、神聖ローマ帝国の皇帝となり、その時にプラハが首都として栄華を誇ったのだ。そして、現在の街の基盤がその時に作られたと言われている。

橋を渡った後に目指す場所は、「王の道」の最終目的地、プラハ城だ。モステッカ通りをまっすぐ進み、マラー・ストラナ広場にあるゴシック建築の立派な聖ミクラーシュ教会の前を通ろう。この教会は、モーツアルトがプラハに滞在した際にオルガン演奏をしたことで知られている。そして、ここからいよいよプラハ城が聳え立つフラッチャニの丘へと上っていく。ネルドヴァ通りの坂道をひたすら上っていくのも良し、途中からザメツカ通りに入って階段を上がっても良し。いずれも楽な道ではないので、少々覚悟が必要だ。

息を切らしながらフラチャニ広場に到着すると、プラハ城の入り口がある。まずはここから眼下に広がる市街を眺めてみよう。

ここは歴代王の居城として使われ、カレル4世の時代にほぼ現在の形に整えられている。城壁で囲まれた広い敷地の中には、大聖堂や教会、旧王宮などの建物がある。

聖ヴィート大聖堂には、空に向かってまっすぐに聳え立つ2本の尖塔がある。内部は、長さ124メートル、高さ33メートルの身廊が祭壇まで続き、厳かな雰囲気が漂う。そして、大司教の新礼拝堂では、あのミュシャが描いた巨大なステンドグラスを見ることができる。

王宮の敷地を進んでいくと、黄金の小路と呼ばれる道に出る。瀟洒な建物が並んでいるかのような名前だが、実際はカラフルな小さな家が並んでいるかわいらしい路地である。

再び夜の写真ですみません😅

かつて城に仕える召使いが住む家が並んでおり、その後その一角に錬金術師たちが住むようになったため、このような名前がついたそうだ。ここで見逃してはならない場所が、22番地の家。チェコの作家フランツ・カフカが仕事場として使っていたところなのだ。彼の妹が、騒がしい下宿から離れて集中できるようにと提供し、カフカは約半年をここで過ごした。

この写真では分かりませんが、ブルーの壁です

プラハ城の城壁の外側には庭園もあり、小高い丘で、のんびり散歩を楽しむこともできる。

最後にもう一つ、私のお気に入りの場所を紹介したい。カレル橋を渡る前、橋の全景と背後にプラハ城が見える場所。

ゆったり流れるヴルタヴァ川、威厳を誇るように丘の上に立つ尖塔の姿は圧巻だ。

プラハは素晴らしいと熱く語っていたアリー。彼女もきっとこの場所に立ち、この絶景を写真に収めたのだろう。


本日も長文記事にお立ち寄りいただき、誠にありがとうございました。


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