今こそみるべしパンク映画【ニューヨークドール】
ニューヨーク・ドールズの活動期間は短く、どちらも傑作だが、たった2枚のアルバムを残し、解散した伝説のバンドであり、悲劇のバンドとして知られている。
商業的には成功しなかったものの、ドールズの非公式マネージャーとして携わっていたマルコム・マクラーレンがこの時の経験を生かし、わずかな期間でセックス・ピストルズに影響を与え、成功をもたらせた。
映画は、ドールズ解散から約30年後、スーツとネクタイをした落ち着いた55歳の男が毎朝バスに乗って職場まで出勤しているシーンから始まる。
この男こそ、70年代の伝説のバンド、ドールズのベーシスト、アーサー・“キラー”・ケイン本人であるが、誰にもそのことは知られていなかった。
ニューヨーク・ドール(2005年)
ドールズは、 1971 年後半に最初のライブを行ったあと、ロンドンでロッド スチュワートの前座の座を獲得、当時世界のパンクロックの中心地であったニューヨークのシーンで最も影響力のあるバンドの 1 つになっていた。
グラムロックに先駆けた中性的なスタイルのファッションに身を包み、MC5やイギー・ポップ&ザ・ストゥージズのように原始的なパンクバンドのギターの歪み、轟くバックビートを組み合わせた洗練された音楽スタイルにより、新しい方向性を導きだしていた。
しかし、「New York Dolls (1973)」、「 Too Much Too Soon (1974)」の2枚のアルバムセールスが伸び悩むと、レコード会社から契約解除され、一部のメンバーはドラックと酒に溺れ、1976年バンドは解散に追い込まれる。
また時代を先取りしすぎていたのかもしれないが、その前衛的なスタイルは受け入れられず、ドールズ解散してしまうが、それだけでなくメンバーは次々と他界してしまう。
オリジナルメンバーのひとり、ドラムのビリー・マーシア、後任のジェリー・ノーランはともに亡くなった。
ギターのジョニー・サンダースは、1975年にジョニー・サンダース&ハートブレイカーズを結成、ソロアルバムも発表し、成功していたものの、ドラッグの過剰摂取で死亡。
ジョニー・サンダースについては、映画「ジョニー・サンダースの軌跡」もチェックしたい。
ヴォーカルのデヴィッド・ヨハンセンは、ソロ活動を開始し、80年代半ばにはラウンジシンガーの別人格バスター・ポインデクスターへと変貌を遂げた。
ギターのシル・シルヴァンはヨハンセンと2年間共演したが、その後ソロ活動のためバンドを離れた。
アーサーは、ドールズ解散後、アルコール依存、ドメスティックバイオレンスにより、家庭崩壊し、モルモン教に改宗した。
そんなケインをみかねて、元スミスのモリッシーが存命メンバーをモリッシーが企画した2004年のメルトダウン・フェスティバルに招待した。
モリッシーは、かつてドールズのイギリスファンクラブ会長を務めていたほど愛着のあるバンドだった。
本作は、監督グレッグ・ホワイトリーによる、ドールズの再結成を描いた感動必須のドキュメンタリー。
我々は神が創造した奇跡の男、アーサー・“キラー”・ケインを忘れることはないだろう。
noteではパンク映画を紹介。
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